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安田元賢(やすだ もとかた)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・少輔十郎。永禄四年三月、元就・隆元親子が隆景の居城新高山城を訪問した際、これに随従した。

矢田隆通(やだ たかみち)


生没年:?〜1551
官位 :蔵人大夫
居城 :不明
列伝 :大内家臣。大内義隆が大寧寺で自刃した後、九月一三日、防州黒川(山口市黒川)にて自刃した。

矢田隆直(やだ たかなお)


生没年:1532〜1581
官位 :甲斐守
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。後に元直。隆通の子か。毛利元就に仕え、七二〇石の知行を賜る。

楊井武盛(やない たけもり)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内→毛利家臣。弘治三年毛利家に降り、養父・春盛の遺領を安堵された。
後に輝元が元服した際、輝元に太刀一振、青銅一〇〇疋を献上した。>

矢野弓助(やの ゆみすけ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。水軍衆の一人で、児玉就方に属す。門司城攻防戦の際戦功を挙げた。

八幡原元資(やはたばら もとすけ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :元直の子。寛永四年、秀就より都濃郡須々万並びに美祢郡秋吉で一〇〇石を安堵された。後に姓を志賀に改めている。

八幡原元直(やはたばら もとなお)


生没年:?〜?
官位 :豊後守
居城 :不明
列伝 :毛利隆元家臣。通称・六郎右衛門尉。天文九年、吉田郡山城下、堀縄手合戦・翌年正月の宮崎長尾合戦にて武功を上げる。後に隆景の沼田小早川家相続に従い、隆景家臣となった。後に三原要害の在番を命じられた。

矢部頼次(やべ よりつぐ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉見家臣。広頼・元頼・広長の三代に亘って仕える。
慶長三(1598)年、阿武郡大井・椿・川島、石見国吉賀に知行を給された。
吉見家没落後は禄を離れる。

山県国吉(やまがた くによし)


生没年:?〜1580
官位 :不明
居城 :備中国上房郡有漢飯山城
列伝 :毛利家臣。通称・三郎兵衛。備中兵乱により三村家が滅亡した後、飯山城代となる。
天正八(1580)年、備前虎倉合戦にて討死する。

山県長茂(やまがた ながしげ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :石見吉川家臣。吉川経家の小姓として因幡鳥取城に入城。経家の最後を見届けた。
後に寛文二一(1644)年、鳥取城篭城の様子や、吉川経家の最期を書き写した『山県長茂覚書』を提出した。

山県就相(やまがた なりすけ)


生没年:?〜?
官位 :左衛門大夫
居城 :不明
列伝 :旧安芸武田家の警固衆。佐東川(今の太田川)河口付近の在地領主。安芸武田家滅亡とともに、毛利家に属した。後、毛利家直属水軍である川の内警固衆の海将として、各地で戦功を挙げた。

山県就照(やまがた なりてる)


生没年:?〜?
官位 :筑前守・内蔵助
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。元照の子。天文五年、安芸生田城を攻撃した際、敵将・新藤弥左衛門尉を討ち取った。
後に防長経略の恩賞として、弘治三(1557)年一〇月二八日、周防玖珂郡河内郷分銭八貫目を給与された。

山県就知(やまがた なりとも)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利水軍の海将。通称善右衛門。雲伯海上封鎖戦で活躍した。

山県春勝(やまがた はるかつ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :永禄三(1558)年、本城常光に包囲された山吹城に、二宮俊実と共に決死隊を率い糧食を輸送した。

山県春直(やまがた はるなお)


生没年:?〜?
官位 :左京亮
居城 :不明
列伝 :吉川家臣。本城常光誅殺後、石見山吹城の接収を行う。
後に大内輝弘が山口に乱入した際、高嶺城救援の先鋒として山口へ向かい、吉敷郡湯田縄手で輝弘と激突、これを打ち破った。

山県昌景(やまがた まさかげ)


生没年:?〜1575
官位 :不明
居城 :駿河国江尻城
列伝 :※ここではあえて、山県昌景安芸出身説を上げております。武田ファンの方、攻撃はご遠慮を(黙れ
甲斐武田家臣。通称・三郎兵衛。父は大内家臣・山県重秋。兄は右馬介重房。十一歳のとき、継母と折り合いが悪くなり、叔父の飯富虎昌を頼って甲斐に流れ、飯富源四郎と名乗り、武田信玄に仕える。後に山県昌景と名乗りを変え、武田四天王になったのはご周知の通り。
後に長篠の戦で討死した。
(山県昌景安芸出身論は、萩藩閥閲録(毛利家資料の中でも一番信頼性の置ける資料)・萩藩諸家系譜等、毛利系の文書に記述されており、当サイトでは一説としてあえて記載しました。反論等は受け付けませんのでご承知を)

山県政芳(やまがた まさよし)


生没年:1543〜1560
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉川家臣。通称小七郎。
石見山吹城の検視として赴いていたが、尼子軍の攻撃を受けた際兵を率い湯惟宗隊と交戦。
敵23人を討ち取ったが、衆寡敵せず討死した。

山県元重(やまがた もとしげ)


生没年:?〜?
官位 :備後守(備前守)
居城 :不明
列伝 :別名・就信、就延とも。山県重房の子。一説によると、武田家臣・山県昌景は叔父ともされている。安芸武田家臣だったが、安芸武田家滅亡と共に、福井元信と共に毛利家に降り、毛利川の内警固衆の一員として活躍する。

