「僕はいいよ。それより、美雪ちゃんを!」
僕は美雪ちゃんの方を向いた。
「………零一お兄ちゃん」
美雪ちゃんの弱々しい声。
僕はその声を聞いた瞬間、胸が締め付けられるような感じがした。
この子を早く助けなきゃ!
僕はそう堅く心に誓った。
と、僕は部屋の異変に気が付いた。
……前よりも嫌な空気だ。
そう、部屋の空気が前にも増して澱んでいる。恐らく、美雪ちゃんに取り憑いている奴の影響なんだろう。
「零一君」
綾さんが僕の袖を軽く引っ張った。
「何ですか?」
「どうやら、敵は美雪ちゃんを一気に取り込もうとしているよ」
「取り込むって事は……」
僕の言葉に、綾さんは深く頷いた。
……もう、迷っている暇はない!
僕は本当の本当に腹を決めた。
「綾さん、お願いします!」
僕は美雪ちゃんの傍らに座ると、綾さんに合図を送った。
「じゃ、行くよ!」
そう言うと綾さんは、僕の頭に手をやって念じ始めた。
「う、うあああああああっ!」
僕の体の中を、不思議な感覚が駆けめぐる。
例えるならば、血液が凍ったような寒気の後に、無数の虫達が体の中をうごめくような感じ。
そんな嫌な感覚が数分間ぐらい続いていた。
そして、いつの間にか僕の意識は再び、どこかへと飛んでいた。
「初めまして」
「………」
僕は漆黒の闇の中、一人の霊と対峙していた。
見た目十代後半、僕や綾さんと同じくらいの年だろうか。
ちょっと古ぼけた着物に身を包んだ、純和風な感じを漂わしている少女だった。
………
静かな沈黙の時間が続く。
このままほっておけば、永遠にそれは続いてしまうだろう。
「どうして、美雪ちゃん……いや、この身体の主に乗り移って、苦しめていたんですか?」
僕は、単刀直入に聞いた。
すると、少女はゆっくりと口を開いた。
「……死にたくなかった…」
ボソッと呟いた少女の目からは、冷たく妖しい光が放たれている。
僕は、少女の放つ言葉の意味を何となくだけど、理解した。
どうやら、この少女は何らかの理由でこの世を去り、いろんな未練を残したまんま、亡霊と化し、更に、何らかの形で彼女は妖気を身につけた。
そして、どういう理由かは分からないけど、美雪ちゃんに取り憑いたというわけか。
でも、気になることが一つだけある。
何で、美雪ちゃんに乗り移ったんだろう?
「……君の未練のために、一人の何の罪もない女の子を犠牲にしてもいいのかい?」
僕はズバリと言い放つと、少女は一瞬怯んだ。
だが、すぐに切り返す。
「そんなことに比べたら、あたしの苦しみの方がずっとずっとずーっと大きいんだ!」
僕は、少女の目に妖しげな光が漂っているのに気が付いた。
自分勝手、甘え、恨みと言った負の感情を妖気で濃縮させた、人の数十倍は厄介な光だった。
「そう……か」
僕は軽く首を振った。
そして、一つ息を吸うと、ゆっくりと少女に言った。
「なら、僕の体を貸してあげるよ。別に誰の体でもいいんだろ?」
「え!」
その瞬間、少女の目がまん丸になった。
こいつ、何言ってるの?
少女の目から、そんな言葉が読みとれた。
「別に構わないさ。ただ、君が僕の体を使いこなせるかな?」
僕は冷笑を顔に浮かべると、少女をあざけるような言葉を放った。
普段の僕なら、死んでもしない。むしろ軽蔑するような言動だ。
すると、少女は怒りもあらわに叫んだ。
「やってやろうじゃないの!」
―――引っ掛かった!
