〜6.奇跡を追う人〜


少女は憔悴しきっていた。

背中の辺りまで伸びている髪はほつれ、頬も心なしか少しこけている。

かなり、体力を消耗したんだな。

僕はそう思った。

「……無理だったようだね」

「………何で、こんな奴の体を乗っ取ることが出来ないの!? こんな奴なんかに負けるなんて……」

少女は悔しそうに言葉を吐き出す。

よっぽど悔しいのか、その目からは、大粒の涙が流れ落ちていた。

…………。

僕は、少女から『負の力』が消え去っている事に気付いた。

多分、少女が持つ全ての力を使い切ったんだろう。

もう大丈夫だ。

根拠はない。でも、僕はそう確信した。

「何で、こんな事になったんだい? 良かったら、僕に教えてくれない?」

すると、少女は小さく頷いた。

「実は………」

そう言うと、少女は僕に耳打ちをした。

ゴニョゴニョゴニョ……。

それがしばらくの間続いた。

「…………って事なの」

少女が僕の耳から離れると同時に、僕は深いため息を吐いた。

「………そんな事が」

少女の話を要約すると、こういう事だった。


八十年前、少女がまだ生きてた頃。

その頃少女は、一人の少年のことが好きだった。

とても穏やかで、誰にでも優しい、そんな少年だった。

少年の名は景綱。少女の名は小雪。

二人は幼なじみで、兄弟のように仲のいい二人だった。

そして、誰もが二人は結ばれるものだと信じて止まなかった。

二人を隔てることになった、あの日までは。


初冬のある日、小雪は景綱から、唐突に別れを告げられた。

『どうして……?』

『…………………』

景綱は何も答えずに、小雪の前から去っていった。

悲しみに包まれた小雪。

それに追い打ちをかけるかのように、さらなる不幸が小雪を襲った。

家路に就いたその途中、小雪は、いきなり暴漢達に襲われた。

殴られ、蹴られ、辱められ――――。

まさに地獄だった。

それでも家に帰り着いたその時、小雪は信じがたいものを見た。

『う、嘘………』

焼け落ちた家の前に、四つの十字架が立っている。

その十字架の真ん中に、四つの死体が貼り付けられていた。

それは………………小雪の家族だった。

『あ…………ああああああっ………!』

とどめを刺すような出来事に、小雪の精神の糸が音を立てて切れた。

その時、小雪の目の前に一人の女が現れた。

見るからにプライドの高そうな美人。その後ろには、さっき小雪を襲った暴漢達が控えていた。

どうやら、一連の出来事の黒幕は、この女のようだ。

女は小雪の髪をグイッて引っ張り、小雪の顔を無理矢理上げさせた。

そして、周りの全てが引くようなサディスティックな笑みを浮かべると、氷よりも冷たい声で、

『……あたしの景綱様に手を出すからよ。この馬鹿女』

その瞬間、小雪は全てを理解した。

――自分がこんな目にあったのも、全てを失ったのも……全部こいつのせい?

