一見特徴のない、どこにいるような普通の青年。
しかし最近、かなり変わった世界に足を踏み込むハメになってしまったという、自分で言うのもなんだけど、ある意味不幸な青年だ。
「それにしても、涼しくなってきたよね」
後ろにちょこんと座っている少女がしみじみと呟く。
茶髪の可愛い系の少女。どことなく変わり者のオーラが放たれている。
彼女の名は脇坂綾。何を隠そう、僕を変わった世界に連れ込んだ張本人である。
河原沿いの道。太陽は既に沈み、涼しい夜風が昼の暑さを耐え抜いた僕らを柔らかく癒す。
「そうですね」
振り返らずに僕は答えた。
確かに、ちょっと前まではこの時間でも暑かった。
でも、いつの間にか風は涼しく、夏の面影はいつの間にか影を潜めていた。
道ばたの草むらには、いつの間にかススキが現れ、風に揺れている。
……もう、秋なんだなぁ……
僕は季節のしみじみと移り変わりを感じた。
「零一君、ちょっと止めて!」
家まで後数分といった辺りで、不意に、綾さんが叫んだ。
「どうしたんですか?」
自転車を止め、僕は振り向いた。
「零一君、あれ」
そう言うと、綾さんは天を指差した。
釣られるように、僕も空を見上げる。
「わぁ……」
……思わず、声が出てしまった
雲一つ無い夜空、見事な満月が浮かび、静かに光をたたえている。
その姿は、思わず声を出してしまうくらい、立派だったんだ。
「あ……そう言えば今日は十五夜でしたね」
そう自分で言って、僕は時計に目をやった。
九月十五日。確かに中秋の名月だ。
「そうか、十五夜か」
僕はしみじみと一人呟いた。
もっとも、何となく呟いてみただけなのだが。
「……零一君」
「何ですか?」
綾さんはニヤリと笑うと、どこに隠していたのか、袋を付きだしてきた。
僕は受け取ると袋の中身を見た。
「おっ!」
中身を見た瞬間、僕の顔が心なしか少し綻んだ。
「……ちょうどあそこの辺りに階段がありますね。そこに腰掛けたらちょうどいいかも」
「OK! じゃ、早速行こ!」
「はいはい」
そう言うと、僕は再び自転車をこぎ始めた。
「じゃ、乾杯!」
「かんぱーい!」
河原の一角、河川敷のグラウンドへ続く階段で、僕らは乾杯した。
二人の手には、水滴の浮かぶビール缶が握られ、階段のコンクリの上には、おつまみの袋が置かれている。
もちろん、さっきの袋の中身だ。
「おいしいね、零一君」
「はい」
実際、まだまだ暑い昼間を乗り切った体に、冷たいビールは染みるようにうまかった。
おまけにさっきまで自転車こいで汗かいてたから、余計においしく感じる。
「たまにはこう言うのもいいよね。綺麗なお月様見ながらお酒飲むってのも」
……いっつもそんなこと言ってません?
僕は思わずそう思った。
でも、本当においしそうにビールを飲む綾を見ると、何となくそれもいいかなと感じた。
僕が一缶目を飲み干そうとしたとき。
―――零君、それって何? おいしいの?
不意に上から声が聞こえてきた。
僕が顔を向けると、そこに一人の少女がいた。
海のような青い着物を着た、見るからに健康的な和服少女。
……ただ、空に浮かんでいることを除けば
少女の名前は澪という。何を隠そう、幽霊だったりする。
様々な経緯の結果、今では綾さんの守護霊として頑張っている今日この頃だ。
「澪ちゃん、これはね、ビールって言う、西洋のお酒なの、分かる?」
綾さんの言葉は不自然なまでに乱れていた。
………あれ?
綾さんの様子に、僕はふと違和感を感じた。
綾さんの足元に目を向けると、そこには空になったビール缶が三本置かれていた。
……いつの間に?
