僕が目を覚ましたとき、お宮の外から夕日が差し込んでいた。
……終わったのか
根拠はない。でも、僕は心の中でそう確信した。
僕はゆっくりと体を起こした。
不思議なことに、さっきまで感じていた疲れが綺麗さっぱりと消えていた。
恐らく、綾さんが治療してくれたんだろーな。
そう思った瞬間、僕は何とも言えない違和感を感じ、お宮の中を見回した。
一見、結界が消えていたこと以外、何の変化もない。
だが。
「綾さん?」
僕は、綾さんの名を呼んだ。
でも、返事はない。
……いない
そう、違和感の正体は綾さんだった。
「そんな……」
愕然とする僕。
とその時、僕はお宮の戸に挟まっている紙に気が付いた。
慌ててその紙を手に取り、それを開いた。
それは、綾さんの置き手紙だった。
今日はお疲れ様。本当にご苦労様。
あたしが目を覚ました時、零一君起きる気配無かったから、こうして手紙を置いときます。
あたし、とりあえず家に帰ります。
今まであたしは独りぼっちでした。こんな力持ってるから。だから、今までとても寂しかった。
でも、こんなあたしを認めてくれた初めての人が零一君でした。
あの最初の出会いの時から、それを感じていたのかも知れません。だから、声をかけたのかなぁって……。今となってはそう思います。
このまま、零一君のそばに居たいなって思っちゃって、でも、これ以上迷惑かけるわけにも行かないので、とりあえず、家に帰ります。
本当にありがとう。また会う時まで、元気でね。
綾
手紙を読み終わった瞬間、僕は無意識のうちに床に崩れ落ちていた。
文脈デタラメな文章だったけど、綾さんの言いたいことは何となく分かった。
要するに、このまま僕のそばにいれば、いつかきっと、僕にいらぬ迷惑をかけることになる。だから、そうなる前に、このまま僕の前から姿を消すことにした……と言ったところだろう。
でも、僕はそれを認めたくなかった。
「何だよ…。ここまで人を巻き込んじゃってさ…。出会った時からずっと、僕に迷惑かけてるくせに……」
僕の心の底に溜まっていた感情が、次々と口から放たれていく。
それは、今までの僕には考えられない行動パターンだった。
今まで自分のそばにあった大切な宝物を、一瞬で失った時に感じるような虚しさ。悔しさ。辛さ。
まるで、置いてけぼりにされた子供のような気分。
そして、僕の胸の中にポッカリと空いた大きな穴…。
その全てが、僕という人間の感情を激しく揺さぶった。 こんな気持ちになったのは、初めてだ。
「ううう………」
床に蹲り、大粒の涙を僕は流し続けた。
それから数時間後。
「…………」
僕は泣き疲れて眠りについていた。
コトン……
「…………」
不意に、外から足音が響いてきた。
そして、その足音は近づいてくる。
「……」
眠っている僕のそばで、足音は途絶えた。
不意に、雲が切れ、月光がお宮の中をほのかに照らした。
月光の中に、一人の少女の姿が浮かんだ。
少女は、僕の傍らに座ると、僕の身体に毛布を掛け、そしてそばに封筒を置いた。
そして、出ていく間際、僕の頬にそっとキスをして、少女は出ていった。
もちろん、深い眠りについていた僕が、それに気付くことはなかった。
「う………ん」
外から漏れてくる朝の光と、外から入り込んでくる冷たい空気で、僕は目を覚ました。
どうやら、泣き疲れてそのまま眠りについてしまったようだ。
よく凍死しなかったな……
僕は心からそう思った。
とその時、僕は身体にかかっている毛布に気が付いた。
「あれ?」
確か、僕は毛布なんて持って来てないぞ。
不思議な現象に、首を傾げる僕。
と、毛布のそばに一枚の封筒が落ちている。
これはひょっとして…
僕は一種の期待感と共に、封筒から中身を取りだした。
一瞬後、その期待感はあっさりと消え去った。
「……お金?」
封筒の中には、数枚の千円札と、一枚の紙が入っていた。
ゴメン。これ忘れてた。
今回の報酬です。
綾
「あの人は……」
僕は頭に掻きながら、大きなため息を吐いた。
「ま、いいか」
僕はポケットの中にそれらを放り込むと、ゆっくりと立ち上がった。
その顔には、清々しい色が浮かんでいる。
そして、毛布を右手に抱え込むと、僕は外に出た。
外は、抜けるような青空が拡がっていた。
まるで、今の僕の心境を映し出しているかのように。
「……また、会えるよね」
僕はそう言い残し、お宮を去った。
こうして、僕の奇妙な体験は終わりを告げた。
家に帰って、僕が綾さんと一緒に過ごした日ってのは、実は一週間にも満たないことに気が付いた。
でも、僕からしてみれば、その時間は数十倍にも感じていた。
その原因は明らかだ。
綾さんに出会って、昨日までのあの時間。
大変で、凄く辛かったけど、それでいて楽しかった。
今思ってみると、とても濃密な時間を過ごしていたような気がした………からだと思う。
そして数週間後。
「不思議だったよな…あの人」
僕が初めて綾さんと出会った並木道を歩きながら、僕はそう呟いた。
年が明けても、この並木道は変わらず、冬の景色を醸し出している。
今、僕は綾さんを思い出していた。
出会って別れるまで、彼女は僕に一つのものを教えてくれた。
みんなとは違う、別の世界。
決して、みんなが気付くことのない世界。
今日もまた、彼女は一人、その世界と向き合って生きているんだろう。
でも、僕は綾さんの取った行動が、今でも許せなかった。
僕のことを考えての辛い決断だったんだろうけど、それでも、僕は許せなかった。
「あっ! 零一兄ちゃん!」
ふと、向こう側から子供が二人、こっちに向かって駆けてくる。
距離が近づくにつれ、だんだんと顔が見えてくる。
「あ、景一君に、美雪ちゃん」
僕は軽く手を挙げて答えた。
そして数秒後。
「こんにちは、零一お兄ちゃん」
美雪ちゃんがぺこっとお辞儀をした。
「ああ」
僕は笑顔で答えた。
「ところで、綾姉ちゃんは?」
景一君の質問に、僕は表情を曇らせた。
「振られたの?」
美雪ちゃんの言葉が、僕にグサリと突き刺さる。
「ち〜が〜う!」
僕はムキになって、強く否定した。
でも、すぐに大人げないことに気付き、心を落ち着けた。
「それより………幸せかい?」
僕の質問に、
『うん!』
二人は声をそろえて、大きく頷いた。
「……良かった」
その言葉が、僕にとって何よりの報酬だった。
「バイバイ、零一兄ちゃん!」
「さようなら、お兄ちゃん」
そう言い残して、二人は並木道の向こうに消えていった。
その手は堅く握られていた。
「幸せな………結末と言ったところか」
僕は満足そうな表情で頷いた。
と、その時だった。
ヒュゥゥゥゥゥ〜〜〜〜。
何処かから、風を切る音が聞こえてくる。
「………ん?」
刹那、僕は既視感を覚えた。
ドゴッ!
