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問田隆盛(といだ たかもり)


生没年:1513〜1557
官位 :大蔵少輔
居城 :不明
列伝 :問田弘綱の子。石見守護代を勤める(だが、この頃には、石見守護代は名のみの存在となっていた)。
陶晴賢の謀反に同調し、大内義長に仕える。だが、厳島の合戦後、毛利軍の攻撃を受け、富田若山で自害した。

問田房胤(といだ ふさたね)


生没年:?〜1557
官位 :備中守
居城 :不明
列伝 :大内家臣。隆盛の孫。弘治三年、長府で討死した。

東光院周信(とうこういん しゅうしん)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉見頼興の子。津和野鷲原八幡宮別当及び、東光院住職となる。

桐原忠宗(どうばら ただむね)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :熊谷家臣。義房の子。桐原家は重臣の家系だった。朝鮮征討で討死した。

桐原信忠(どうばら のぶただ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :熊谷家臣。朝鮮征討に従軍。日本へ帰還後、剣一振りを須佐神社へ寄進した。関ヶ原後は主家と共に長州へ移る。

得居通年(とくい みちとし)


生没年:1557〜1592
官位 :不明
居城 :伊予国風早郡恵良城
列伝 :別名:通之。来島通康の嫡男だが、幼少時に名門・得居家に養子に入る。天正一〇年、反旗を翻した弟・通総に従い、来島城を失陥し、通総が京に逃走した際、来島村上家臣団を率い、伊予恵良・鹿島城で毛利・河野連合軍を迎え撃った。
四国征討後、伊予風早郡で三〇〇〇石の所領を得た。
その後、朝鮮征討の際、弟の通総と共に水軍の一手を率いるも、文禄元年六月七日、朝鮮栗浦海戦において討死した。

飛落元吉(とびおち もとよし)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・小次郎・七郎右衛門。元々は中間だったが、銃手としての腕を買われ、鉄砲隊の指揮官として頭角を現し、尼子攻めの際には銃手二〇〇人を率い、戦功を挙げた。
更に尼子勝久・山中鹿之助率いる尼子再興軍が月山富田城を攻撃した際、これを撃退した。

友倉長元(ともくら ながもと)


生没年:?〜?
官位 :因幡守
居城 :不明
列伝 :吉見隆頼の家老。隆頼が山口で死去した時、その知らせを津和野にもって帰った。

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