僕は思った。
…………はぁ
僕は軽い頭痛を覚えた。
とりあえず、綾さんが出来上がっていると言うことだけは理解した。
「ま、そう言うこと」
酔っぱらいだけど、言ってることは正しいわけだから、僕も素直に頷くことにした。
―――ふーん、あたしも飲んでみたいな
……おいおい、キミは飲むことが出来な……
と言いかけたところで、僕ははたと気付いた。
「あれ、使ったら?」
―――あー、その手があった
一本取られた、と言った感じで、澪ちゃんはポンと手を叩いた。
「……へ?」
ふと我に帰ったのか、綾さんが怪訝そうな表情になった。
が、何かに気付いたのか、綾さんの顔から一瞬の内に酔いと血の気が引いていった。
まるで、何かに怯えているような……、言うならそんな感じ。
―――じゃ、綾ちゃん、ちょっとだけごめんね
「ちょ、ちょっと待ってよ、あれキツいんだからぁ………!」
綾さんの声はそこで止まった。
澪ちゃんの体が、一瞬綾さんの体に吸い込まれ、その体が眩く光る。
だが、それは一瞬だった。
「……これで良し、っと」
光が消えると同時に、二人の姿が現れた。
グッタリとへたり込んでいる綾と、さっきよりも元気一杯な澪ちゃん。
だが不思議なことに、澪ちゃんの様子が違う。
幽体ではなく、ちゃんと二本の足で立ってるし、普段は少し薄れているその姿が、ハッキリと見える。
端から見れば、驚きのあまり気絶しても仕方ないくらいの怪奇現象である。
だが、僕は別に驚かない。
「相変わらず、凄いね、その技」
僕が感心した風に言うと、澪ちゃんは照れ笑いを浮かべた。 「……綾ちゃんのおかげだよ、これが出来るのも」
「………あたしにしてみたら、めちゃくちゃ辛いんだけどね」
息も絶え絶えに、綾ちゃんが呟いた。
見た目は全然変わっていないけど、実際には体力をかなり消耗しているのである。
額に浮かぶ大粒の汗と、目尻にたまっている大粒の涙が、その証拠である。
「でもさ………」
僕は回想してみた。
(回想)
澪ちゃんが綾さんの守護霊となって三週間が経った頃。
澪ちゃんが二人の前に姿を現したのが、七月の終わりだったから、多分お盆を過ぎた頃。
場所は市街地から少し離れたところにあるワンルームマンションの一室。別名、零一の部屋。
まだまだ暑い夏の朝だった。
「こら、澪待ちなさい!」
―――やーだよー!
騒々しい声で、僕は目を覚ました。
………何だ?
寝起きでぼやける僕の視界の片隅に、フワフワと部屋の中を飛ぶ少女の姿が映った。
……なーんだ、澪ちゃんか。全く人騒がせな……
僕は再び布団に潜り込んで寝ようとした。
が、その瞬間僕は気付いた。
……何で、澪ちゃんがここにいるんだ?
あっという間に、眠気が飛んだ。
えっと…………
僕の記憶の限りでは、澪ちゃんは今のところ綾さんの守護霊となっているはず。
守護霊というものはその定義上、乗り移った人間から長時間離れるのは禁句である。
それに、さっき澪ちゃん以外にもう一人、女の声が聞こえたような気がした。
条件は全て揃っている。と言うことは――――。
瞬間、僕の体がブルッと震えた。一般で言う、「嫌な予感がする」がしたんだ。
「いくら何でも、綾さんが来てるわけ」
「あ、おはよ。零一君」
僕の予感は見事的中した。
振り向いた僕の目の前に、綾さんが立っていたのである。
―――零君、おはよ
しかも、いつの間にかその横に澪ちゃんもいる。
「……どうやって入ってきたんですか、あなた達は」
僕は怒りと呆れ混じりの声で、二人を問いただす。
「えっとね…」
すると、綾さんはいたずらっ子が見せるような表情を浮かべると、ポケットから一つの鍵を取りだした。
僕は鍵を手に取り、しげしげと眺めた。
どこかで見たことがある鍵だな………って、これは!
