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大朝家経(おおあさ いえつね)


生没年:?〜1542
官位 :播磨守
居城 :安芸国山県郡平家村城
列伝 :吉川元経の長子だったが、庶子の為別家を立て、大朝姓を称す。
天文十一(1542)年謀反を起こすも失敗し討死した。

大内武弘(おおうち たけひろ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内輝弘の子。永禄十二年、父と共に大友氏の後援の元周防秋穂に上陸、大内家再興の兵を挙げる。
が、筑前より素早く転戦した毛利軍に大敗した。

大内輝弘(おおうち てるひろ)


生没年:1520〜1569
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内政弘の孫。大内義隆と反りが悪く、豊後大友家の庇護を受けていた。1569年の毛利軍による筑前侵攻の最中に周防に上陸・瞬く間に旧臣を糾合し、周防高嶺城を攻撃するも、市川経好の妻率いる軍に撃退され、さらに戻ってきた毛利軍に粉砕、南方就正らの追撃を受け、防府富海にて自刃した。
(この山口襲撃は突発的に起こったものではなく、少なくとも二年前から慎重に準備を始めており、実は毛利軍も察知はしていた。にも関わらず山口への侵入を果たしたのは、筑前への兵力結集による防長への兵力手薄が原因だった)

大内晴持(おおうち はるもち)


生没年:1524〜1544
官位 :周防権介・左兵衛佐・左衛門佐
居城 :周防国吉敷郡高嶺城
列伝 :一条房冬の子で、大内義隆の養子となった。初名は恒持。
詩歌・管弦・蹴鞠をよくし、更に武芸にも秀でた文武兼備の若者だった。三歳で義隆の養子となり、天文七年二月二五日に元服した。
天文十二年、出雲侵攻に参陣するも、敗北し帰国途中、出雲揖屋浦(現・島根県東出雲町)で船が転覆し、溺死した。

大内義尊(おおうち よしたか)


生没年:1544〜1551
官位 :周防介
居城 :周防国吉敷郡築山館
列伝 :大内義隆の嫡子。天文一六年、齢三歳で従五位下・周防介に任じられる。
天文二〇年、陶隆房の謀反の際には大寧寺まで父・義隆に従い、そこから別道で逃れようとするも、同年九月二日、陶方の兵に見つかり自害した。
これにより、大内家嫡流は断絶した。

大内義長(おおうち よしなが)


生没年:?〜1557
官位 :不明
居城 :周防国吉敷郡高嶺城
列伝 :旧名:大友晴英。陶晴賢の謀反の後、請われて大内家の家督を継ぐも、1557年、毛利軍の侵攻を受け、長門長福寺において殺害された。傀儡の大名としての悲しい最期だった。

大垣秀清(おおがき ひできよ)


生没年:?〜1582
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大垣秀康の一門か。天正一〇年、大野高成・大野信濃・秋国左馬・秋国和泉らと共に宍道隆慶に誅殺された。

大垣秀康(おおがき ひでやす)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :出雲国島根郡末次城
列伝 :尼子家臣。通称・八郎左衛門尉。大野高直・秋国左馬介らと共に末次城を守っていたが、毛利家に降伏した。

大田隆通(おおた たかみち)


生没年:?〜1551
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内家臣。義隆の近習を勤める。陶晴賢の謀反の際、義隆に殉じ大寧寺に散った。
辞世は『秋風の至り至らぬ山陰に 残る紅葉も散らずやはある』

大谷元親(おおたに もとちか)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :尼子家臣だったが、永禄五年正月、毛利軍に内応。元親の手引きにより湯原春綱も内応した。

大多和就重(おおたわ なりしげ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家の海将の一人。雲伯海上封鎖戦(対尼子家)などで戦功を挙げた。後に、粟屋元種、桂元将らと共に、石山本願寺に派遣された。

大塚経長(おおつか つねなが)


生没年:?〜1518
官位 :大蔵大輔
居城 :不明
列伝 :吉川国経の子。永正一五年の備後赤屋合戦で討死した。

大槻直賀(おおつき なおよし?)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :三村家臣。通称・源内。毛利軍が備中松山城を攻囲した際、河原直久により毛利軍に内通。天神丸を占拠した。

大野高成(おおの たかしげ)


生没年:?〜1582
官位 :不明
居城 :出雲国島根郡末次城
列伝 :大野高直の子。毛利に属していた。
が、天正一〇(1582)年、宍道隆慶によって秋国左馬助・大垣秀清・大野信濃・秋国和泉らと共に謀殺された。

