〜8.夢追い人よ、永遠に〜


「うーん……」

僕が目を覚ましたとき、お宮の外から夕日が差し込んでいた。

……終わったのか

根拠はない。でも、僕は心の中でそう確信した。

僕はゆっくりと体を起こした。

不思議なことに、さっきまで感じていた疲れが綺麗さっぱりと消えていた。

恐らく、綾さんが治療してくれたんだろーな。

そう思った瞬間、僕は何とも言えない違和感を感じ、お宮の中を見回した。

一見、結界が消えていたこと以外、何の変化もない。

だが。

「綾さん?」

僕は、綾さんの名を呼んだ。

でも、返事はない。

……いない

そう、違和感の正体は綾さんだった。

「そんな……」

愕然とする僕。

とその時、僕はお宮の戸に挟まっている紙に気が付いた。

慌ててその紙を手に取り、それを開いた。

それは、綾さんの置き手紙だった。


零一君へ。


  今日はお疲れ様。本当にご苦労様。

あたしが目を覚ました時、零一君起きる気配無かったから、こうして手紙を置いときます。

あたし、とりあえず家に帰ります。

今まであたしは独りぼっちでした。こんな力持ってるから。だから、今までとても寂しかった。

でも、こんなあたしを認めてくれた初めての人が零一君でした。

あの最初の出会いの時から、それを感じていたのかも知れません。だから、声をかけたのかなぁって……。今となってはそう思います。

このまま、零一君のそばに居たいなって思っちゃって、でも、これ以上迷惑かけるわけにも行かないので、とりあえず、家に帰ります。

本当にありがとう。また会う時まで、元気でね。



「綾さん……」

手紙を読み終わった瞬間、僕は無意識のうちに床に崩れ落ちていた。

文脈デタラメな文章だったけど、綾さんの言いたいことは何となく分かった。

要するに、このまま僕のそばにいれば、いつかきっと、僕にいらぬ迷惑をかけることになる。だから、そうなる前に、このまま僕の前から姿を消すことにした……と言ったところだろう。

