〜1.黄泉がえり〜


チャラララ……。

携帯の着信音が聞こえる。

「はい、藤崎です」

僕はいつものようにツーコール待ってから出る。

「あ、零一? 今日暇?」

電話の向こうからは、いつもの人とは違う、別の人物の声がする。

いつもより、ちょっと甲高い声。

「暇だけど」

僕は頭の中でスケジュールを確かめ、返事する。

今日は特に用事もない。

「なら、いつものとこで。玖島も一緒だから!」

「分かった。車に気をつけてな、舞」

僕は少女の名前を呼んだ。

「いつもボーっとしてる零一には言われたくないけどね」

「ははは。じゃ、準備してからすぐに行くよ」

「うん!」

電話が切れた。


僕はふと外に目をやる。

「もう、冬か………」

僕があの人と会ってから、既に1年が経とうとしていた。

……そういえば、あの人と会う前って、こんな感じだったっけな。

僕は自嘲気味に笑うと、上着を羽織り、外に出た。

…………肩のとこにいる気配を感じ損ねて。


いつもの場所。

喫茶『With』。

いつも僕が居つくここの、その入り口のとこで。

『あ』

僕は友人に出会った。

「お、藤崎、久し振り!」

僕とは全く正反対で、すっきりとした短髪に、意志の強そうな目をしている。

彼の名は玖島祐一(くしま ゆういち)。僕とは高校からの腐れ縁だったりする。

「そうだね」

相変わらず元気な玖島に、僕は「相変わらずだね」と呟いて、苦笑する。

「まぁ、寒いから中に入ろうぜ」

「うん」

さすがに寒い外で立ち話する気にはなれない。

僕らはとっととノブに手をかけ、店の中に入った。


店内はほんのりと暖房が効いていた。

「えっと……」

「あ、零一! ここ!」

声のするほうに目をやる。

すると、キツネ目の、ちょっと背の高い少女が、手招きしてる。

「やぁ、舞」

僕は手を上げて答える。

彼女の名は上月舞(こうづき まい)。玖島同様、高校時からの腐れ縁である。

「あ。玖島も一緒だったんだぁ」

「うん、ちょうどそこで出会ってね」

早速、話に花が咲く。

「あらあら、久し振りの取り合わせね」

いつの間にか僕の脇まで来ていたウェイトレスがくすっと笑った。

見た目二十代後半の女性。白いカチューシャが特徴的なおしとやかな女性。

「あ……祐理(ゆり)さん」

僕はウェイトレスの名を呼んだ。

「三人とも、いつものでいいよね?」

『はい』

三人の返事がハモる。


と、その時。

―――零君?

「……………げっ」

僕は一瞬ビクッとした。

背後から聞こえてくるおなじみの声。

でも、その声は普段よりもやや冷たい感じがする。

「どしたの?」

舞の声に、

「い、いや気のせ」

―――………れーいーくーーん?