大野高直(おおの たかなお)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :出雲国島根郡末次城
列伝 :尼子家臣だったが、尼子勝久が再興軍を率い出雲に侵攻した際、末次城を預かる。
が、勝久の勢力が減退すると、本領以下七〇〇貫の安堵を条件に降伏した。

大野直政(おおの なおまさ)


生没年:?〜?
官位 :兵庫
居城 :不明
列伝 :能島村上家臣。羽柴秀吉から播州姫路に招かれ、能島水軍の調略を受けた。
[この時の条件は将来は四国四ヶ国(讃岐・阿波・土佐・伊予)、当座は伊予十四郡(宇摩・新居・周布・桑村・越智・野間・風早・和気・温泉・久米・浮穴・伊予・喜多・宇和…………要は伊予一国)だった]
直政は能島に立ち返り武吉・元吉親子にこのことを伝えた。

大庭景家(おおば かげいえ)


生没年:?〜?
官位 :若狭守
居城 :不明
列伝 :大内家臣。天文十四年豊前国内の所領を安堵される。

大庭景治(おおば かげはる)


生没年:?〜?
官位 :将監
居城 :不明
列伝 :吉見(又は下瀬)家臣。陶軍が吉見領に侵攻した際、景治は須子伊豆守・板垣甲斐守らと共に下瀬山城に籠城。
陶に与した益田軍の攻撃から下瀬山城を守りぬいた。

大庭賢兼(おおば かたかね)


生没年:?〜?
官位 :図書允・加賀守
居城 :不明
列伝 :大庭矩景の子。陶晴賢から「賢」の字を受け、賢兼と名乗る。文武両道の、歌道に優れた将だった。後に毛利元就に属し、防長の奉行人として活躍した。

大庭矩景(おおば のりかげ)


生没年:?〜?
官位 :中務丞
居城 :不明
列伝 :豊前国人。大庭景家の子。豊前守護代・杉重矩に属す。大内家の出雲遠征の際、赤穴城攻めで手柄をたて、感状を頂いた。

大林隆廉(おおばやし たかかど)


生没年:?〜?
官位 :和泉守
居城 :安芸国安芸郡槌山城
列伝 :大内家臣。安芸槌山城将だったが、毛利軍の侵攻に逢い落城、降伏した。

大村興景(おおむら おきかげ)


生没年:?〜?
官位 :兵庫助
居城 :筑前国安楽平城
列伝 :大内家臣。享禄三(1530)年頃、筑前早良郡代及び筑前安楽平城督を勤める。

大村重継(おおむら しげつぐ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :筑前国安楽平城
列伝 :大内家臣。大村興景の子。
天文十三年、筑前早良郡代及び安楽平城督を勤める。

岡 景忠(おか かげただ)


生没年:?〜1634
官位 :和泉守
居城 :明知城
列伝 :岡就栄の子。隆景の使者として、穂井田元清・吉川元春などの元に派遣された。

小笠原長雄(おがさわら ながかつ)


生没年:1520〜1569
官位 :兵部大輔・弾正少弼
居城 :石見国邑智郡温湯城→石見国邇摩郡甘南備寺山城
列伝 :石見国人。石見川本を本拠とする。諱の読みは「ながたか」・「ながお」とも。大内家に属していたが、大内家滅亡後尼子家に属すが、永禄二(1559)年毛利元就に降り、川本を没収、福屋領井田・波積などを与えられた。

岡 隆信(おか たかのぶ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :中曽野徳永城(島根県鹿足郡津和野町中曽野)
列伝 :1597年に作成された「岡隆信覚書」の作者、中曽野徳永城(なかそのとくながじょう)の城主、けっこういい加減な文書を残しているのだが、吉見氏末期の重臣として活躍。
関ヶ原の戦いの後は吉見広頼に従い萩に移るが、津和野三本松城に坂崎直盛が入城すると長門から中曽野に戻り坂崎直盛に仕えるが謀反の疑いを掛けられ、中曽野八幡宮の神官となり疑いを晴らし地域を発展させた。

小方元康(おがた もとやす)


生没年:?〜?
官位 :対馬守・兵部少輔
居城 :安芸国佐伯郡瀬田城山城
列伝 :大内家臣→毛利家臣。隆忠とも。安芸小方(現・大竹市)を本拠としていた。周防鞍掛山城攻撃の際、敵総大将・杉隆泰を討ち取った。

岡 就栄(おか なりひで)


