〜2.お助け屋・綾〜



綾さんと出会ってから、あっという間に数日が過ぎた。

相変わらず、何も変わらない日々が続いている。


「うっ、寒い……」

その日、僕は駅前の大通りを歩いていた。

厚い雲に覆われた、やや風の強い冬の一日だった。

雲はぶ厚く、太陽は全く見えない。おまけに冷たい北風がピューピュー吹いている。

暖かさと無縁の、見ているだけで憂鬱な気分になるこの天気。

そんな日が数日も連続しているもんだから、余計に寒く感じる。

「それにしても……みんな忙しそうだなぁ」

師走に入っただけあって、みんな忙しそうに動いている。

周りを見てると、僕だけが一人、取り残されたような感じがしてくるほどに。

瞬間、僕は言いようのない孤独感を感じた

「綾さん…。元気かな」

不意に、僕は綾さんのことを思いだしていた。

人は憂鬱な時、ついつい楽しかった思い出が頭に浮かぶ。

ほんの数時間、喫茶店で話し込んだだけなのに、それが未だに頭の中に残ってたりなんかしている僕だった。

「もう一回…会えないもんかなぁ……」

僕は名残惜しげに呟いた。

その時、僕の目の前を小さくて白いものが横切った。

「あ……雪だ」

僕は空を見上げた。

すると、それを合図としたかのように、たくさんの雪が空から舞い降りてきた。

「すごい……」

天を覆う灰色の雲。その雲からたくさんの白い雪が風に煽られて舞い降りてくる。

その光景は、まるで一枚の絵みたいに美しいものだった。

僕はしばし足を止めて、空を見上げていた。

「きれいだなぁ……」

この調子だと、明日の朝には積もっていることだろう。

ぼけーっと空に見とれている僕。

もちろん、全ての意識が空に注ぎ込まれているから、見事なまでに無防備だ。

そして、事件は唐突に起こった。


ドガアァァァァァッ!!

何の前触れもなく派手な効果音と共に、いきなり僕は前に吹っ飛ばされた。

かなり勢いよく飛んだらしい。体が一回転し、空を飛んでいるという事実を改めて実感した。

ズザァァァァァ!

そのまま、ヘッドスライディングの要領で僕は地面に滑り込む。

余りの衝撃に、僕の意識が一瞬飛ぶ。

「い、痛ぇ………」

数秒の間を置いて、僕は頭を押さえながらフラフラと立ち上がった。

鼻の辺りがかなり熱い。多分、鼻血が少し出てるんだろう。

まるで、漫画かどこかのコテコテギャルゲーにしか出てこないような定番の光景に、僕は何故か嫌な予感を感じていた。

だが、予感というものは実は当たる可能性が高い。それも、いい方ならともかく、悪い方が。

その嫌な予感は見事に当たってしまうんだけど、もちろん、今の僕はそんなこと気付く余地もない。

「な、何だったんだ…? 今のは」

周りの人達が心配そうに見守る中、僕はゆっくりと立ち上がると、ひっくり返っている犯人のそばに近寄った。

帽子をかぶった小柄な奴。サングラスしてるから顔はよく分かんない。

気絶しているらしく、グッタリとして動かない。

もしも男だったら…………殴る!

既に、僕の怒りはマックスゲージに達していた。

僕は左手でそいつの胸ぐらを掴み上げた。

そして、右手をそいつ目がけてロックオンする。

後は殴るだけ。

周りの通行人達も、固唾を呑んで僕の行動を見ている。

緊迫した空気が、師走の大通りを支配する。

緊迫した空気が、大通りの一角を支配する。

だが、殴ろうとしたまさにその時。

「いったぁぁぁ〜い!」

不意に、僕の耳に甲高い悲鳴が聞こえた。

犯人が目を覚ましたようだ。

と、犯人がかぶっていた帽子が実にタイミング良くずり落ち、そしてその中から、長いストレートの黒髪が滑り落ちる。ついでにそいつが付けていたサングラスまで滑り落ちた。

一瞬にして、そいつの顔が明らかになった。

…………あれ?

明らかになったそいつの顔を見た途端、僕は思わず手を止めた。

……どこかで見たような……

僕は必死で記憶の糸をたぐろうとした。

でも、その作業はすぐに止まった。

「零一君?」

そいつは、実にかるーい調子で僕の名を呼んで抱きついてきた。

フワッといい匂いと、柔らかな感触と暖かさが僕を覆う。

だが、僕はそれどころじゃなかった。

「………あれ?」

どこかで聞いた声。

僕は目をこすってもう一度そいつの顔を見た。

………まさか……

でも、目の前にいるそいつはさっきと変わってはいなかった。

僕がよく知っている……いや、もう一度会いたいと思ってた……奴だった。

「やっぱり零一君だ!」

僕の腕の中で、無邪気にはしゃぐ犯人。

子供みたいな笑顔を浮かべるその顔は、まさしく脇坂綾、本人だった。

………う………そ?