それは、小雪の全てをズタズタに切り裂き、壊してしまった。

そのまま小雪は狂い死んでしまった。


だが、小雪は成仏できなかった。

その憎しみは時を経るごとに膨らみ、そしてその憎しみは負の力へと変化した。

そして今、小雪は悪霊となり、美雪ちゃんの体に乗り移った。

美雪ちゃんとその女が瓜二つだったと言うだけで。


「……要はその女、美雪ちゃんがそっくりだっただけで、君は美雪ちゃんを呪い殺そうとしてたのか」

「……」

すると、少女……いや、小雪はふるふると首を横に振った。

「……それだけじゃないの……」

小雪は俯きながら言葉をそこで切った。

「それだけじゃない? じゃあ、何で……」

その時、僕の頭の中にある仮説が沸きあがった。

「……そう。景綱さんとあの景一って子がそっくりだったの。子供の頃のね」

小雪は一語一語噛みしめるように言葉を吐き出す。

まるで、僕の思考を全て読んだかのようなタイミングだった。

ああ、やっぱり―――――。

僕は目を閉じて頷いた。

何となくだけど、そうじゃないかとは思っていた。

だけど、本人の口から改めてそれを聞くと、やはり辛いものはある。

でも…。

僕はこの時決断した。

小雪の悲しい過去を聞いてしまった以上、このままにしておくことは……僕には出来ない。

聞くにも堪えない仕打ちを受け、全てを失った小雪。

その心の中には、今でも塞がることのない大きな傷跡を残している。

このまま放っておけば、このまま永遠に闇の中を彷徨う運命にある小雪。

人間である以上、これ以上の苦しみは味あわせたくない。

真実を知ってしまった以上、僕の取るべき手は一つしかない。

それは……。

「ちょっとだけ…。待っててくれないか?」

「……どこに行くの?」

僕は振り返らずに答えた。

「……これ以上、キミを苦しませたくないんだ。今はそれだけしか言えない」

僕の言葉の真意に気付いたのか、小雪は無言で小さく頷いた。


「……と言う訳なんですけど」

(うーん、あたしの力じゃ無理かも)

僕は綾さんと話し合っていた。

とりあえず、僕は綾さんに全ての話を説明。

その上で、小雪を救うことが出来るかどうか、僕は聞いていた。

でも、綾さんの答えは、「ノー」だった。

「そんなこと言わないでくださいよ」

僕は必死に綾さんに頼み込んだ。

文字通り、僕は必死だった。

あんな悲しい話を聞かされた以上、是非とも小雪を救ってやりたい。

このまま、小雪を放っておくのは余りにも忍びない。

何だか、それが僕に課せられた義務のように思っていた。

(…………あ)

ふと、綾さんが何かを思い出した。

(零一君…。一つだけ方法があるよ)

「ほ、ほんとですか?」

僕の顔が輝く。

(その前に、目を覚まして……)

綾さんの声が頭の隅々に響く。

目の前の闇が歪んでいく……。

気が付いたときには、僕は元の世界に戻っていた。


「それって、どういう方法なんですか?」

僕は起き上がるなり、綾さんに聞いた。

すると、綾さんは無言で僕をベランダまで引っ張り出した。

「綾さん……?」

冬の柔らかな日差しの中、僕らは向かい合う。

だが、綾さんの様子がおかしい。

どこがどうとは言えないんだけど、とにかく、いつもの綾さんじゃない。

言うならば、昨晩の綾さんの雰囲気と同じだ。

「零一君、君に伝えたいことがあるんだ……」

「……はぁ」

とりあえず頷く僕。

「……本当に知りたいの?」

……?

綾さんの言葉の意味が理解できず、困惑する僕。

そんな僕の反応に、綾さんは冷たい視線と共に、再び口を開いた。

「だから、本当に知りたいの?」

「はい」

何が何だか分かんないけど、僕はあっさりと頷いた。

すると、綾さんはボソッと呟くように言った。

「……方法は一つだけあるよ」

「そ、それってどんな手段なんですか?」

すると、綾さんはグッと僕に近づいてきた。

無意識のうちに、僕は頭を後ろに引こうとする。

だが、

ガッ!

………!

綾さんの両手が僕の頭を掴んだ。

「ちょ、ちょっと! 綾さん?」

慌てる僕を無視して、綾さんは僕を引き寄せる。

…………

少しずつ縮まる距離に、赤面する僕。

そして遂に、額と額が触れあいそうな程の距離まで達した。

「あ、綾さん?」

「……零一君。今から言うことは、ほんとに重大なことだから、ちゃんと聞きなよ」

「……はい」

僕はひたすら首を上下に振った。


「……先に言っておくけど、その方法でいった場合、あたしら……死ぬかも知れない」

……!!