生没年:?〜?
官位 :和泉守
居城 :明知城
列伝 :旧姓:奈須。初めは元就家臣だったが、元就の意向により、隆景家臣となり、奉行人を務めた。

岡部興景(おかべ おきかげ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内家臣。通称・勘解由左衛門尉。
義興・義隆の二代に渡り奉行人を勤め、永正一七(1520)年には御倉奉行を務めている。

岡部隆景(おかべ たかかげ)


生没年:?〜1551
官位 :右衛門大夫
居城 :不明
列伝 :大内家家臣で、美祢郡岩永の地を所領としていた。晴賢の謀反の際には大内義隆に最期まで付き従い、大寧寺で討ち死にした。
辞世は『白露の消えゆく秋の名残とや しばしは残る末の松風』

岡 光良(おか みつよし)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・宗左衛門尉。吉田郡山城攻防戦の際には敵首一二を挙げるなど、武功を挙げた。
周防鞍掛山城主・杉隆泰が降伏した際、その人質である楊井弥二郎を預かる。
後に鞍掛山城を攻略した際、元就の命により周防御庄(岩国市)で楊井を討ち取った。
後に石見邑智郡都賀行城の城番となった。

岡 盛信(おか もりのぶ)


生没年:?〜?
官位 :壱岐守
居城 :中曽野徳永城(島根県鹿足郡津和野町中曽野)
列伝 :中曽野徳永城(なかそのとくながじょう)の城主、坂崎直盛の近代的な領地支配を 不服に思い父・隆信へ坂崎直盛に謀反をするよう促す、1601年には徳永城へ兵180人で篭城、兵がしだいに投降する中、兵に紛れて逃走結局、徳永城は1601年11月16日に開城した父・隆信は僧侶に服して降伏する中、盛信は姿を暗ます、1616年に坂崎直盛が自害すると中曽野へ戻り、父と共に地域に貢献する。

岡屋隆秀(おかや たかひで)


生没年:?〜1551
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内義隆の近習。陶晴賢の乱では、大寧寺まで義隆を守り、当地で戦死。
辞世は『時有りて自から至り時有りて又還る 清風水を度り明月天に在り』

小川元政(おがわ もとまさ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・右衛門兵衛尉。江州(現在の滋賀県)出身で、天文年間、毛利家に仕官。
対尼子戦で戦功を挙げ、出雲で三〇〇〇貫の所領を得、富田城番に任じられる。
天正八年、湯原春綱・塩谷元真らと共に、美作医王山城(岡山県津山市)に援軍として派遣され、宇喜多軍を撃破した。

小倉元実(おぐら もとざね)


生没年:?〜?
官位 :越中守・木工助
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。厳島後、毛利軍が防長に侵攻する際、小寺元武と共に大友家への使者となり、外交交渉を成功させた。

落合正信(おちあい まさのぶ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉見家臣。通称・新兵衛。吉見家改易後毛利家に召抱えられた。

小田村元頼(おだむら もとより)


生没年:?〜?
官位 :左近大夫
居城 :不明
列伝 :筑前国人。毛利家に属す。永禄十二年七月、大友軍の侵攻を受け、小倉城へ入城した。

小野矩資(おの のりすけ)


生没年:?〜1600
官位 :外記丞
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。後に俊久とも。
元々大内家臣だったが、大内家滅亡後福原貞俊の取次により毛利家に降り、厚狭郡の所領を安堵された。
後に豊前刈田松山城に入場し、大友勢の猛攻を凌いだ。
各地で軍功を挙げたが、慶長五(1600)年、伏見城攻撃の際討死した。

小野政福(おの まさふく)


生没年:?〜?
官位 :内蔵助
居城 :不明
列伝 :吉見家家臣。小野鉱山を再開発し吉見氏の財政に多大な貢献をした。

小幡義実(おばた よしざね)


生没年:?〜1551
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内義尊の小姓。大寧寺から義尊を警固して脱出する最中に陶軍・三浦勢により捕縛、斬首された。
辞世は『宝剣を呑却して名弓を放下す 只斯の景のみ有り一陣の清風』

小原隆言(おばら たかこと)


生没年:?〜?
官位 :安芸守・中務丞
居城 :不明
列伝 :大内水軍指揮官の一人。水軍を率いて、安芸・伊予を転戦する。後に大内義隆自刃の際書き残された弾劾状に名指しされた。大内家滅亡後、毛利家に降る。一説には、1541年、大三島の大祝氏を攻撃した際、姫武将として有名な鶴姫に討ち取られたともされる。


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