怒り、喜び、驚き、困惑。

僕の頭の中で色々な感情が交錯する。

呆然と立ち尽くしたまま、やはり呆然とした表情を浮かべている。

「……零一君?」

綾さんが僕の目の前でヒラヒラと手を振った。

だが、時は遅し。その時既に、僕の思考回路は完全にストップしていた。


「………教えてくれない?」

「んーと…………」

舞台は変わって喫茶店「with」。

数日前に座っていた席に、僕らは再び座っていた。

頼んだものまで同じなら、最初の一声まで同じ。

何もかも同じかと思えば、違うのが一つだけある。

それは…。

「まあいいじゃん」

綾さんはどっかのおばちゃんみたいに、軽く手を上下に振ってごまかそうとする。

でも、今の僕にはそれは通用しなかった。

「よくない! 何で僕まで警官に追っかけられなきゃいけないんですかぁぁ!」

僕は怒りにまかせてテーブルをガンッと叩いた。

その音に、コップを磨いていたマスターと、他のテーブルを片づけていた祐理さんというウェイトレスがビックリして振り返った。

幸いにも、他のお客はいない。

「あ、すいません」

僕は我に返ると、慌てて二人に頭を下げた。

そんな僕に、綾さんは笑いながらもこう言った。

「だめだよ、零一君。お店のひとに迷惑かけちゃ」

「その前に、君が僕に迷惑かけてるって事に気が付こうよ……」

余りにも脳天気な綾さんの反応に、僕は怒りを通り越して呆れかえってしまった。

「そもそもさ……」

僕は、大通りでの再会から今までのことを回想した。


(回想スタート)


「あっ!」

ふと、何かを思い出したのか、綾さんが後ろを振り向いた。

すると、瞬く間に、綾さんの顔から血の気が引いていった。

「あっ! や、やば…。れ、零一君、逃げよ!」

いきなり綾さんは、放心状態の僕の袖を掴んだ。

「え? あ、は、はい!」

何が何だか分からないけど、とりあえず頷いた。

「あ、その前に、これ、そのバッグの中に入れて! お願い!」

そう言うと綾さんは、僕の足元に落ちていた大きめのファイルケースを僕に押しつける。

そして、僕の手を握ったまま一目散に走り出した。

「あ、ち、ちょっと!」

綾さんに手を掴まれてるわけだから、当然僕の身体は引っ張られる。

何が何だか本当に訳が分かんないけど、とりあえず僕はファイルケースをリュックの中にねじ込むと、綾さんの後を追って走りだした。


「待てぇぇぇぇぇ!」

綾さんに引きずられるまま、大通りを走る僕の耳に、そんな低い叫び声が入った。

「ん? 何だ……?」

僕は後ろを見た。

………!

瞬間、僕は絶句した。

後ろを見ると、向こう側から二人連れの警官が僕らを追って来ていた。

「あ、綾さん! 何で警官が……!?」

「そんなの後で!」

叩き付けるようにそう言うと、綾さんは手前の裏路地に入った。

そこからはよく覚えていない。

裏路地をくねくねと通り、細い路地をくぐり抜け、ビルの中を一目散に突っ走り…。

時には隠れ、時には人混みに紛れ込み…………。

とにかく二時間くらいだろうか。

気付いたとき、僕らは何処かの公園の入り口にいた。

「……はぁはぁ。あー、疲れた」

綾さんは地べたに座り込んだ。

「あ、綾さん………何で僕までこんな目に」

僕は息も絶え絶えに綾さんに言った。

その時、綾さんの目は何かにロックオンされていた。

「あのー、綾さん?」

「零一君! 話ならあそこで!」

そう言うと綾さんは、何かに向けて右手をビシッと指差した。

「………」

振り返った僕の目には、こんな看板があった。

喫茶店『with』と。

……家の辺りまで移動していたのか

僕がそう思った次の瞬間、

「行きましょ? れーいちくん」

僕の右手は綾さんにガッチリとロックされていた。

その時の綾さんの声には、有無を言わさぬ迫力が込められていた。

逃げたら、間違いなく殺される……

僕の体に戦慄が走った。

結局、僕は綾さんにその身を委ねることしか出来なかった。

 
 (回想終わり)


