そう言うと景一君は、目の前の赤い屋根の家を指差した。
「じゃ、入ってみますか」
早速、僕らは美雪ちゃんの家に入った。
「いらっしゃい、景一君……」
家の中に入るやいなや、美雪ちゃんの母親が現れた。
かなりの美人なんだけど、かなり精神的に参っているのが、僕にもすぐに分かった。
その原因が、美雪ちゃんのことだというのも。
「景一君、そちらの二人は……?」
美雪ちゃんの母親は、そう言うと僕らに目を向けた。
「えっとね、美雪ちゃんのビョーキを何とかしてくれる人だよ! 雪子おばちゃん!」
「あ、えっと……脇坂綾です」
「助手の藤崎零一です」
僕らはすぐに雪子さんに挨拶した。
「ああ、そうですか…。ならどうぞ」
精神的に参っている影響か、雪子さんは疑う様子もなく、すぐに僕らを美雪ちゃんの部屋まで案内してくれた。
「美雪ちゃん!」
「ぅ……景ちゃん……」
美雪ちゃんの部屋。
そこに入った瞬間、僕らは異様な空気を感じていた。
「零一君…。ここ、かなりやばいよ」
綾さんが、僕にそっと耳打ちする。
僕は、部屋を見回してみた。
普通の小学生の部屋だ。特に変わったところはない。
だがこの時、僕は妙な感じにとらわれていた。
何でだろう? 拒まれているような気がするのは…。
「景ちゃん、その人達は……?」
美雪ちゃんは微かな声で、そう聞いてきた。
「えっとね、この人達は……」
「あなたを助けるために来たの。あたしの名前は、脇坂綾。で、彼は助手の藤崎零一君」
綾さんが、うまく言葉の穂をつないだ。
というよりか、割って入ったといった方が正しいだろう。
と、その時だった。
「うぅっ……!」
美雪ちゃんが突如苦しみ始めた。
脂汗を全身に滲ませ、激痛と高熱に耐えられないのか、苦悶の表情を浮かべてベットの上を転がる美雪ちゃん。
瞬時に、部屋の中に緊迫した空気が走る。
「お、お姉ちゃん!」
「…助けて……!」
景一君と、美雪ちゃんの声が同時に僕の耳に入った。
「綾さん!」
僕は反射的に叫んだ。
と同時に、僕は自分の目を疑った。
「な、何だ!?」
そう。僕の目の前には、黒い影が立っていたんだ。
高さにして、2メートル強。
人間の形をしたその影からは、凄まじいまでの怨念が湧き出ているのが、僕にも分かった。
「………………憎い………」
影が何か呟いた。
「……え?」
「悪霊よ、退きたまえ!」
ボワァッ!
綾さんの声と共に、その影は、陽炎のようにかき消えた。
「……手強い霊だわ。あたしだけじゃ、無理かも知れない」
霊が去った部屋。綾さんがポツリと言った言葉。
それを聞いた瞬間、僕はようやく気付いた。
自分がとんでもなく危険な流れに巻き込まれたと言うことに。
それを証明してるかのように、僕の額には、一筋の冷汗が流れていた。
美雪ちゃんの家を出て、景一君と別れた後。
僕らは公園にいた。
空はすでにオレンジ色に染まり、夜の訪れを告げようとしている。
「綾さん、今のは……何だったんですか?」
僕は意を決して綾さんに聞いた。
その瞬間、綾さんが一変した。
「……聞きたいの?」
綾さんの声を聞いた瞬間、僕の体に寒気が走った。
氷のような冷たい、感情のない声。
本当に……綾さんなのか?
いきなりの変貌振りに、僕は思わず息を呑んだ。
「……はい」
数秒の間を置いて、再び綾さんの口が開いた。
「……零一君。この先を聞いたら君は、もう元の世界には帰れないかも知れないよ? 君にその覚悟はあるの?」
綾さんの言葉は、どこか僕を止めようとしているような感じだった。
「………」
僕は腕組みをして考え込んだ。
綾さんは、僕を止めようとしているのか? 何のために?