でも、僕はそれを認めたくなかった。

「何だよ…。ここまで人を巻き込んじゃってさ…。出会った時からずっと、僕に迷惑かけてるくせに……」

僕の心の底に溜まっていた感情が、次々と口から放たれていく。

それは、今までの僕には考えられない行動パターンだった。

今まで自分のそばにあった大切な宝物を、一瞬で失った時に感じるような虚しさ。悔しさ。辛さ。

まるで、置いてけぼりにされた子供のような気分。

そして、僕の胸の中にポッカリと空いた大きな穴…。

その全てが、僕という人間の感情を激しく揺さぶった。 こんな気持ちになったのは、初めてだ。

「ううう………」

床に蹲り、大粒の涙を僕は流し続けた。


それから数時間後。

「…………」

僕は泣き疲れて眠りについていた。

コトン……

「…………」

不意に、外から足音が響いてきた。

そして、その足音は近づいてくる。

「……」

眠っている僕のそばで、足音は途絶えた。

不意に、雲が切れ、月光がお宮の中をほのかに照らした。

月光の中に、一人の少女の姿が浮かんだ。

少女は、僕の傍らに座ると、僕の身体に毛布を掛け、そしてそばに封筒を置いた。

そして、出ていく間際、僕の頬にそっとキスをして、少女は出ていった。

もちろん、深い眠りについていた僕が、それに気付くことはなかった。


「う………ん」

外から漏れてくる朝の光と、外から入り込んでくる冷たい空気で、僕は目を覚ました。

どうやら、泣き疲れてそのまま眠りについてしまったようだ。

よく凍死しなかったな……

僕は心からそう思った。

とその時、僕は身体にかかっている毛布に気が付いた。

「あれ?」

確か、僕は毛布なんて持って来てないぞ。

不思議な現象に、首を傾げる僕。

と、毛布のそばに一枚の封筒が落ちている。

これはひょっとして…

僕は一種の期待感と共に、封筒から中身を取りだした。

一瞬後、その期待感はあっさりと消え去った。

「……お金?」

封筒の中には、数枚の千円札と、一枚の紙が入っていた。


零一君へ。


ゴメン。これ忘れてた。

今回の報酬です。



紙に目を通した次の瞬間、僕は脱力感を感じた。

「あの人は……」

僕は頭に掻きながら、大きなため息を吐いた。

「ま、いいか」

僕はポケットの中にそれらを放り込むと、ゆっくりと立ち上がった。

その顔には、清々しい色が浮かんでいる。

そして、毛布を右手に抱え込むと、僕は外に出た。

外は、抜けるような青空が拡がっていた。

まるで、今の僕の心境を映し出しているかのように。

「……また、会えるよね」

僕はそう言い残し、お宮を去った。

こうして、僕の奇妙な体験は終わりを告げた。


家に帰って、僕が綾さんと一緒に過ごした日ってのは、実は一週間にも満たないことに気が付いた。

でも、僕からしてみれば、その時間は数十倍にも感じていた。

その原因は明らかだ。

綾さんに出会って、昨日までのあの時間。

大変で、凄く辛かったけど、それでいて楽しかった。

今思ってみると、とても濃密な時間を過ごしていたような気がした………からだと思う。


そして数週間後。

「不思議だったよな…あの人」

僕が初めて綾さんと出会った並木道を歩きながら、僕はそう呟いた。

年が明けても、この並木道は変わらず、冬の景色を醸し出している。

今、僕は綾さんを思い出していた。

出会って別れるまで、彼女は僕に一つのものを教えてくれた。

みんなとは違う、別の世界。

決して、みんなが気付くことのない世界。

今日もまた、彼女は一人、その世界と向き合って生きているんだろう。

でも、僕は綾さんの取った行動が、今でも許せなかった。

僕のことを考えての辛い決断だったんだろうけど、それでも、僕は許せなかった。


「あっ! 零一兄ちゃん!」

ふと、向こう側から子供が二人、こっちに向かって駆けてくる。

距離が近づくにつれ、だんだんと顔が見えてくる。

「あ、景一君に、美雪ちゃん」

僕は軽く手を挙げて答えた。

そして数秒後。

「こんにちは、零一お兄ちゃん」

美雪ちゃんがぺこっとお辞儀をした。

「ああ」

僕は笑顔で答えた。

「ところで、綾姉ちゃんは?」

景一君の質問に、僕は表情を曇らせた。

「振られたの?」

美雪ちゃんの言葉が、僕にグサリと突き刺さる。

「ち〜が〜う!」

僕はムキになって、強く否定した。

でも、すぐに大人げないことに気付き、心を落ち着けた。

「それより………幸せかい?」

僕の質問に、

『うん!』

二人は声をそろえて、大きく頷いた。

「……良かった」

その言葉が、僕にとって何よりの報酬だった。


「バイバイ、零一兄ちゃん!」

「さようなら、お兄ちゃん」

そう言い残して、二人は並木道の向こうに消えていった。

その手は堅く握られていた。

「幸せな………結末と言ったところか」

僕は満足そうな表情で頷いた。

と、その時だった。

ヒュゥゥゥゥゥ〜〜〜〜。

何処かから、風を切る音が聞こえてくる。

「………ん?」

刹那、僕は既視感を覚えた。

ドゴッ!

