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筑紫惟門(つくし これかど)


生没年:1531〜1567
官位 :不明
居城 :筑後国五カ山城・上妻郡勝尾城
列伝 :元々は少弐家臣であったが、大内家の筑前侵攻により、大内家に臣従した。
厳島合戦後、毛利元就の九州進出に対し、秋月文種と呼応し、挙兵するも、失敗に終わり、嫡子広門らと共に山口へ逃走する。後、毛利家の支援の元、元の所領に帰り咲く。
が、永禄一〇年、高橋鑑種・原田了栄(隆種)・秋月種実・宗像氏貞と共に挙兵する物の、大友家臣・斎藤鎮実の攻撃を受け、自害した。

筑紫広門(つくし ひろかど)


生没年:1556〜1623
官位 :左馬頭・上野介
居城 :筑後国上妻郡勝尾城・山下城
列伝 :筑後国人。筑紫惟門の子。父・惟門の死後家督を継ぎ、大友と戦うも降伏。それでも独立の機会を伺う。 島津軍が北上するとこれに従うも、羽柴秀吉の九州征伐が始まると反旗を翻す。が、島津軍に敗れ幽閉される。 後に島津軍が筑前から撤退すると旧臣を集め旧領を回復。筑後山下で一八〇〇〇石を安堵される。 関ヶ原合戦では西軍に付き大津城攻撃に従軍。戦後は改易され加藤清正に仕えた。

都治隆行(つじ たかゆき)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :石見国邇摩郡福光物不言城
列伝 :石見国人。毛利家に属す。永禄四年十一月六日、毛利から離反した福屋隆兼から攻撃を受けるも、吉川経安・冷泉元豊らと共に守り抜いた。

津々範宗(つつ のりむね)


生没年:?〜?
官位 :加賀守
居城 :備中国川上郡加葉山城
列伝 :備中国人。範宗の子か。庄家・尼子家・三村家等に属していたが、備中兵乱後、毛利家に降伏。
八浜合戦等で武功を挙げた。

津々範宗(つつ のりむね)


生没年:?〜1571
官位 :加賀守
居城 :備中国川上郡加葉山城
列伝 :備中国人。庄家一族。庄家に属していたが、後に毛利家に降伏。
だが元亀二(1571)年、尼子再興軍が備中へ侵攻した際、これに降伏し浅口郡杉山城の細川通菫を攻撃するも、福井資重と共に討死した。

都野就勝(つの なりかつ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :石見国人。那賀郡都野郷を本貫地としていた。朝鮮出兵に参陣し、討死した。

津守輔直(つもり すけなお)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。山口付近に所領を持つ郷士だと思われる。
大内輝弘が山口へ侵攻した際、高嶺城に篭城した。

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