僕は絶句した。

ピントのはずれた僕の視線が、宙を彷徨う。

「目を反らさないで!」

綾さんの声が、僕の意識を元に戻した。 「あ、綾さん? そ、それって、ど、どういう事なんですか?」

すると、綾さんは目を閉じた。

「………簡単よ。今君の中にいる小雪って子と、今は多分天国にいる景綱って子。その霊体をあたしらに乗り移らせて、お二人様ご対面、って状況を作っちゃうの」

「………」

「ただ、その術を使うのには、物凄い量の精神エネルギーを必要とするの。今のあたしらだったら、その術を使ったら……多分、エネルギーが空になる」

「と、言うことは……」

僕の声に、綾さんは目を閉じたまま頷いた。

「……そう。その二人に身体を乗っ取られるか、あるいは、そのまま死んじゃうか…。どっちにしても、無事でいられる可能性はゼロに近いの。……それでもいいの?」

………

僕は、しばし呆然と立ち尽くした。

だが、『無事でいられる可能性はゼロに近い』

その言葉が、何回も何回も、僕の脳裏をよぎる。

今の綾さんの雰囲気から言っても、恐らく本当のことなのだろう。

死ぬのは確かに怖い。でも、小雪を救ってやりたい………。

相反する二つの気持ちが、交互に僕を襲う。

しばし僕は、葛藤と戦った。


葛藤と戦った末に、ふと、僕はあることに気付いた。

「綾さん」

「何? 零一君」

「もしも……もしもですよ。仮に僕が、その術をすることにしたら………その時、綾さんはどうするんですか?」

すると、綾さんは即答した。

「あたしだったら、別にオッケーだよ」

「…………………え?」

信じられないような綾さんの答えに、僕の思考回路は完全に崩壊した。

「ど、どうして……どうしてなんですか? 赤の他人の僕のわがままに付き合って、間違いなく命を落とすことになるのに…。どうして、そんなにあっさりと同意できるんですか!?」

目の焦点も合わず、錯乱しきった僕の言葉がむなしく宙を舞う。

「………何でなんだろうね」

ポツリと綾さんが呟いた。

「え?」

「……今までのあたしだったら、絶対こんな事しようとは思わなかった」

「じ、じゃあ、どうして……?」

綾さんは軽く首を振った。

「分かんないよ。そんなの」

綾さんの答えは簡潔だった。

「……でもね。零一君がこの術をやりたいって言うんだったら、あたしも付き合ったげる。それだけは確かだよ」

………

綾さんの言葉が、僕の胸の奥底まで染み込んでいく。

そして、言葉の中に含まれた様々なエッセンスが、僕の心を見事なまでに震わせた。

いつしか、僕の目には涙がうっすらと浮かんでいた。

「綾さん……僕は」

すると、綾さんはイタズラっぽく笑うと、右手の人差し指を僕の唇にそっと当てた。

「……言わなくても分かってるよ。あの子を助けたいんでしょ?」

「………分かってたんですか」

すると、綾さんは僕の瞳を覗き込むように顔を再び近づける。

そして、満面の笑みを顔に浮かべた。

「だって……零一君、優しすぎるから」

「そう……なんですか?」

僕の声に、綾さんは軽く頷いた。

「だって、零一君がフツーの子だったら、ここまであたしに付いてこないでしょ? それに……」

「それに?」

綾さんは一呼吸置いて、再び口を開いた。

「……それに、この術って、あたしがいなかったら出来ないんだよね」

「……あっ」

確かに、綾さんの言うとおりだった。

この術をするには、一組の男女が必要だ。

そして何より、綾さんしかその術を行えないんだから、それは当然の事だった。

その瞬間、僕の肩から力が抜け、何かが吹っ切れたような気がした。

そして、僕の決意は固まった。

「綾さん……」

「はい」

僕は綾さんと向かい合った。

「お願いします。あの二人の願いを叶えるために、あなたの生命……僕に預けてください」

すると、綾さんは満面の笑みを浮かべながら、大きく頷いた。

「喜んで」

それを聞いた次の瞬間、僕は思わず笑った。僕の笑い声につられて、綾さんも笑い出す。

「はははは……」

「ふふふふ……」

二人の笑い声が、冬の空に吸い込まれていく。

何となく、僕は奇跡が起きるような気がした。

……もちろん、根拠は何一つとしてないんだけど。



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