上田秋宣(うえだ あきのぶ)


生没年:?〜?
官位 :掃部介
居城 :不明
列伝 :朝倉弘房の五男。九州侵攻の際、陶隆秋の名代として軍功を挙げた。

上原元祐(うえはら もとすけ)


生没年:?〜1582
官位 :?
居城 :備後国世羅郡沼城・今高野城
列伝 :備後国人。毛利元就の娘を妻として迎える。後に備中高松を巡る争いでは、備中日幡城に援軍として入場していたが、突如羽柴勢に寝返った。だが、すぐに小早川勢によって逢えなく討ち取られた。

鵜飼元辰(うがい もととき)


生没年:?〜1599
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :通称:新右衛門尉。近江の猿楽師出身。隆景家臣の重鎮として内政に力を振るう。隆景死後、毛利家家臣に編入されるも、外様視されるのを嫌ってか、他家に仕えようと出奔を計画するも、慶長四年に輝元に討たれた。

宇賀島忠重(うかしま ただしげ)


生没年:?〜1555
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内家臣。通称・十郎左衛門。宇賀島海賊衆の指揮官として陶家に属した。
が、厳島において陶軍は壊滅。宇賀島衆もまた毛利軍の掃討を受け文字通り全滅。滅びの運命を辿った。

宇佐川勝長(うさがわ かつなが)


生没年:?〜1554
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内家臣。山代衆の一人で、大原庄を領す。通称・新七郎。天文二十三年、折敷畑合戦で討死した。

牛尾久信(うしお ひさのぶ)


生没年:?〜1586?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :牛尾幸清の子。永禄五(1562) 年、毛利軍が出雲白鹿城を攻撃した際、援軍として入城したが、その時重傷を負い、毛利氏によって月山富田城に護送された。
後に父・幸清と共に毛利に降伏した。
天正十四(1586)年十一月七日、豊前宇留津城で戦死と言う説がある。

牛尾元貞(うしお もとさだ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :因幡国若桜鬼ヶ城→因幡国鳥取城
列伝 :毛利家臣。春重とも。因幡若桜鬼ヶ城城将を勤める。天正八年、山名豊国が鳥取城から追放された後を受け、鳥取城将に選ばれた。
が、負傷の為に本領へ帰還。改めて吉川経家が鳥取城将となった。

内海景満(うつみ かげみつ)


生没年:?〜?
官位 :兵庫助
居城 :不明
列伝 :毛利家臣、元亀三年一〇月、久芳元和と共に、武田高信・草刈景継の和平を成立させ、輝元に賞された。

宇野教賢(うの のりかた)


生没年:?〜?
官位 :筑後守
居城 :不明
列伝 :鞍掛杉家臣。宇野景政の子。鞍掛山城が落城した後、出家して先祖の霊を弔った。

宇野正常(うの まさつね)


生没年:?〜1556
官位 :筑後守
居城 :不明
列伝 :鞍掛杉家臣。景政とも言う。杉隆泰の元で家老を勤めた。鞍掛山城落城の際、主と共に討死した。末裔に、宇野千代(故人)がいる。

宇野元弘(うの もとひろ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :陶隆康の次男。幼名・鶴千代丸。毛利家に降り、小早川隆景から吉敷郡宇野令(山口市宇野令)を領地として与えられ、宇野姓を称した。1557年の周防沼城攻略戦では、敵将・江良主水正を討ち取っている。

上山広信(うやま ひろのぶ)


生没年:?〜1544
官位 :掃部介
居城 :不明
列伝 :備後国人。天文年間に毛利家に属す。
天文一三(1544)年、備後布野合戦で討死した。

上山元忠(うやま もとただ)


生没年:?〜?
官位 :兵庫介
居城 :石見国山吹城(城番)→備中国下道郡加茂(鴨庄)城
列伝 :毛利家臣。永禄五年十一月、平佐藤左衛門・吉川経安・山県左京と共に本城常光誅殺後の山吹城を接収し、そのまま城番となった。
天正十(1582)年、備中高松城付近の守備固めのため、桂広繁らと共に備中加茂城に籠城した。

浦盛勝(うら もりかつ)


生没年:?〜1582
官位 :不明
居城 :備中国宮地山城
列伝 :乃美宗勝の嫡子。羽柴秀吉が備中高松に侵攻した際、備中宮地山城を守っていたが、秀吉の調略を受ける。当時盛勝は幼少であり、老臣の山本宗玄親子の後見を受けていたが、その山本親子は調略を是として盛勝に受け入れるように進言していた。
幸い未然に防止されたが、間もなく盛勝は謎の頓死を遂げた。

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