山県元照(やまがた もとてる)


生没年:?〜?
官位 :筑前守
居城 :安芸国山県郡壬生城
列伝 :安芸国人。山県氏は安芸武田家に属していたが、大永二(1522)年、当時大内家に属していた毛利軍の侵攻を受ける。
この時元照は元就の調略に乗り甥の山県信春を討ち、降伏した。

山県康政(やまがた やすまさ)


生没年:?〜?
官位 :越前守
居城 :不明
列伝 :吉川家臣。本城常光降伏の際、その取次を勤める。
後に森脇春尚と共に、常光の次子・大蔵左衛門尉を誅殺した。

山崎興盛(やまざき おきもり)


生没年:?〜1557
官位 :出雲守・伊豆守
居城 :周防国玖珂郡熊毛山城→周防国都濃郡須々万沼城
列伝 :陶派の武将として、沼城を守る。1557年の毛利軍周防侵攻の際、毛利軍を一年以上悩ませると言う奮戦振りを残し、最後には自害した。隠れざる名将の一人である。

山崎隆方(やまざき たかかた)


生没年:?〜1555
官位 :勘解由
居城 :不明
列伝 :陶家家臣。晴賢の近習を勤める。厳島では、最期まで主君に従い、自害した。辞世は『ありと聞きなしと思うも迷いなり 迷いなければ悟りさえなき』

山崎隆次(やまざき たかつぐ)


生没年:?〜1557
官位 :右京進
居城 :周防国真光寺山城
列伝 :山崎興盛の子。父・興盛や江良賢宣・勝屋興久らと共に沼城に籠り奮闘するも武運拙く開城。父と共に自刃した。

山田言輔(やまだ ことすけ)


生没年:?〜?
官位 :隠岐守
居城 :不明
列伝 :大内家臣。長門大津郡を本拠とする国人。山名(杉原)理興の籠る神辺城攻略戦で武功を上げた。
毛利軍が山口を攻略すると、毛利家に降り、案内役を務め、本領を安堵された。

山田隆朝(やまだ たかとも)


生没年:?〜1557
官位 :安芸守
居城 :豊前国櫛狩屋城主
列伝 :豊前宇都宮氏の一族。大内家に属していたが、大内氏の滅亡にともない北九州に大友勢が侵攻。これに激しく抵抗するも1557年に落城。討死した。

山田範秀(やまだ のりひで)


生没年:?〜1543
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内家臣。天文十二年五月八日、大内軍が出雲より敗走した際、能義郡津田で討死した。

山田満重(やまだ みつしげ)


生没年:?〜?
官位 :民部丞
居城 :伯耆国会見郡河岡城
列伝 :毛利家臣。明石口合戦・厳島など各地で大功を挙げた。
毛利軍が出雲に侵攻した際、伯耆経略の主力として活躍。行松・杉原・南条・三村・入江・一条らと共に見事尼子軍を粉砕。伯耆一国を切り取った。
後に大友家重臣・高橋鑑種の誘降に成功する。

大和興武(やまと おきたけ)


生没年:?〜1555
官位 :伊豆守
居城 :不明
列伝 :陶家家臣。厳島の合戦において奮戦するも、旧友・香川光景の為に生け捕りとなり、どうしても降伏しなかったと言うエピソードを持つ。

山中成祐(やまなか なりすけ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :安芸武田家臣。熊谷信直に所領である可部三〇〇貫を横領された。

山内隆通(やまのうち たかみち)


生没年:1530〜1586
官位 :不明
居城 :備後国比婆郡甲山城
列伝 :多賀山通続の嫡男。本家の山内直通が毛利家に属したため、尼子家から追放され、変わって家督を継いだ。だが、後に宍戸隆家の仲介によって毛利家に鞍替えした。

山内直通(やまのうち なおみち)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :備後国比婆郡甲山城
列伝 :備後国人。山内家は代々尼子家に属していたが、大内家に傾いたため、1536年に尼子家によって追放された。なお、毛利家の内乱で誅殺された渡辺勝の子、通を引き取って養育したのはこの直通である。

山内広通(やまのうち ひろみち)


生没年:?〜?
官位 :大隈守
居城 :備後国比婆郡甲山城
列伝 :備後国衆。小田原攻めに従軍し、吉見広頼らと共に伊豆下田城を攻略した。

山本賢勝(やまもと かたかつ)


生没年:?〜?
官位 :左近将監
居城 :不明
列伝 :安芸国人。房勝の子。天文二十二年三月、父・房勝より家督を譲渡される。
大内義長・陶晴賢に属し、呉衆を率いて毛利元就と戦うも、最終的に呉衆は敗北し、壊滅する。
山本家自体は後に浦家家臣になった。

山本房勝(やまもと ふさかつ)


生没年:?〜?
官位 :弾正忠・甲斐守・玄蕃允
居城 :不明
列伝 :安芸国人。安芸国呉付近を本拠とする海賊衆・呉衆の一翼を担う。
本領の安芸他、周防・豊前に所領を有し、伊予国主・河野氏とも深い付き合いがあった。
天文二十二(1553)年三月、子の賢勝に家督を譲った。

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