それほど性能が良くない頭を振り絞って考える僕。
綾さんはそんな僕を、氷のような冷たい視線で見ている。
そのまま、数分の時が経った。
いつの間にか日は暮れ、辺り一面が闇に包まれている。
不意に、一陣の冷たい夜風が吹いた。
その時、僕は気付いた。
「そうか……」
綾さんは、今僕らが生きている世界とは別次元の何かと関わって生きている。多分一人で。
そんなんだから、僕をこれ以上関わらせたくないんだな…きっと。
その瞬間、僕の腹は決まった。
「綾さん」
「…はい」
僕は、綾さんの目を見た。
相変わらず綾さんは、氷のような冷たい目で僕を見ている。
一呼吸の沈黙。
そして、僕の口は開かれた。
「……覚悟は出来ました。だから、教えてください」
すると、綾さんは仕方ないな、って感じに首を左右に振った。
「馬鹿だね、零一君……」
呆れた風に言う綾さん。
でも、その頬に一筋の涙が流れていたことを、僕は知っていた。
それがどういう涙なのかは分からない。
「口で言うより、実際に見せた方が早いから」
綾さんはそう言うと、僕をそばのベンチに腰掛けるように言った。
僕は、綾さんの言うままにベンチに腰掛ける。
「それじゃ、始めるよ」
「はい」
完全に闇に包まれた公園。
街灯の明かりと、雲の間から僅かに見えている月の明かりが、僕らをほのかに照らしている。
「んーと、じゃちょっと失礼」
そう言うと綾さんは、僕の後頭部に手を当てた。
僕は黙って目を閉じた。
目を閉じていると、何だか体が熱くなってきた。
「零一君、目の前に何か見えてこない?」
そして、綾さんの声を合図に、僕は目を開けた。
「……ッ!」
瞬間、僕の背筋に寒気が走った。
「ぼ、亡霊……?」
そう、僕の目の前には、たくさんの霊達がうろついていたんだ。
「そうよ」
綾さんはそう答える。
………
目の前に広がる、にわかには信じがたい光景に、僕の思考回路は一瞬ショートした。
と、その時。
「カラダ………ヨコセェェェェェ……!」
「ヨコセェェェェ………!」
禍々しい声と共に、僕目がけて無数の亡霊達が迫ってきた。
「な、何だぁっ!? こいつら?」
僕は逃げようとした。
「ノガスモノカァァァ………!」
その時、先頭をゆく亡霊が黒い光を放った。 「うっ!」
その光を浴びた瞬間、僕の体は動かなくなった。
「そ、そんな馬鹿な……!」
どんどん亡霊達は僕に迫ってくる。
僕の顔が恐怖と絶望に染まっていくのが、自分でも分かった。
「あ、綾さ―――――――ん!」
「零一君!」
次の瞬間、僕の目の前で信じられない光景が映し出された。
「う、嘘……」
そう。僕の目の前で、綾さんが一人亡霊達を薙ぎ払っていたんだ。
どこに隠し持っていたのかは分からないが、綾さんは薙刀を持って戦っていた。
華麗に宙を舞い、相手の隙をついて一気に薙ぎ払う。その華麗な戦い方に、僕は不覚にも見とれてしまった。
時間にして、僅か数分後。
戦いは終わった。
気が付くと、いつの間にか僕の体は自由になっていた。
「綾……さん?」
僕は、呆然とした面持ちで綾さんを見ていた。
綾さんは額の汗をハンカチでぬぐうと、口を開いた。
「……零一君、あたしがいるのはこんな世界なんだよ?」
そう綾さんが言った次の瞬間、綾さんは地面に崩れ落ちていた。
「綾さん!」
僕は慌てて、綾さんの元に駆け寄った。
「綾さん! 大丈夫ですか!?」
僕は、綾さんを抱え起こした。
その時、僕は綾さんが死んだんじゃないか、そう思っていた。
抱え起こすその瞬間までは。
だが次の瞬間、それはあっさりと裏切られた。
「く―――――――」
「へ?」
どこからともなく聞こえてくる、穏やかな寝息。
「す――――――」
それが、綾さんから出ていると言うことに気付くには、それほどの時間を要しなかった。
どうやら、寝てしまったらしい。
「よ、良かった〜〜」
僕はホッと胸をなで下ろした。
でも、熟睡した綾さんをどうしようか。
僕はそう思った。
だが、僕は綾さんの家を知らない。
「しょうがない。僕んちに運ぼう」
僕は一つ溜息を吐いた。
そして綾さんを背負うと、ゆっくりと家路に就いた。
その途中、僕は体中に異様な寒気を感じていた。
それが、僕に降りかかった災いの前兆だと言うことはまだ知らない。
その夜、僕は部屋のベランダから夜空を眺めていた。
「綾さん、大変なんだな……」
僕は空を見上げながら呟いた。
「たった一人で、あんな世界に関わってたのかな?」
部屋の中には、綾さんが静かに眠っている。
起こすのも何だから、僕はさっきからこうして外に出ていた。
「でも、僕も関わっちゃったんだよな……」
確かにさっき、綾さんに言った一言。
『……覚悟は出来ました。だから、教えてください』
その言葉を自らの口から放った以上、もはや逃げは効かないだろう。
いや、逃げるわけにはいかない。
「だったら……」
僕は軽く首を振った。
「今んとこは、なるままになってみようか……」
結局のところ、楽観的なところは変わってないようだ。
でも、それが僕なわけで。
僕は苦笑いを顔に浮かべると、改めて空を見上げた。
すると、それを待っていたかのように、流れ星が一つ、冬の空に消えていった。
翌朝。
「あれ……何で零一君がいるの?」
眠たげな顔で僕に綾さんはそう聞いてきた。
「綾さん、昨日のこと、覚えてないの?」
すると、綾さんは何かを思い出したかのように、ポンと手を叩いた。
「あ、そうか。ゴメンねー」
「別にいいですよ。それより……!」
まさにその時だった。
僕の体に異変が起こったのは。
いきなり目の前の景色が歪んでいく。
「れ、零一君!」
綾さんの声だ。
その声がどんどん遠くへと遠ざかっていく。
そのまま、僕の意識は途絶えた。