「何で僕がこんな目にあわにゃいけないの?」

僕は、思わずそう呟いた。

首をガックリと落とし、深い、深ーい溜息を添えて。

端から見れば、今から自殺でもするんじゃないかって思われそうなくらいの暗さだった。

「零一君、何で落ち込んでるの?」

「……あなたのせいです。どう見ても」

うなだれたまま、弱々しい声で答える僕。

「えー、あたしのせい?」

頬をぷーっと膨らませて、文字通りふくれる綾さん。

その表情も、普段の僕だったら可愛いと思うんだけど、さすがにあんな目にあったばかりの今は、そう思うことはなかった。

「それより、何でこんな事になったんですか?」

僕はゆっくりと顔を上げると、綾さんに聞いた。

すると、綾さんは真剣な表情になった。

「長くなるけど……いい?」

「はい」

……何を今更。

僕はその言葉を喉の奥に引っ込めると、首を縦に振った。


「零一君、キミはユーレイっての……信じる方?」

「は?」

いきなり妙な質問が来た。

「まぁ、信じないってわけじゃないですけど」

「じゃ、信じるんだ」

「……はい」

わけが分かんないけど、僕はとりあえず頷いた。

「それがどうかしたんですか?」

「……あたし、なぜだか分かんないけど、ユーレイが見えんの」

「………は?」

思い切り意表をつく綾さんの言葉に、僕は呆気にとられた。

「ユーレイ? ってあの、死んだ人が夜中とかに火の玉引っさげて墓場とかにいる…あれ?」

思わずそう聞き返したくらいに。

「うん。そのユーレイ」

綾さんはあっさりと頷いた。

…………

僕は沈黙した。

綾さんと出会って早数日。既に僕の思考回路も、綾さんのめちゃくちゃな話には慣れてきている。

電波系というか、個性的と言うべきか。別に嫌いなわけじゃない。

でも。

……何でユーレイが出てくるんだ?

さすがにそう思った。

……何か、ろくでもない話になりそうな気がする……

嫌な予感に、僕は席を立とうかと思った。

だがその時、僕の頭にある一つの感情がよぎった。

好奇心という名の。

……まあ、面白そうだから、続けてもらおうかな

僕はその好奇心ってのに押され、結局、綾さんの次の言葉を待ってしまった。

……既に話がそれてることはともかくとして。


「あたしね、ちょっとしたバイトしてるの」

「バイト………ですか」

僕は首を傾げた。

……幽霊とバイト? 一体何の関係があるんだろ?

この時、僕の頭の中にはファミレスか、コンビニくらいしか浮かんでこなかった。

どう考えても、全く結びつかない。

「どんなバイトなんですか?」

「うーん、口で説明するの難しいんだよね」

……口で説明するのが難しいバイト?

僕は思い切り首をひねった。

………まさか、水商売?

「んなわけないでしょ!」

「わっ!」

まるで僕の思考を呼んでいたかのように、綾さんが絶妙なタイミングで突っ込んできた。

「あたしが水商売なんて出来ると思う?」

……案外合ってるんじゃないのか?

僕は何故だかそう思った。

可愛いし、性格も明るいし、結構スタイルもいいし………実際にやってみたら、案外向いているような気がするよな。

「あーいうのは嫌なの!」

そこまで想像したとき、またまた綾さんの突っ込みが出た。

……ひょっとしたら、本当に心を読んでるのか?

僕は何となくそう思った。

「じゃ、どんなバイトしてるんですか?」

すると、綾さんは一呼吸置いて口を開いた。

「……『お助け』屋」

「……何ですか、それ?」

綾さんの言葉の意味が分からず、僕は思わず聞き返した。

「んーと、何から説明しようかな」

そう言うと、綾さんは腕組みした。

「……何か、リクエストある?」

……何で、注文出してくるんだ?

僕はそう思いながらも、

「とりあえず、僕に分かるようにお願いします。手っ取り早く」

そんな注文を出した。

すると、綾さんは唸った。

「ん〜、難しい注文付けてくるなぁ〜」

……おいおい。難しいのかい!