その瞬間、僕は確かに感じていた。

自分の肩に急に体重がかかるのを。

自分のすぐ隣に気配を感じるのも。

………そして、気付いた時にはその胸倉つかまれていることも。

「………澪(みお)ちゃん」

僕がそう呟くのと。

『え…………!?』

玖島と舞、それに祐理さんが小さく叫ぶのと。

「何であたしに黙ってどこか行こうとしてたのかな?」

何も無いところから、急に少女が現れたのが。

全てが同時だった。


「零君、どこか行くんだったら一言ぐらい言ってよ!」

澪ちゃんは僕の胸倉から手を離すと、ぽかぽかと僕の頭を殴りつけてきた。

威力は低いけど、それでも結構痛い。

「み、澪ちゃん! ごめん、ごめんって!」

姿すら見せなかったくせに、無茶苦茶なことを言う。

ある意味不条理な澪ちゃんの攻撃を受けつつ、僕は思わずため息を吐く。

と。

僕の目に、目を丸くし、呆然とした3人の姿が映った。

「………藤崎? 今のってなんなんだ?」

「………なんか肩のあたりに幽霊っぽい物がいると思ったら、急にいきなり現れるし……」

二人の声が耳に届き、僕は自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。

――ま、まずい…………

僕はとっさにそう感じた。

「え、えっと…………こコレはその…」

「零君………もしかして、今って出てきちゃまずかった?」

ようやく事態を飲み込めた澪ちゃんに、

「…………もう遅いって……」

僕は思い切り大きなため息を再び吐いた。気のせいか、頭痛もする。

「えっと、舞ちゃんだったよね………」

「うん」

澪ちゃんは一瞬躊躇したが、真剣なまなざしになると、

「見てた?」

「うん」

舞はあっさりと頷いた。

「て言うか、お前と幽霊がペアだと、凄く自然に感じる……」

『…………』

玖島の言葉に、僕と澪ちゃんは再び顔を見合わせた。

『…………こういう事もあるんだ………』

呟いた言葉も全く同じだった。


僕の名は藤崎零一(ふじさき れいいち)。世間一般的な大学生………だと思う。

そして、横にいるのが澪ちゃん。

……一言で言ってしまえば、彼女は幽霊だ。

本来なら、間違いなく、この世に、ましてや、何も無い所から急に実体化するなんてまずありえない。

じゃあ、何故彼女がここにいるのか?

それは話すと物凄く長いと思うので、やめておく。


と、その時。

「……………れーいちくーーーん♪」

ビクゥゥゥゥゥッ!

何の前触れもなく、背後から物凄く甘ったるいトーンの声がした。

だが、そのトーンの裏側に、凄まじいほどの殺意がこもっている。

その場の空気が一瞬にして緊迫した物に変わった。

「れ、零一……な、何でそんなに震えてるの……?」

「そ、そうだって、し、しかも涙まで出てるし」

そういう舞も玖島も震えている。

よっぽど恐ろしい物を見たらしい。

「み…………澪ちゃん……」

「な、何…? れ、零君………?」

僕は真っ青な顔で澪ちゃんの顔を見た。

澪ちゃんは、目に涙を浮かべて、僕を見返した。

「……………ななな、何で泣いてるの?」

「れれれ、零君こそ……」

「………零一君」

次の瞬間、僕の背筋に冷たい物が走った。

「も、もしかして………」

オイル切れの歯車みたいにギリギリと首を後ろに向ける僕。

気絶できるのだったら、今すぐ気絶したかった。


「零一君、こんなところで何してるのかな?」

振り向いたその先にいたのは、一人の少女だった。

茶髪の可愛い系の少女。

ニコニコと屈託なく笑うその顔だが、目だけとてつもなく鋭い光を放っている。

彼女の名は脇坂綾(わきさか あや)。

僕との関係は…………あんまりいい思い出がないんで答えたくない。

「え………あ………えっと、その………」

僕が返答に詰まったのが気に食わなかったのか、それとも、一人だけ蚊帳の外に置かれたのが気に入らなかったのか、いきなり綾さんは僕の胸倉をつかみ、ブンブンと前後に振り始めた。