「ぎゃっ!」

次の瞬間、僕は背中に強い圧迫感を感じながら、地面に倒れ込んだ。

「な、何だ……!」

息苦しさを感じながら、振り向いた僕。

その瞬間、僕の思考回路は四度ストップした。

「あ、あ、あ………」

「あ! 零一君!」

僕の目の前には……綾さんが居た。

「あ、綾さん!? な、何でここに……?」

すると、綾さんは苦笑しながら口を開いた。

「家に帰ったんだけど……追い出されちゃった」

「は?」

ぽかんと口を開けたままの僕。

「後継ぐって親に言ったんだけど、そしたらもう一回修行し直せって言われて……でも、行く当てもないから」

「だから、この街に?」

「うん!」

綾さんは大きく頷いた。

「じゃあ早速、今日も頑張ろ!」

そう言うと綾さんは、僕の上着の袖を引っ張った。

「頑張るって……。何を?」

「だ・か・ら、『お助け屋』の仕事を!」

その瞬間、僕はちょっとだけやな予感がした。

「あ、綾さん……。やっぱり、僕も? って言うか、仕事入ったんですか?」

すると、綾さんは当然のように頷いた。

「頑張りましょ! 零一君」

……結局、僕はこうなる運命だったのか……。

僕は綾さんに引っ張られながら、そう思った。

でも、心のどこかで、こんな展開になったのを喜んでいる自分もいた。


「綾さん」

「ん? どしたの?」

二回目の『お助け屋』の仕事を終え、喫茶店「with」で僕らはくつろいでいた。

「夢って……一体何なんでしょうね?」

『夢とは一体、何?』

それは、僕が今までずっと抱えていた疑問。

綾さんだったら、その答えを知ってるんじゃないかと僕は思い、聞いてみた。

「分かんないよ」

綾さんはココアを一口飲むと、そう言った。

「……そうですか」

半分くらい予想していた答えだけど、それを聞いた瞬間、僕はやっぱりへこんだ。

すると、綾さんは僕を軽くにらみつけると、一言。

「零一君。何か思い違いしてない?」

「へ?」

ポカンとする僕に、綾さんは更に一言。

「夢ってのは自分で見つけるものなんだよ?」

綾さんのその言葉で、僕は、今まで思い違いをしていた事に気付いた。

僕は、『夢』とは自分には決して見ることの出来ない、空虚なものだと思っていた。

夢なんて、所詮僕には無縁のものだと……

でも、それは違っていた。

自分が夢を捜そうと思わない限り、決して夢を見ることは出来ない。

『夢は自分で見つけるもの』

そんな単純な答えにようやく僕は辿り着いた。

その瞬間、僕は心を覆っていた闇がほんの少しだけ薄れたような気がした。


「綾さん」

「なーに?」

「……ありがとう。それと、お願いしたい事があるんですけど………」

僕の言葉に、綾さんは笑顔で返した。

「言ってみて」

すると、僕の喉の奥から言葉がさらりと出てきた。

「僕が自分の夢って奴を見つけるまで、綾さんの仕事……手伝わせてください」

綾さんは、満面の笑みでこう返してきた。

「喜んで」

その言葉を聴いた次の瞬間、僕の胸に嬉しさが込み上げてきた。

「ははは………」

どちらからともなく、僕らは声を上げて笑った。

笑いながら、僕はこう思った。

綾さんと一緒にいれば、きっといつか、僕の夢も見つかる……よな。

僕の目の前に座っている女を見ていると、何故だかそう思えた。


翌朝。

僕は綾さんと一緒に大通りを歩いていた。

「『夢を追う者』か……」

僕は不意に頭の中に浮かんだこの単語を、そっと口に出した。

「夢を追う者?」

その呟きを聞いていたのか、綾さんが聞いてきた。 

「あ、僕の今の状況って、言葉で表せばそんなもんかなぁって思ったんですよ」

すると、綾さんはくすっと笑った。

「あたしも同じようなものだよ」

「そうですか」

綾さんは大きく頷いた。

「じゃあ、夢を捜しに、今日も頑張りましょ!」

そう言うと綾さんは僕の腕を引っ張った。

……また、今日もあんな目に遭うのかなぁ…

綾さんに引っ張られながら、僕はそう思った。

……まだまだ、僕の苦労は絶えないみたいだ。

僕の心の中とは裏腹に、今日もまた、空は青く澄んでいた。


終わり

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