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能美重友(のうみ しげとも)


生没年:?〜?
官位 :佐渡守・式部丞
居城 :不明
列伝 :大内家臣。弘治二(1556)年、阿武郡木部での合戦において大内義長から感状を賜る。
後に毛利家に臣従した。

野上房忠(のがみ ふさただ)


生没年:?〜1557
官位 :隠岐守
居城 :不明
列伝 :陶家臣。厳島で大量の将星を失った陶家を支えた。
毛利軍の防長侵攻の際、吉見勢への押さえとして長門渡川(阿東町)に布陣していたが、吉見軍の前に大敗する。
山口失陥後、陶長房の一子・鶴寿丸を奉じ、長門且山城に入城するも、落城の際、長福院にて鶴寿丸を刺殺した後、自らも自刃した。
これにより、名家・陶家の嫡流は断絶。同時に大内家滅亡も決まった。

能島吉忠(のしま よしただ)


生没年:?〜1600
官位 :内匠頭
居城 :不明
列伝 :村上尚吉の子(一説には能島左近将監隆泰の子)。通称・八郎右衛門。兄・吉充と共に因島水軍の一員として各地で武功を上げる。
慶長五(1600)年、河野通軌率いる河野家再興軍の援軍として加藤嘉明領伊予松前城攻撃に参加するも、古三津刈屋口合戦(加藤軍が深夜油断していた河野軍に行った奇襲戦)において村上元吉・曾根兵庫らと枕を並べて討死した。

野田興方(のだ おきかた)


生没年:?〜?
官位 :兵部大輔
居城 :不明
列伝 :問田弘胤の三男。野田家の行跡を継いだ。豊前京都郡を本拠とする。大内家では奉行を務める。後に陶晴賢に属し、天文二十二年、大内義長から、石見邇摩郡・周防吉敷郡・長門阿武郡・豊前京都郡・上毛郡を知行として与えられた。

野田隆方(のだ たかかた)


生没年:?〜1557
官位 :主計頭
居城 :不明
列伝 :大内家臣。興方の子。陶隆房の挙兵に与しその後義長に仕えるも、その後大内家滅亡に殉じた。

野田隆徳(のだ たかのり)


生没年:?〜1557
官位 :兵部大輔
居城 :不明
列伝 :大内家臣。興方の子。陶隆房の挙兵に与しその後義長に仕えるも、その後大内家滅亡に殉じた。

野田長房(のだ ながふさ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内家臣。毛利軍の防長侵攻の際、右田隆量・隆俊親子と共に篭城するも、開城した。

野原有祐(のはら ありすけ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内家臣。永正一七年、山口高嶺大神宮の社壇建立の普請奉行を勤める。

野原元重(のはら もとしげ)


生没年:?〜1592
官位 :左衛門尉
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称助三郎。文禄元(1592)年、二宮就辰隊に属し朝鮮攻めに向かうも、当地にて討死した。

信常元真(のぶつね もとざね)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。永禄三年二月、吉敷郡秋穂三郎丸三〇石を与えられた。

信常元実(のぶつね もとざね)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称:太郎兵衛。山口町奉行を務める。大内輝弘が山口に侵攻した際、小郡口の守備に就く。その後、粟屋元種・内藤就藤らと共に高嶺城に篭城し、城を守りぬいた。

野間隆実(のま たかざね)


生没年:?〜1554
官位 :刑部大輔
居城 :安芸国矢野保木城
列伝 :安芸国人の一人で安芸でも有数の水軍を擁していた。大内義隆死後、陶家に属する。その為、毛利軍の侵攻に合い、舅の熊谷信直を頼り、降伏するも許されず、家臣共々皆誅された。

乃美景興(のみ かげおき)


生没年:?〜?
官位 :掃部頭
居城 :安芸国賀茂郡茶臼山城
列伝 :乃美隆興の子。小早川宗興ともいう。父・隆興及び、小早川弘平・乃美宗勝らと共に、沼田・竹原小早川家の統合に力を注いだ。後に、その功により、隆景から『景』の字を拝領し、景興と名乗る。

乃美景継(のみ かげつぐ)


生没年:1561〜1613
官位 :備後守
居城 :不明
列伝 :乃美宗勝の次男。通称・孫兵衛尉。父に引き継いで隆景に仕え、乃美備後守景継と名乗った。後に隆景が備後三原に隠居した際、景継も安芸忠海に復帰した。隆景死後は輝元に仕え、関ヶ原合戦においては、村上景広・九鬼嘉隆と共に、尾張知多郡を攻撃、知多半島西岸の六浦を制圧した。

乃美賢勝(のみ かたかつ)


生没年:?〜?
官位 :兵部少輔・備前守
居城 :安芸国安芸郡瀬戸城
列伝 :乃美家氏の次男で、浦元安の養子となる(だが、賢勝は乃美姓を名乗った)。浦家を嫡子の宗勝(乃美宗勝)に任せ、大内家に忠勤を尽くした。後に陶家に属し、石見三本松城攻囲戦にも参戦している。

乃美隆興(のみ たかおき)


生没年:1513〜1598
官位 :弾正忠・安芸守
居城 :備後国茶臼山城
列伝 :旧名:公平。1543年、山名理興が小早川領に侵攻した際、高山城を守り、毛利勢と共に椋梨で山名軍を撃破した。隆景の沼田相続に尽力した。

乃美宗勝(のみ むねかつ)


生没年:1526〜1592
官位 :兵部丞・備前守
居城 :備後国忠海賀儀城
列伝 :別名・浦宗勝。父・賢勝は浦姓だが、宗勝は実家の乃美姓を名乗った。
小早川隆景の家督相続反対派の誅殺や厳島合戦の際に村上水軍への使者として出向き、援軍の実現・門司城攻防戦など、その働きには多大なものがあった。備前常山城で、敵将上野高徳の妻・鶴から国平の太刀を受け取る。

乃美元信(のみ もとのぶ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :備中国賀夜郡宮地山城
列伝 :小早川家家臣。賢勝の子。通称・少輔七郎。
天正一〇(1582)年、備中宮地山城の城将となったが、配下の舟木藤左衛門の内通により開城。安芸に戻った。

野村就好(のむら なりよし)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉見家臣だったが、吉見家没落後は毛利家に仕え、社務代を勤めた。

野村之次(のむら ゆきつぐ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉見家臣。通称・又左衛門。馬廻衆の一人だったが、防長移封の際に禄を離れた。
後に慶長一五年三月、無給通として萩藩に召抱えられた。

野村頼春(のむら よりはる)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉見譜代家臣。弘治三(1557)年、阿武郡内に所領を給された。

野山益朝(のやま ますとも)


生没年:?〜?
官位 :宮内少輔
居城 :備中国上房郡野山城
列伝 :備中国人。野山家は伊達朝義を祖とする一族で、戦国時代に野山と姓を改めた。
益朝は三村家・毛利家に属し、備前・美作を巡り、浦上・宇喜多と争ったが、天正三(1575)年の備中兵乱では嫡子朝経と共に三村方として篭城するも許された。


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