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雑賀隆利(さいか たかとし)


生没年:1527〜1605
官位 :刑部丞
居城 :不明
列伝 :大内家臣。大内家滅亡により、毛利家に仕える。
大内残党の征伐・謀反を起こした市川元教の誅殺など、防長の治安維持で活躍した。
天正二〇年には長門豊田郡司を勤めている。

斎藤高利(さいとう たかとし)


生没年:?〜?
官位 :加賀守
居城 :不明
列伝 :大内水軍の海将。弘中家に属し、各地で武功を挙げた。
大内家滅亡後毛利家に仕え、美禰郡に所領を与えられた。

財満忠久(ざいま ただひさ)


生没年:?〜1569
官位 :越前守
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。隆久の子。安芸槌山城落城時に家臣に抱えられて落ち延び、その後長じて元就に仕えた。
永禄十二年五月十九日、筑前立花山城にて討死した。

財満就久(ざいま なりひさ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・新右衛門尉。毛利水軍の海将として、蓑島沖海戦などで武功を挙げた。

佐伯就実(さえき なりざね)


生没年:1484〜1590
官位 :右衛門大夫
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。旧名・林就信。通称は源左衛門。幼少のころから元就に小姓として仕え、元服後は近習となった。
ところが、陣中隠密佐伯源左衛門が事故死した為、その後任となり佐伯家を継いだ。
以後、二代に亘って、秘密の軍法に携わった。

佐伯元継(さえき もとつぐ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・藤次郎。天文九年、吉田郡山城外・大田口合戦で戦功を挙げ、感状を得た。

境 経貫(さかい つねつら)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉川家臣。永禄五年一月、反旗を翻した石見国衆・福屋隆兼の討伐の際、石見河登松山城の支城を攻略した。

境 経俊(さかい つねとし)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉川家臣。通称・孫右衛門尉。永禄七年正月、伯耆経略を進める山田満重の下に援軍として伯耆河岡城に入城した。
さらに、当時上野氏と抗争中だった備中の三村家親の元に使者として赴き、援軍を出す事に成功し、香川・児玉・三村と共に南伯耆に侵入。日野郡の郷民一揆を鎮圧した。

境 春時(さかい はるとき)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉川家臣。永禄六年、出雲熊野城を攻撃し、撤収しようとした毛利軍に城方の軍勢が襲い掛かったが、春時らは鉄砲を放ちこれを防いだ。
後に永禄一一年九月、山口を攻撃して失敗し、周防富海にて自刃した大内輝弘の首を元就の元へ届けた。

境 春通(さかい はるみち)


生没年:?〜?
官位 :雅楽助
居城 :不明
列伝 :吉川家臣。天文一六年二月十一日、吉川経世・森脇祐有と共に吉田郡山城へ赴き、興経と元春の養子契約を祝し、祝儀を届けた。

境 春頼(さかい はるより)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉川家臣。通称・孫六。永禄六年、出雲熊野城から一旦撤収しようとした際、敵から攻撃を受けるも、森脇弥四郎らと共に奮戦しこれを防いだ。

坂 元祐(さか もとすけ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :周防国玖珂郡高森城
列伝 :毛利家臣。旧名・保良。父はかつて毛利家御家騒動の際誅された坂広秀。父が誅殺されると、安芸国人・平賀弘保に仕え、後に冷泉元豊・元満と共に帰参する。周防山代の一揆殲滅等で功を挙げた。

相良武任(さがら たけとう)


生没年:1498〜1551
官位 :遠江守
居城 :筑前国糟屋郡花尾城
列伝 :肥後相良氏の一族。大内義隆の信任を得、文治派筆頭となる。だが、陶晴賢以下の武断派と対立。義隆殺害後は花尾城で惨殺された。

桜井就綱(さくらい なりつな)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :安芸国高田郡多治比竹長城
列伝 :毛利家臣。元就の側近として小奉行を務めた。永禄六(1563)年の出雲白鹿城攻めでは、平佐就之とともに、寄せ来る敵を追い返し、小高丸を奪取.。元就から感状を得た。

桜井元政(さくらい もとまさ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :安芸国高田郡多治比竹長城
列伝 :毛利家臣。就綱の子。通称・小左衛門。 輝元の御側衆を勤めていたが、文禄年間に朝鮮で討死した。

佐々木綱通(ささき つなみち)


生没年:?〜1581
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :因幡国衆か。通称・三郎兵衛。天正九年羽柴軍が因幡へ侵攻した際、鳥取城の支城・丸山城へ入城した。
後に鳥取城が開城した際、奈佐日本助・塩冶高清らと共に自刃した。

佐々部家茂(ささべ いえしげ)


