〜3.綾のチカラ〜


「ここが、美雪ちゃんち」

そう言うと景一君は、目の前の赤い屋根の家を指差した。

「じゃ、入ってみますか」

早速、僕らは美雪ちゃんの家に入った。

「いらっしゃい、景一君……」

家の中に入るやいなや、美雪ちゃんの母親が現れた。

かなりの美人なんだけど、かなり精神的に参っているのが、僕にもすぐに分かった。

その原因が、美雪ちゃんのことだというのも。

「景一君、そちらの二人は……?」

美雪ちゃんの母親は、そう言うと僕らに目を向けた。

「えっとね、美雪ちゃんのビョーキを何とかしてくれる人だよ! 雪子おばちゃん!」

「あ、えっと……脇坂綾です」

「助手の藤崎零一です」

僕らはすぐに雪子さんに挨拶した。

「ああ、そうですか…。ならどうぞ」

精神的に参っている影響か、雪子さんは疑う様子もなく、すぐに僕らを美雪ちゃんの部屋まで案内してくれた。


「美雪ちゃん!」

「ぅ……景ちゃん……」

美雪ちゃんの部屋。

そこに入った瞬間、僕らは異様な空気を感じていた。

「零一君…。ここ、かなりやばいよ」

綾さんが、僕にそっと耳打ちする。

僕は、部屋を見回してみた。

普通の小学生の部屋だ。特に変わったところはない。

だがこの時、僕は妙な感じにとらわれていた。

何でだろう? 拒まれているような気がするのは…。

「景ちゃん、その人達は……?」

美雪ちゃんは微かな声で、そう聞いてきた。

「えっとね、この人達は……」

「あなたを助けるために来たの。あたしの名前は、脇坂綾。で、彼は助手の藤崎零一君」

綾さんが、うまく言葉の穂をつないだ。

というよりか、割って入ったといった方が正しいだろう。


と、その時だった。

「うぅっ……!」

美雪ちゃんが突如苦しみ始めた。

脂汗を全身に滲ませ、激痛と高熱に耐えられないのか、苦悶の表情を浮かべてベットの上を転がる美雪ちゃん。

瞬時に、部屋の中に緊迫した空気が走る。

「お、お姉ちゃん!」

「…助けて……!」

景一君と、美雪ちゃんの声が同時に僕の耳に入った。

「綾さん!」

僕は反射的に叫んだ。

と同時に、僕は自分の目を疑った。

「な、何だ!?」

そう。僕の目の前には、黒い影が立っていたんだ。

高さにして、2メートル強。

人間の形をしたその影からは、凄まじいまでの怨念が湧き出ているのが、僕にも分かった。

「………………憎い………」

影が何か呟いた。

「……え?」

「悪霊よ、退きたまえ!」

ボワァッ!

綾さんの声と共に、その影は、陽炎のようにかき消えた。

「……手強い霊だわ。あたしだけじゃ、無理かも知れない」

霊が去った部屋。綾さんがポツリと言った言葉。

それを聞いた瞬間、僕はようやく気付いた。

自分がとんでもなく危険な流れに巻き込まれたと言うことに。

それを証明してるかのように、僕の額には、一筋の冷汗が流れていた。


美雪ちゃんの家を出て、景一君と別れた後。

僕らは公園にいた。

空はすでにオレンジ色に染まり、夜の訪れを告げようとしている。

「綾さん、今のは……何だったんですか?」

僕は意を決して綾さんに聞いた。

その瞬間、綾さんが一変した。

「……聞きたいの?」

綾さんの声を聞いた瞬間、僕の体に寒気が走った。

氷のような冷たい、感情のない声。

本当に……綾さんなのか?

いきなりの変貌振りに、僕は思わず息を呑んだ。

「……はい」

数秒の間を置いて、再び綾さんの口が開いた。

「……零一君。この先を聞いたら君は、もう元の世界には帰れないかも知れないよ? 君にその覚悟はあるの?」

綾さんの言葉は、どこか僕を止めようとしているような感じだった。

「………」

僕は腕組みをして考え込んだ。

綾さんは、僕を止めようとしているのか? 何のために?