僕は心の中で突っ込みを入れる。

「難しいよ。そう言うのは」

間髪入れず綾さんが口を開く。

「……じゃあ、出来る限り簡潔に、でお願いします」

「分かった」

綾さんは頷くと、更に一口ココアを飲んだ。

「じゃあ、何であたしが「お助け屋」ってのをやることにしたかってところから始めるね」

「はい」

綾さんはココアを飲み干すと、再び口を開いた。

「あたしんちはね、元々神社で、ユーレイの悩みを解決してあげる仕事をやってるんだ」

「……凄いね。それって」

何となく話が妖しい方に向かっているのはともかく、僕は妙なところで感心した。

「その道じゃ結構有名なんだよ?」

「ふーん。そしたらさ、綾さんもやっぱり…その仕事をするの?」

すると、綾さんは首を横に振った。

「でも、あたしはそんなの継ぎたくなくて。でも、オトナになったらお金っているでしょ? それにあたし、今自分が何したいのか分かんなくてさ。だから、こうやってふらふらっとユーレイの悩みなんか聞いたりしてあげてるの」

……おいおい、キミは大人でしょうが

僕は心の中でツッコミを入れる。

でもそこで、ようやく僕は『お助け』屋ってのがどんな仕事か、何となくだけど分かった。

「あ、幽霊見えるって事は、その悩み聞けるから……」

「そ。だから『お助け』屋。人間の悩みも、ユーレイの悩みも聞いて、助けてあげるのがあたしの仕事。でも、今ん所幽霊しか相手にしてくれないんだけどね」

そこまで言うと、綾さんが寂しげな笑顔を見せる。

「何となくだけど……凄いですね」

「あたしからしたら大したことじゃないけどね」

「でも、それじゃお金稼げない……」

僕は不意に湧いた疑問をぼそっと呟いた。

「あ、お金? それがさ、その仕事が終わった翌日にあたしの通帳とか見たらさ、いきなりお金が入ってるの。見てみる?」

綾さんはそう言うと、ファイルケースの中から通帳を取り出して、僕に手渡した。

「ははは。そんな馬鹿な……」

僕は苦笑いを顔に浮かべながら、その通帳を開いた。

「………嘘?」

瞬間、僕の表情が凍り付いた。

確かに、通帳の所々で大金が入っている。しかも数十万単位で。

総額にして、一千万は下らないだろう。

「ね? スゴイでしょ?」

「……確かに」

僕は小さく頷いた。


「これで十分かな?」

自信ありげに綾さんは言う。

「あの…。もう一ついいですか?」

「いいけど……何?」

綾さんが不思議そうに僕を見る。

「何でさっきはあんな事になったの?」

「あっ、あれ?」

綾さんはポンッと手を叩いた。

ようやく気付いたらしい。

「説明してなかった?」

「説明してないです」

「あはは、ごめんね。実はあの時、ポスター貼ってたの。『お助け』屋の」

「ポスター?」

「そう。ちょうどこれくらいのサイズの」

と言うと、綾さんはさっきのファイルケースからポスターを取りだした。

「はい、これ」

そう言って、僕にポスターを手渡す。

「どれどれ……」

僕はポスターに目を移した。

……わぁ、凄く綺麗だ

僕は思わず心の中で呟いた。

紙の真ん中当たりにイラストを、上の部分に文字を入れたレイアウト。

全て自分で書いたのだろう。少し丸めの字。色もふんだんに、カラフルに使われている。

カラーコピーしたんだろう。文字とかに少しにじみがあるけど、それでも十分素晴らしい。

大きさはともかく、インパクトは十二分にある。

「これ張ったら目立つだろうな……」

そこで僕はあることに気が付いた。

確かこの街って、勝手に大通りとかにポスターとか貼っちゃいけないって条例あったよな?