「ぎゃっ!」
次の瞬間、僕は背中に強い圧迫感を感じながら、地面に倒れ込んだ。
「な、何だ……!」
息苦しさを感じながら、振り向いた僕。
その瞬間、僕の思考回路は四度ストップした。
「あ、あ、あ………」
「あ! 零一君!」
僕の目の前には……綾さんが居た。
「あ、綾さん!? な、何でここに……?」
すると、綾さんは苦笑しながら口を開いた。
「家に帰ったんだけど……追い出されちゃった」
「は?」
ぽかんと口を開けたままの僕。
「後継ぐって親に言ったんだけど、そしたらもう一回修行し直せって言われて……でも、行く当てもないから」
「だから、この街に?」
「うん!」
綾さんは大きく頷いた。
「じゃあ早速、今日も頑張ろ!」
そう言うと綾さんは、僕の上着の袖を引っ張った。
「頑張るって……。何を?」
「だ・か・ら、『お助け屋』の仕事を!」
その瞬間、僕はちょっとだけやな予感がした。
「あ、綾さん……。やっぱり、僕も? って言うか、仕事入ったんですか?」
すると、綾さんは当然のように頷いた。
「頑張りましょ! 零一君」
……結局、僕はこうなる運命だったのか……。
僕は綾さんに引っ張られながら、そう思った。
でも、心のどこかで、こんな展開になったのを喜んでいる自分もいた。
「綾さん」
「ん? どしたの?」
二回目の『お助け屋』の仕事を終え、喫茶店「with」で僕らはくつろいでいた。
「夢って……一体何なんでしょうね?」
『夢とは一体、何?』
それは、僕が今までずっと抱えていた疑問。
綾さんだったら、その答えを知ってるんじゃないかと僕は思い、聞いてみた。
「分かんないよ」
綾さんはココアを一口飲むと、そう言った。
「……そうですか」
半分くらい予想していた答えだけど、それを聞いた瞬間、僕はやっぱりへこんだ。
すると、綾さんは僕を軽くにらみつけると、一言。
「零一君。何か思い違いしてない?」
「へ?」
ポカンとする僕に、綾さんは更に一言。
「夢ってのは自分で見つけるものなんだよ?」
綾さんのその言葉で、僕は、今まで思い違いをしていた事に気付いた。
僕は、『夢』とは自分には決して見ることの出来ない、空虚なものだと思っていた。
夢なんて、所詮僕には無縁のものだと……
でも、それは違っていた。
自分が夢を捜そうと思わない限り、決して夢を見ることは出来ない。
『夢は自分で見つけるもの』
そんな単純な答えにようやく僕は辿り着いた。
その瞬間、僕は心を覆っていた闇がほんの少しだけ薄れたような気がした。
「綾さん」
「なーに?」
「……ありがとう。それと、お願いしたい事があるんですけど………」
僕の言葉に、綾さんは笑顔で返した。
「言ってみて」
すると、僕の喉の奥から言葉がさらりと出てきた。
「僕が自分の夢って奴を見つけるまで、綾さんの仕事……手伝わせてください」
綾さんは、満面の笑みでこう返してきた。
「喜んで」
その言葉を聴いた次の瞬間、僕の胸に嬉しさが込み上げてきた。
「ははは………」
どちらからともなく、僕らは声を上げて笑った。
笑いながら、僕はこう思った。
綾さんと一緒にいれば、きっといつか、僕の夢も見つかる……よな。
僕の目の前に座っている女を見ていると、何故だかそう思えた。
翌朝。
僕は綾さんと一緒に大通りを歩いていた。
「『夢を追う者』か……」
僕は不意に頭の中に浮かんだこの単語を、そっと口に出した。
「夢を追う者?」
その呟きを聞いていたのか、綾さんが聞いてきた。
「あ、僕の今の状況って、言葉で表せばそんなもんかなぁって思ったんですよ」
すると、綾さんはくすっと笑った。
「あたしも同じようなものだよ」
「そうですか」
綾さんは大きく頷いた。
「じゃあ、夢を捜しに、今日も頑張りましょ!」
そう言うと綾さんは僕の腕を引っ張った。
……また、今日もあんな目に遭うのかなぁ…
綾さんに引っ張られながら、僕はそう思った。
……まだまだ、僕の苦労は絶えないみたいだ。
僕の心の中とは裏腹に、今日もまた、空は青く澄んでいた。