生没年:1550〜1593
官位 :美濃守
居城 :不明
列伝 :宍戸家臣。元光とも。朝鮮征討に従軍するも、文禄二(1593)年、釜山にて死去した。

佐々部家祐(ささべ いえすけ)


生没年:1509〜1593
官位 :美作守・若狭守
居城 :不明
列伝 :宍戸家臣。元祐とも。通称・又右衛門。讃岐元吉城攻防戦等で武功を上げた。

佐々部祐賢(ささべ すけかた)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :宍戸家臣。通祐の子。大永六(1526)年、尼子氏に内通した罪で、父・通祐、兄・光祐が処断されるとその後を継ぐ。
吉田郡山城攻防戦や、天文二十二(1553)年の備後高杉城攻撃で功を挙げた。

佐世清宗(させ きよむね)


生没年:?〜?
官位 :伊豆守
居城 :不明
列伝 :尼子家臣。佐世幸勝の子。晴久・義久の二代に仕え、備後にて一二万石を領したとされる。尼子軍が吉田郡山城を攻撃した際従軍するなど、各地で武功を挙げたが、永禄八(1565)年、月山富田城籠城中に毛利軍に降った。

佐世正勝(させ まさかつ)


生没年:?〜?
官位 :伊豆守
居城 :不明
列伝 :佐世清宗の子。文禄三(1594)年、毛利輝元より佐世家の本貫地である出雲国大原郡佐世郷八五〇石を還付された。

佐世元嘉(させ もとよし)


生没年:1546〜1620
官位 :石見守・長門守
居城 :不明
列伝 :出雲国人。佐世清宗の子。佐世家出雲国大原郡佐世郷を拠点とする国人で代々尼子家に従っていたが、毛利家の月山富田城包囲戦で降伏。毛利家に仕官してからは主に内政を担当し、重臣となる。関ヶ原合戦の際には、広島城留守居役を勤めた。子孫に、明治維新後、「萩の乱」の首謀者となった前原一誠がいる。

佐田朝景(さだ ともかげ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :豊前国妙見岳城
列伝 :豊前国人。豊前宇佐郡を本拠とする国人。大内氏に属す。
天文元年十一月、大友軍が豊前妙見岳城を攻撃した際、一族を引き連れ妙見岳城に入り大友軍を迎え撃った。

刺賀長信(さつか ながのぶ)


生没年:?〜1558
官位 :治部少輔
居城 :石見国山吹城
列伝 :小笠原長隆の四男。山吹城将。尼子晴久が石見銀山を手に入れた際に、長信が山吹城将に任じられた。後に大内家→毛利家と所属先を変えるも、尼子勢に城を囲まれ、忍原合戦で援軍の毛利軍が敗れたため、落城。同じく城を守っていた高畠遠言と共に自刃した。

佐藤元実(さとう もとざね)


生没年:?〜1571
官位 :不明
居城 :長門国日山城
列伝 :毛利家臣。通称・又右衛門尉。隆元が幼少の頃より仕え、永禄十一(1568)年、毛利軍が九州に侵攻した際、占領地の政務を任され、立花鑑載の謀反の才には、連絡の為に筑前国嘉穂郡に馬見城を築く。
永禄末年には所帯裁判奉行を勤めるなど、有能な実務官僚であった。 元亀二(1571)年、日山城将として、長門方面の警戒の最中、四月二日に横死。輝元はこの死を深く悼んだという。

佐藤元直(さとう もとなお)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・彦十郎。永正四年、安芸高田原合戦で武功を挙げ、感状を給された。

佐波隆秀(さは たかひで)


生没年:1523〜1592
官位 :常陸介
居城 :不明
列伝 :石見国人。従兄弟の佐波隆連が大内義隆滅亡の際討ち死にしたため、家督を相続した。九州戦では、敵将・長野弘勝を討ち取るなど、各地で戦功を挙げた。朝鮮侵攻の際には、広島城留守居役を勤めた。

佐波隆連(さは たかつら)


生没年:?〜1551
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :佐波誠連の子。通称・新介。陶晴賢謀反の際に、大内義隆につき従い、討死した。

佐波広忠(さは ひろただ)


生没年:?〜?
官位 :越後守
居城 :石見国唐樋城主→備後国神石郡五本竹(五品嶽)城
列伝 :佐波隆秀の一族。別名・恵連。1591年に、備後国に転封。神石・奴可両郡において1万石を擁していた。後に毛利家減封により、長門へ退去する。余談だが、佐波家と出雲赤穴城主であった赤穴家は同族である。

讃良秀安(さんら ひでやす)


生没年:?〜?
官位 :伊賀守
居城 :不明
列伝 :大内家臣。天文一六(1547)年五月十九日、長門国美禰郡・周防国玖珂郡で計十八石六斗を知行された。

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