「………これって、まさか」
「そ、合い鍵」
瞬間、僕は、急速に体の力が抜けていくのを感じた。
「いつの間に作ったんですか?」
「それは秘密」
綾さんが笑いをこらえながら言った。
…………やられた
僕は深い深い溜息を吐いた。
「ところで、どうしたんですか。こんな朝っぱらから」
無意識の内に、声が不機嫌になっていた。
―――んーとね、ちよっと見て欲しいものがあるの
そんな僕を無視するように、澪ちゃんが口を開いた。
もっとも、普段の澪ちゃんの声は、普通の人間には聞こえないのだけれど。
「見て欲しいもの?」
―――うん
澪ちゃんは軽く頷いた。
「それって何?」
―――実際に見てくれた方が早いよ
「あ、あれまたやるの!?」
突如綾さんが叫んだ。その顔には、明らかに怯えの色が色濃く浮かんでいる。
「はぁ……じゃ、お願い」
何となく気にかかるところがあるのだが、見てみなければ分からない。
それに、綾さんが怯えるというのは初めて見る。
何となく興味が湧いてきた僕だった。
―――じゃ、いくよ……零君、ちゃんと押さえててね
「う、うん」
そう言うと澪ちゃんは、目を閉じ、大きく深呼吸した。
それを見て、僕は綾さんの腕を押さえた。
「れ、零一君、離してよ、お願いだからぁ……」
目には大粒の涙が浮かばせながら、懇願するような感じで綾さんが言った。
……そんなに嫌なのか?
そう思った次の瞬間。
不意に澪ちゃんの体が綾さんに吸い込まれた。
―――ブワァァァァッ!
と次の瞬間、綾さんの体から眩いばかりの閃光が放たれた。
「な、何だぁ!?」
僕は咄嗟に目を閉じた。
………一体何なんだ? あれは
と、僕が思った次の瞬間。
「零君、もう目を開けてもいいよ」
澪ちゃんの声が聞こえる。
その声に従い、僕は恐る恐る目を開けた。
……嘘だろ?
目の前に広がる光景に、僕は絶句した。
僕の腕の中でグッタリしている綾さん。それと、目の前に立っている少女。
海のような青い着物を着た、見るからに健康的な和服少女。
明らかに澪ちゃんだ。
だが、普段とは明らかに違うところがある。
「嘘じゃないよ」
―――声がした
いつもとは違い、ちゃんと言葉が音として出てきた。
「零君、あたし、生き返ったんだよ!」
そう言うと、澪ちゃんは呆然とする僕の胸に飛び込んだ。
ガシッ!
澪ちゃんの足が鈍い音を立てて綾さんにヒットした。
「!?」
その衝撃で綾さんはごろごろと壁のあたりまで転がったけど、
僕にとってはそれどころじゃなかった。
………嘘………じゃない?
僕は呆然と腕の中にいる少女の肩に触れた。
いい匂いと、温もり、そして柔らかい感触が伝わってくる。
それは、かつて、僕が澪ちゃんに出会ったときのそれと全く同じだった。
「澪ちゃん、まさか……本当に?」
僕は信じられない、と言った面持ちで尋ねた。
すると、澪ちゃんは首を横に振った。
「ううん、十分したら、また元の幽霊に戻っちゃうんだ」
「十分?」
「そう、十分」
そして十分後。
「あ…………」
―――ね!
言葉通り、澪ちゃんはすうーっとその姿を消し、元の幽霊に戻った。
「み、澪ちゃん。何があったの? 一体」
「えっとね………」
そう言うと、澪ちゃんは話し始めた。
澪ちゃんの話をまとめると、こんな感じだった。
澪ちゃんが綾さんの守護霊となってから、しばらく綾さんが澪ちゃんをしごいていた。
話によると、このままじゃすぐにあの世に行ってしまうから、それの予防みたいらしい。
その最中、澪ちゃんは偶然にもある能力に目覚めた。
その能力とは「実体化」。簡単に言ってしまえば、一時的に生き返れるのである。
その動力源とは、人の精神力。それを吸い取って、それをエネルギーにしているらしい。
……もっとも、この辺りは僕は元より、澪ちゃん本人も分かっていないみたいだが。
もちろん、吸い取りすぎたら綾さんの命にも影響するため、十分という時間制限があるらしいのだが。
(回想終わり)
「……でも、何で出来るようになったの?」
僕は腕組みして考えてみる。
でも、答が出てくるわけでもない。
「ま、いつかは答が分かるときが来るよ」
………ホントかな?
僕は少し首をひねった。
だが、二人はまだ気付いていない。
この力が後でとんでもない事件を巻き起こし、再び僕に災難が降りかかることを。