「わ、わ、わ!」

「な〜ん〜であたしを放っといて、なにしようとしてたのかな?」

「れ、零一!」

いち早く我に帰った舞が綾さんを止めようとする。

だが、それが綾さんの癇に障ったらしく、逆に力が強くなってしまった。

「零一君、この子誰?」

ギロリと睨んできた綾さんの顔は、正に鬼と呼ぶに相応しくて。

「ぼ、僕の昔馴染みですぅぅぅぅ!」

僕は意識飛びそうなのを必死にこらえ、質問に答えた。


「綾ちゃん、その辺で止めてね」

僕の危機を救ってくれたのは、祐理さんだった。

「………じゃないと、ココア禁止」

「ごめんね、零一君」

綾さんが瞬間、ぱっと手を離した。

僕はソファーに倒れこみ、ほっと息をつく。

『ココア禁止』。

ここのココアが大好きな綾さんにとって、それは命にも関わることらしい。

「………」

僕は呼吸を整えると、恐る恐る綾さんに尋ねた。

「で、綾さん、今日は一体何の用ですか?」

「あぁ、今日もお仕事入ったから、零一君に手伝ってもらおうかと思って」

満面の笑顔で告げられた言葉は、いつもと全く同じで。

でも目を見ると、やはり、微妙な威圧感を浮かべている。

「………零一、この子誰?」

当然の質問を舞が吐いた。

「えっと……」

口ごもる僕。

「あたし、脇坂綾。零一くんにはお仕事手伝ってもらってるの」

「ふぅん………お仕事ねぇ」

胡散臭そうな目で綾さんを見る舞。

「ところでそっちは?」

今度は綾さんが尋ねてきた。

………話し聞いてなかったのか、この人は………

まぁ、血が上ってる時には何を言っても無駄なのだから、しょうがないのだと思い直した。

「えっと」

「私は上月舞。零一のモトカノって奴」

「!」

一瞬、その場の時が止まった。

「………零一くん?」

綾さんの表情が再び鬼のそれになる。

「な、何言ってるんだよ……舞……」

僕はようやくかすれた声を上げた。

「冗談よ。零一のモトカノっていえば………」

と、そこで舞の声が途切れた。

僕の表情がいつに無く険しくなったのに気付いたらしい。


「………ゴメン、零一」

「………いいよ。別に」

僕は無理やり笑顔を作った。


その時、僕の脳裏に一人の少女の姿が浮かび上がった。


フラッシュバック。


僕にしか見せない満面の笑みを浮かべて。


僕にしか心を開かないって言ってた、その証拠の笑顔を。


でも。


どんなに逢いたくても、あいつは僕と二度と逢う事は出来ない所に行ったんだ。


どんなに想い焦がれても、その手に、その体に触れることも出来ないところに。


我慢していたつもりだったけど、


もう諦めたつもりだったけど。


その時、僕はいつの間にか流れている雫に気付き、そっとぬぐう。

………ちょっと辛くなった。


「それで、今日の仕事は何ですか?」

脳裏に浮かんだあいつの事から離れようと、僕は綾さんに尋ねた。

「んーとね……」

と、その時。

――――零一………先輩………

「ん?」

ふと、背後に気配を感じたような気がした。

―――――零一先輩………

「れ、零一……」

「え?」

舞の表情が凍り付いている。

「零一先輩……」

耳元にささやき声。

そして、澪ちゃんや真夜が傍にいる時、いつも感じている、幽霊独特の『気配』が背中に張り付くように。

一瞬の沈黙。


そして次の瞬間。

『霞ッ!!????』

舞と玖島が同時に叫んだ。

その顔は驚愕の色で染められている。

「零一先輩………」

僕はその声を聞いた瞬間、驚くと同時に、不思議な安堵感を感じていた。

「か………霞………?」

久し振りに呼ぶその名前。


次の瞬間、背中に張っていた気配が、消えた。

と思ったら。

「………!」

気が付くと、目の前に一人の少女がいた。

身長は大体160センチぐらい。どちらかといえば可愛い系の顔。いかにも弱気で恥ずかしがりやそうな、バレッタで髪を止めている少女。

儚げなその表情を見た瞬間、目の前が急に歪んだ。

いや、無意識のうちに、涙を流していた。

「霞………?」

僕は少女の名前を呟いた。

「零一先輩……」

突如、目の前に現れた光景に、僕の頭の中は真っ白になった。


「………ねぇ………あの娘、零一くんの何なの?」

物凄く不機嫌な顔をした綾さんが、舞に尋ねた。

「霞………」

「ねぇ……」

今度は玖島に尋ねる。

「………嘘だろ……?」

「ねぇってば!」

ラチがあかないと悟ったのか、綾さんが舞の襟首をつかんだ。

「な、何よ」

「あの娘、零一くんの何!?」

「…………零一………」

どこか沈んだ舞の声で、ようやく僕は我に帰った。


「零一くん、その娘、零一くんの何なの!?」

かなり不機嫌そうな声の綾さん。

「………僕の元彼女です……」

僕はそう言うと、ちらりと霞を見た。

「………雪崎霞(ゆきざき かすみ)です………」

霞は消えそうな声で答えた。

「玖島先輩、舞先輩……御久し振りです」

「あ、ああ…」

「霞……」

二人も、僕と同じく、戸惑いを隠せなかった。



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