それほど性能が良くない頭を振り絞って考える僕。

綾さんはそんな僕を、氷のような冷たい視線で見ている。

そのまま、数分の時が経った。

いつの間にか日は暮れ、辺り一面が闇に包まれている。

不意に、一陣の冷たい夜風が吹いた。

その時、僕は気付いた。

「そうか……」

綾さんは、今僕らが生きている世界とは別次元の何かと関わって生きている。多分一人で。

そんなんだから、僕をこれ以上関わらせたくないんだな…きっと。

その瞬間、僕の腹は決まった。

「綾さん」

「…はい」

僕は、綾さんの目を見た。

相変わらず綾さんは、氷のような冷たい目で僕を見ている。

一呼吸の沈黙。

そして、僕の口は開かれた。

「……覚悟は出来ました。だから、教えてください」

すると、綾さんは仕方ないな、って感じに首を左右に振った。

「馬鹿だね、零一君……」

呆れた風に言う綾さん。

でも、その頬に一筋の涙が流れていたことを、僕は知っていた。

それがどういう涙なのかは分からない。


「口で言うより、実際に見せた方が早いから」

綾さんはそう言うと、僕をそばのベンチに腰掛けるように言った。

僕は、綾さんの言うままにベンチに腰掛ける。

「それじゃ、始めるよ」

「はい」

完全に闇に包まれた公園。

街灯の明かりと、雲の間から僅かに見えている月の明かりが、僕らをほのかに照らしている。

「んーと、じゃちょっと失礼」

そう言うと綾さんは、僕の後頭部に手を当てた。

僕は黙って目を閉じた。

目を閉じていると、何だか体が熱くなってきた。

「零一君、目の前に何か見えてこない?」

そして、綾さんの声を合図に、僕は目を開けた。

「……ッ!」

瞬間、僕の背筋に寒気が走った。

「ぼ、亡霊……?」

そう、僕の目の前には、たくさんの霊達がうろついていたんだ。

「そうよ」

綾さんはそう答える。

………

目の前に広がる、にわかには信じがたい光景に、僕の思考回路は一瞬ショートした。


と、その時。

「カラダ………ヨコセェェェェェ……!」

「ヨコセェェェェ………!」

禍々しい声と共に、僕目がけて無数の亡霊達が迫ってきた。

「な、何だぁっ!? こいつら?」

僕は逃げようとした。

「ノガスモノカァァァ………!」

その時、先頭をゆく亡霊が黒い光を放った。 「うっ!」

その光を浴びた瞬間、僕の体は動かなくなった。

「そ、そんな馬鹿な……!」

どんどん亡霊達は僕に迫ってくる。

僕の顔が恐怖と絶望に染まっていくのが、自分でも分かった。

「あ、綾さ―――――――ん!」

「零一君!」

次の瞬間、僕の目の前で信じられない光景が映し出された。

「う、嘘……」

そう。僕の目の前で、綾さんが一人亡霊達を薙ぎ払っていたんだ。

どこに隠し持っていたのかは分からないが、綾さんは薙刀を持って戦っていた。

華麗に宙を舞い、相手の隙をついて一気に薙ぎ払う。その華麗な戦い方に、僕は不覚にも見とれてしまった。

時間にして、僅か数分後。

戦いは終わった。

気が付くと、いつの間にか僕の体は自由になっていた。

「綾……さん?」

僕は、呆然とした面持ちで綾さんを見ていた。

綾さんは額の汗をハンカチでぬぐうと、口を開いた。

「……零一君、あたしがいるのはこんな世界なんだよ?」

そう綾さんが言った次の瞬間、綾さんは地面に崩れ落ちていた。

「綾さん!」

僕は慌てて、綾さんの元に駆け寄った。

「綾さん! 大丈夫ですか!?」

僕は、綾さんを抱え起こした。

その時、僕は綾さんが死んだんじゃないか、そう思っていた。

抱え起こすその瞬間までは。

だが次の瞬間、それはあっさりと裏切られた。

「く―――――――」

「へ?」

どこからともなく聞こえてくる、穏やかな寝息。

「す――――――」

それが、綾さんから出ていると言うことに気付くには、それほどの時間を要しなかった。

どうやら、寝てしまったらしい。

「よ、良かった〜〜」

僕はホッと胸をなで下ろした。

でも、熟睡した綾さんをどうしようか。

僕はそう思った。

だが、僕は綾さんの家を知らない。

「しょうがない。僕んちに運ぼう」

僕は一つ溜息を吐いた。

そして綾さんを背負うと、ゆっくりと家路に就いた。

その途中、僕は体中に異様な寒気を感じていた。

それが、僕に降りかかった災いの前兆だと言うことはまだ知らない。


その夜、僕は部屋のベランダから夜空を眺めていた。

「綾さん、大変なんだな……」

僕は空を見上げながら呟いた。

「たった一人で、あんな世界に関わってたのかな?」

部屋の中には、綾さんが静かに眠っている。

起こすのも何だから、僕はさっきからこうして外に出ていた。

「でも、僕も関わっちゃったんだよな……」

確かにさっき、綾さんに言った一言。

『……覚悟は出来ました。だから、教えてください』

その言葉を自らの口から放った以上、もはや逃げは効かないだろう。

いや、逃げるわけにはいかない。

「だったら……」

僕は軽く首を振った。

「今んとこは、なるままになってみようか……」

結局のところ、楽観的なところは変わってないようだ。

でも、それが僕なわけで。

僕は苦笑いを顔に浮かべると、改めて空を見上げた。

すると、それを待っていたかのように、流れ星が一つ、冬の空に消えていった。


翌朝。

「あれ……何で零一君がいるの?」

眠たげな顔で僕に綾さんはそう聞いてきた。

「綾さん、昨日のこと、覚えてないの?」

すると、綾さんは何かを思い出したかのように、ポンと手を叩いた。

「あ、そうか。ゴメンねー」

「別にいいですよ。それより……!」

まさにその時だった。

僕の体に異変が起こったのは。

いきなり目の前の景色が歪んでいく。

「れ、零一君!」

綾さんの声だ。

その声がどんどん遠くへと遠ざかっていく。

そのまま、僕の意識は途絶えた。



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