その瞬間、僕は心の中でガッツポーズを取った。
綾さんが練った策というのがこれ。
相手を煽って、僕の体におびき寄せ、そして閉じこめてしまう。
要は、囮作戦って奴だ。
とりあえず、この策を実行したら、少なくとも傷つくのは僕一人だ。誰も傷つかない。
……ただ、僕の命の保証はされてないのが唯一の欠点なんだけど。
「じゃ、どうぞ」
そう言うと、僕は目を閉じ、身体の力を抜いた。
「馬鹿な奴……」
少女の声が僕の頭に響いてくる。
そして、僕の視界は三度、真っ白な光に覆われた。
光に包まれる間際、僕は綾さんに向けて叫んだ。
「綾さん、行きます!」
「行くよ、零一君……」
あたしは零一君のかたわらに腰掛けると、その胸に手を当てて、念じ始めた。
「…………この者の霊気を高めたまえ……」
その瞬間、零一君の身体が青い光を放ち始めた。
「ここは……?」
光が消えたとき、僕は奇妙な空間の中にいた。
何も見えないし、何も聞こえない。さらには、暖かいような、冷たいような、そんな奇妙な感覚が順番に僕の体を襲う。
この中に丸一日いたら、僕の精神、ぶっ壊れるんだろーな。
僕は、何となくそう思った。
だが次の瞬間、僕は見えない「何か」に振り回された。
例えるなら、大きなミキサーの中に閉じこめられて、そのままスイッチを入れられたような感じ。
「う、うぁぁぁぁぁぁっ!」
僕の叫び声が、奇妙な空間の中にこだまする。
どうやら少女は、僕の心の中で暴れ回っているようだ。
強がっていても、やはり僕の体を支配することは難しいらしい。
でも、その反動は確実に僕の体を蝕んでいく。
今のところは、その力は、綾さんに抑えられているので、とりあえずは大丈夫だろう。
後は、僕と少女の根比べ。
十分後、美雪ちゃんと零一君の体を、眩いまでの光が覆った。
「……う」
その光が消えた直後、美雪ちゃんの顔に赤みが戻った。
「やったー! 大成功!」
あたしは思わずガッツポーズを取った。
作戦成功!
言ってみれば、まさにその通りだろう。
「美雪ちゃん、大丈夫!?」
景一君は顔をくしゃくしゃにしながら、美雪ちゃんの手を強く握った。
「………大丈夫だよ……景ちゃん」
美雪ちゃんは、弱々しくもハッキリと言った。
「やっったぁぁぁ!」
浮かれモードの部屋の中。
だが、みんな肝心なことを忘れていた。
「綾さん、何やってるんですかぁぁぁぁ!」
僕は思いきり叫んだ。
その頃、僕は窮地に立たされていた。
いきなり、少女の力が激しくなって、僕の体を物凄いスピードで蝕み始めた。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ! 痛ぇぇぇぇぇぇっ!」
鋭い痛みが僕の体中に響き渡る。
少女への押さえとなるはずの綾さんが、その役目を忘れているんだろう。
そのせいで、僕は少女の負の力をもろに喰らうハメになっていた。
「綾さん、助けてぇぇぇぇぇ!」
僕は声の限り叫んだ。
助けてぇぇぇぇぇ…………………
闇の中、僕の叫びが空しく吸い込まれていく。
このままでは、間違いなくあの世行きだ…
僕の頭の中で、そんな結論が弾き出されていた。
僕にとって、まさに人生最大のピンチだった。
相変わらず馬鹿騒ぎムードの部屋の中。
「……あ」
ふとあたしは視線を、零一君へと向けた。
額からは一筋の冷汗が滲み出ている。
そして、零一君の顔を視界の中央に捉えた瞬間、
「ああああああ! 零一君のこと忘れてた!」
あたしは、両手で頭を抱えてそう叫んだ。
……またやってしまったー!
よりによって、二回も危険に遭わせてしまうなんて……
あたしは、自分のアホさを思いきり恨んだ。
『あ!』
景一君と美雪ちゃんの声がハモる。
瞬時の内に、部屋の空気が緊迫したものへと変わった。
「零一君! 大丈夫!?」
(零一君! 大丈夫!?)
綾さんの声が、僕の頭の中に響いた。 「大丈夫じゃ…………ありません」
僕は、微かな声でそう答える事しかできない。
既に僕の体力は限界を通り越していた。
全身がギシギシと音を立てて軋み、そして、土の中に埋められたかのように体の身動きがとれなくなっている。
おそらくそれは、少女の力に振り回された結果、僕の体にかかった負担なんだろう。
(とりあえず、今からまた奴を抑えるから!)
「……遅いよ。……綾さんの馬鹿」
僕は涙と共に、溜息を一つ吐き出した。
「これ以上振り回されたら………間違いなく、死ぬな」
僕はそう呟いて、目を閉じた。
既に、死ぬ覚悟は出来ている。怖くないと言ったら嘘だけど。
「…………さよなら、綾さん」
僕がそう呟いた時。
「………………あれ?」
その時、僕はあることに気付いた。
さっきまでと比べ、あきらかに勢いが弱まっている。
どう見ても、不自然だ。
「……ってことは…」
僕は軽く目を閉じて考える。
だが、すぐに僕の目は開かれた。
「……あの子の力が弱まっているのか?」
そうとしか思えない。
おそらく、綾さんが少女の力を抑えていたからだろう。
そして、僕が少女の攻撃に耐えきったんだ、そう思った。
ふと、僕を蝕んでいたものがかき消えた。
「………あ……」
僕の目の前に少女がその姿を現した。
いつの間にか辺りは、元の闇へと戻っていた。