〜5.零一の試練?〜


「景一君、待たせてゴメン」

「僕はいいよ。それより、美雪ちゃんを!」

僕は美雪ちゃんの方を向いた。

「………零一お兄ちゃん」

美雪ちゃんの弱々しい声。

僕はその声を聞いた瞬間、胸が締め付けられるような感じがした。

この子を早く助けなきゃ!

僕はそう堅く心に誓った。

と、僕は部屋の異変に気が付いた。

……前よりも嫌な空気だ。

そう、部屋の空気が前にも増して澱んでいる。恐らく、美雪ちゃんに取り憑いている奴の影響なんだろう。

「零一君」

綾さんが僕の袖を軽く引っ張った。

「何ですか?」

「どうやら、敵は美雪ちゃんを一気に取り込もうとしているよ」

「取り込むって事は……」

僕の言葉に、綾さんは深く頷いた。

……もう、迷っている暇はない!

僕は本当の本当に腹を決めた。


「綾さん、お願いします!」

僕は美雪ちゃんの傍らに座ると、綾さんに合図を送った。

「じゃ、行くよ!」

そう言うと綾さんは、僕の頭に手をやって念じ始めた。

「う、うあああああああっ!」

僕の体の中を、不思議な感覚が駆けめぐる。

例えるならば、血液が凍ったような寒気の後に、無数の虫達が体の中をうごめくような感じ。

そんな嫌な感覚が数分間ぐらい続いていた。

そして、いつの間にか僕の意識は再び、どこかへと飛んでいた。


「初めまして」

「………」

僕は漆黒の闇の中、一人の霊と対峙していた。

見た目十代後半、僕や綾さんと同じくらいの年だろうか。

ちょっと古ぼけた着物に身を包んだ、純和風な感じを漂わしている少女だった。

………

静かな沈黙の時間が続く。

このままほっておけば、永遠にそれは続いてしまうだろう。

「どうして、美雪ちゃん……いや、この身体の主に乗り移って、苦しめていたんですか?」

僕は、単刀直入に聞いた。

すると、少女はゆっくりと口を開いた。

「……死にたくなかった…」

ボソッと呟いた少女の目からは、冷たく妖しい光が放たれている。

僕は、少女の放つ言葉の意味を何となくだけど、理解した。

どうやら、この少女は何らかの理由でこの世を去り、いろんな未練を残したまんま、亡霊と化し、更に、何らかの形で彼女は妖気を身につけた。

そして、どういう理由かは分からないけど、美雪ちゃんに取り憑いたというわけか。

でも、気になることが一つだけある。

何で、美雪ちゃんに乗り移ったんだろう?

「……君の未練のために、一人の何の罪もない女の子を犠牲にしてもいいのかい?」

僕はズバリと言い放つと、少女は一瞬怯んだ。

だが、すぐに切り返す。

「そんなことに比べたら、あたしの苦しみの方がずっとずっとずーっと大きいんだ!」

僕は、少女の目に妖しげな光が漂っているのに気が付いた。

自分勝手、甘え、恨みと言った負の感情を妖気で濃縮させた、人の数十倍は厄介な光だった。

「そう……か」

僕は軽く首を振った。

そして、一つ息を吸うと、ゆっくりと少女に言った。

「なら、僕の体を貸してあげるよ。別に誰の体でもいいんだろ?」

「え!」

その瞬間、少女の目がまん丸になった。

こいつ、何言ってるの?

少女の目から、そんな言葉が読みとれた。

「別に構わないさ。ただ、君が僕の体を使いこなせるかな?」

僕は冷笑を顔に浮かべると、少女をあざけるような言葉を放った。

普段の僕なら、死んでもしない。むしろ軽蔑するような言動だ。

すると、少女は怒りもあらわに叫んだ。

「やってやろうじゃないの!」

―――引っ掛かった!