確かに、この街の条例にそんな項目がある。

しかもこの街は結構条例にうるさい人達が揃いまくっている。

「あの……綾さん?」

「何?」

「ということはですね、もしかして、綾さんが逃げてたのって、もしかして、条例違反で捕まりかけてたから……」

「そう。だから逃げてたの」

その言葉を聞いた瞬間、僕は、体の力が全て抜けた。

……どおりで……

僕は思いきり大きな溜息を吐いた。

「無茶苦茶な事してくれますね。あなたって人は」

「いえいえ、それほどでも〜」

「褒めてないって…」

脳天気すぎる綾さんの態度に、僕が再び溜息を吐いた。


「それじゃあ、ここでお別れって事で」

そう言うと、綾さんは席を立った。

「ここでお別れって……どこ行くんですか?」

「依頼人に会いに」

さらりと言ってのける綾さん。

そのまま綾さんは出口の方に向かって歩く。

「ち、ちょっと待ってくださいよ」

僕も慌てて席を立った。

すると、綾さんは僕に振り返り言った。

「零一君。君に迷惑かけたくないから…。じゃ、バイバイ」

「え?」

意味深な台詞を残して、綾さんは店から出て行った。

…………。

僕は迷った。

このまま、綾さんを放っておくか、それともついて行くか。

………よし! でも、答えはすぐに現れた。

ここで再会したのも何かの縁だし、興味も湧いてきた。

何より、僕はそれを見てみたくなった。

「……別に構わないさ」

僕はそう呟くと、急いで支払いを済まし、綾さんの後を追った。

でも、綾さんの残した台詞が正しかったことを、僕は自らの身をもって味わうことになるとは、この時には思っても見なかった。


「……あ、「お助け」屋の……」

「脇坂綾です。で、こっちは助手の」

「……藤崎零一です」

大通りの裏路地にある小さな喫茶店。

そこが、依頼人との待ち合わせ場所だった。

僕と綾さんの目の前には、十歳くらいの少年が座っている。

僕に似た髪型で、童顔の少年だった。

……本当に、この子が依頼人なのか?

僕はそう思った。

綾さんを目の前にした少年の顔には、軽い失望の色が浮かんでいる。

「おねーさん…。ホントに、僕の願い事…叶えてくれるの?」

少年は不安そうに綾さんを見た。

どうやら、本当にこの少年が依頼人らしい。

「ダイジョーブ! あたしに任せておきなさいって!」

自信ありげに、どんと胸を叩く綾さん。

「ごほっ、ごほっ」

そしてお約束通りに、見事むせてみせる。

本当に、大丈夫なんだろうか…。この人に任せても。

期せずして、僕と少年はそう思った。

「えっと、君の名前は?」

話をスムーズに終わらす為に、僕はあえて口を挟んだ。

横で綾さんが頬をぷーっと膨らませているが、それは気にしない。

宗像むなかた……景一けいいちです」

少年は小さな声で答えた。

「景一君。それで、君が僕らに叶えて欲しい願い事って言うのは、何?」

すると、景一君の様子が一変した。

「お兄さん。美雪ちゃんを助けてあげて欲しいんだ!」

大粒の涙を零しながら、叫ぶような感じで景一君の口から放たれた言葉。

「美雪ちゃん?」

「美雪ちゃんって、君の友達?」

黙っていた綾さんが口を開いた。

「うん。このまんまじゃ、美雪ちゃんが死んじゃうよぉ! だからお願い。美雪ちゃんを助けて!」

その時、僕は周りからの視線に気が付いた。

「あの若い子。あんな子供を泣かせて……」

「可哀想に……」

何か勘違いしてるのか、サーベルよりも鋭い視線が僕らを突き刺す。

ま、まずい! 僕ら、悪者扱いされてる!

僕はすぐに悟った。

「け、景一君。別の所で話をしよう……」

僕はそう言うと、右手に綾さんを、左手に景一君を連れ、そそくさと喫茶店から出て行った。

僕の背中に冷たい視線が突き刺さってくる。

僕の人生の中で、こんな気まずい経験は初めてだった。


「美雪ちゃんは、僕んちの隣に住んでる子で、ちっさい頃から一緒に遊んでたんだ」

再び喫茶店「with」。

さっきまで天から降っていた雪はいつの間にか止み、分厚い雲の切れ間から太陽が顔を出していた。

わざとなのか、それとも本当に偶然なのか、三度僕らは同じ席に座っている。

「少し前までは、全く変わりなかったんだ。でも、でも……」

そこで景一君の声が途切れた。

「でも…………どうしたの?」

綾さんが優しい声で景一君に尋ねた。

「でも、三日前から、美雪ちゃんの体調が変になったんだ! 高い熱が出て、一日中苦しそうな表情で……ベッドの中で苦しんでたり……見てて……本当に辛かった」

僕は、そこでコーヒーを一口飲むと、一言。

「……景一君。君、その美雪ちゃんって子のこと……」

すると、景一君は小さく頷いた。

「……僕は、美雪ちゃんが心配で…。だから」

「……だから、あたし達に依頼してきたわけね。うん」

そう言うと綾さんは二、三度頷いた。

「オッケー! あたし達に任せといて!」

綾さんの言葉に、景一君の顔がパッと明るく輝いた。

その時、僕はあることに気が付いた。

「綾さん」

「ん? どしたの、零一君?」

「あたし達、って今言ってましたよね。と、言うことは……僕も?」

「うん」

綾さんは大きく頷いて立ち上がると、強引に僕の手を引っ張って歩き出した。

その瞬間、僕は何を言っても無駄だって事に気付いた。

はぁ…。参ったなぁ…。

僕は心の中で大きな溜息を吐き出した。

何だか、出会ったときからずっと、綾さんに振り回されてるような気がした。

でも、心のどこかでそれを楽しんでいる自分も居た。



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