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湯浅将宗(ゆあさ まさむね)


生没年:?〜?
官位 :治部大輔
居城 :備後国尾首山城
列伝 :備後国人。天正五(1577)年、讃岐の香川元景・三好長安の救援に派遣された。
後に井原元造と共に広島城堀普請を命じられる。

湯浅宗久(ゆあさ むねひさ)


生没年:?〜?
官位 :図書助
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。岩佐とも。父は幕臣だったが、永禄一〇年、京・本国寺で父が討死した後、周防国衆・杉元相の元へ逃れ長じて毛利家に仕えた。

湯浅元宗(ゆあさ もとむね)


生没年:?〜?
官位 :治部大輔
居城 :不明
列伝 :備後国人。通称・五郎二郎。神辺城攻略戦、志川瀧山城攻略戦、備後高杉城攻略戦等で武功を上げる。
後に輝元の元服時に太刀一振、青銅五〇〇疋を献上した。

結城秋氏(ゆうき あきうじ)


生没年:?〜?
官位 :越後守
居城 :不明
列伝 :中島家臣か。安部清明の末孫とされる。
備中兵乱の際、鬼身山城攻撃の際、中島元行の命を受け、城将である上田家実の誘降に成功した。

有倉頼助(ゆうくら よりすけ)


生没年:?〜?
官位 :式部大輔・右衛門尉
居城 :不明
列伝 :吉見一門。入道名及佐。旧姓吉見。夕倉とも。連歌に堪能であり、毛利家が防長に減封されると、八〇〇石を拝領し、御伽衆となる。
慶長九年、萩城の本丸が仮竣工した際に、本丸御門の傍に松を植えた。後にこの松は後に『有倉松』と呼ばれるようになった。

湯川元常(ゆかわ もとつね)


生没年:?〜?
官位 :甲斐守
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・三郎左衛門。元々は備後山内家臣だったが、天文十二(1543)年、大内義隆の出雲侵攻失敗により出雲から敗走した毛利元就が、その途中で山内家のもとで一泊した際護衛に付けられた三六名のうちの一人となり、その際毛利家に召抱えられた。後に井上就正と共に周防四郡(都濃・熊毛・玖珂・大島)段銭奉行を務める。

湯原春綱(ゆはら はるつな)


生没年:1513〜1591
官位 :右京進・豊前守
居城 :出雲国佐陀江城・満願寺城→美作国医王山城
列伝 :出雲国人。兄宗綱が郡山城攻撃の際討死した為家督を継いだ。水軍の将でもある。尼子家に仕えていたが、永禄五(1562)年、天野隆重・大谷元親の勧誘を受けて毛利家に降った。
後に美作医王山城に派遣。天正八(1580)年、宇喜多軍の攻撃を受けたが、塩谷元真・小川元政らと共に死守した。

湯原元綱(ゆはら もとつな)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :出雲国島根郡佐陀江城・美保関城
列伝 :尼子→毛利家臣。春綱の子。永禄五年一月、毛利軍が出雲に侵攻すると、毛利に降った大谷元親の手引により、父と共に毛利に降る。
翌永禄六年三月、黒田藤右衛門尉率いる尼子軍が居城・佐陀江城を攻撃しようとすると、父・春綱はこれを察知し、大草にて尼子軍と激突し、これを撃破。感状を受領する。
後に因幡鹿野城に入場し、武田高信・南条宗勝らと共に、因幡経略に当たった。

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