その瞬間、僕は心の中でガッツポーズを取った。

綾さんが練った策というのがこれ。

相手を煽って、僕の体におびき寄せ、そして閉じこめてしまう。

要は、囮作戦って奴だ。

とりあえず、この策を実行したら、少なくとも傷つくのは僕一人だ。誰も傷つかない。

……ただ、僕の命の保証はされてないのが唯一の欠点なんだけど。

「じゃ、どうぞ」

そう言うと、僕は目を閉じ、身体の力を抜いた。

「馬鹿な奴……」

少女の声が僕の頭に響いてくる。

そして、僕の視界は三度、真っ白な光に覆われた。

光に包まれる間際、僕は綾さんに向けて叫んだ。

「綾さん、行きます!」


「行くよ、零一君……」

あたしは零一君のかたわらに腰掛けると、その胸に手を当てて、念じ始めた。

「…………この者の霊気を高めたまえ……」

その瞬間、零一君の身体が青い光を放ち始めた。


「ここは……?」

光が消えたとき、僕は奇妙な空間の中にいた。

何も見えないし、何も聞こえない。さらには、暖かいような、冷たいような、そんな奇妙な感覚が順番に僕の体を襲う。

この中に丸一日いたら、僕の精神、ぶっ壊れるんだろーな。

僕は、何となくそう思った。

だが次の瞬間、僕は見えない「何か」に振り回された。

例えるなら、大きなミキサーの中に閉じこめられて、そのままスイッチを入れられたような感じ。

「う、うぁぁぁぁぁぁっ!」

僕の叫び声が、奇妙な空間の中にこだまする。

どうやら少女は、僕の心の中で暴れ回っているようだ。

強がっていても、やはり僕の体を支配することは難しいらしい。

でも、その反動は確実に僕の体を蝕んでいく。

今のところは、その力は、綾さんに抑えられているので、とりあえずは大丈夫だろう。

後は、僕と少女の根比べ。


十分後、美雪ちゃんと零一君の体を、眩いまでの光が覆った。

「……う」

その光が消えた直後、美雪ちゃんの顔に赤みが戻った。

「やったー! 大成功!」

あたしは思わずガッツポーズを取った。

作戦成功!

言ってみれば、まさにその通りだろう。

「美雪ちゃん、大丈夫!?」

景一君は顔をくしゃくしゃにしながら、美雪ちゃんの手を強く握った。

「………大丈夫だよ……景ちゃん」

美雪ちゃんは、弱々しくもハッキリと言った。

「やっったぁぁぁ!」

浮かれモードの部屋の中。

だが、みんな肝心なことを忘れていた。


「綾さん、何やってるんですかぁぁぁぁ!」

僕は思いきり叫んだ。

その頃、僕は窮地に立たされていた。

いきなり、少女の力が激しくなって、僕の体を物凄いスピードで蝕み始めた。

「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ! 痛ぇぇぇぇぇぇっ!」

鋭い痛みが僕の体中に響き渡る。

少女への押さえとなるはずの綾さんが、その役目を忘れているんだろう。

そのせいで、僕は少女の負の力をもろに喰らうハメになっていた。

「綾さん、助けてぇぇぇぇぇ!」

僕は声の限り叫んだ。

助けてぇぇぇぇぇ…………………

闇の中、僕の叫びが空しく吸い込まれていく。

このままでは、間違いなくあの世行きだ…

僕の頭の中で、そんな結論が弾き出されていた。

僕にとって、まさに人生最大のピンチだった。


相変わらず馬鹿騒ぎムードの部屋の中。

「……あ」

ふとあたしは視線を、零一君へと向けた。

額からは一筋の冷汗が滲み出ている。

そして、零一君の顔を視界の中央に捉えた瞬間、

「ああああああ! 零一君のこと忘れてた!」

あたしは、両手で頭を抱えてそう叫んだ。

……またやってしまったー!

よりによって、二回も危険に遭わせてしまうなんて……

あたしは、自分のアホさを思いきり恨んだ。

『あ!』

景一君と美雪ちゃんの声がハモる。

瞬時の内に、部屋の空気が緊迫したものへと変わった。

「零一君! 大丈夫!?」


(零一君! 大丈夫!?)

綾さんの声が、僕の頭の中に響いた。 「大丈夫じゃ…………ありません」

僕は、微かな声でそう答える事しかできない。

既に僕の体力は限界を通り越していた。

全身がギシギシと音を立てて軋み、そして、土の中に埋められたかのように体の身動きがとれなくなっている。

おそらくそれは、少女の力に振り回された結果、僕の体にかかった負担なんだろう。

(とりあえず、今からまた奴を抑えるから!)

「……遅いよ。……綾さんの馬鹿」

僕は涙と共に、溜息を一つ吐き出した。

「これ以上振り回されたら………間違いなく、死ぬな」

僕はそう呟いて、目を閉じた。

既に、死ぬ覚悟は出来ている。怖くないと言ったら嘘だけど。

「…………さよなら、綾さん」

僕がそう呟いた時。

「………………あれ?」

その時、僕はあることに気付いた。

さっきまでと比べ、あきらかに勢いが弱まっている。

どう見ても、不自然だ。

「……ってことは…」

僕は軽く目を閉じて考える。

だが、すぐに僕の目は開かれた。

「……あの子の力が弱まっているのか?」

そうとしか思えない。

おそらく、綾さんが少女の力を抑えていたからだろう。

そして、僕が少女の攻撃に耐えきったんだ、そう思った。

ふと、僕を蝕んでいたものがかき消えた。

「………あ……」

僕の目の前に少女がその姿を現した。

いつの間にか辺りは、元の闇へと戻っていた。



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