益田藤兼(ますだ ふじかね)


生没年:1529〜1596
官位 :越中守
居城 :石見国美濃郡益田七尾城
列伝 :石見国人として、代々大内家に仕える。陶晴賢の謀反の際、晴賢の親族ということもあり、陶方として、宿敵である吉見正頼を攻撃する。後に、吉川元春に降伏する。
以後、石見勢の重鎮として各地で武功を重ねる。

益田元祥(ますだ もとなが)


生没年:1558〜1640
官位 :右衛門佐・玄蕃頭
居城 :石見国美濃郡益田七尾城
列伝 :益田藤兼の嫡男。卓越した事務処理能力を持っていた。関ヶ原後、防長2カ国に減封され、財政難に陥った毛利家の財政を見事に立て直した。この功により、益田家は永代家老に任命される。

増原元澄(ますはら もとずみ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・弥四郎。弘治元年、安芸国人野間隆実の居城・矢野保木城を攻略した際、武功を上げた。
後に備中兵乱の際、経略を持って陥れるべく備中松山城へ侵入した(結果的に松山城の落城は竹井直定や河原直久ら諸将の寝返りに寄る影響が大きく、元澄の働きも大きかったと思われる)

町野隆風(まちの たかかぜ)


生没年:1528〜?
官位 :掃部介
居城 :長門国阿武郡平山星城(現・山口県阿武郡阿東町)
列伝 :大内家家臣。陶方の武将として東長門を斡旋する、陶晴堅の命で1553年4月18日前後に平山星城(ひらやまほしのじょう)に謀略を仕掛け和睦の使者を送るフリをしてその間に搦め手から兵を送り挟み討ちにして攻略した。後に吉見軍に攻め込まれ、降伏した。

町野隆親(まちの たかちか)


生没年:?〜1555
官位 :不明
居城 :周防国玖珂郡高山寺城
列伝 :安房里見家臣だったが、蒲生・大内と仕官先を変え、周防高山寺城主となる。
天文二十三(1554)年、芸州明石口にて、一千騎を率い毛利軍と戦うも敗走。後に厳島にて討死した。

町野隆治(まちの たかはる)


生没年:?〜1555
官位 :相模守
居城 :周防国玖珂郡高山寺城
列伝 :隆親の子。長門嘉年城攻略に功があった。
後に明石口合戦に参加するも敗北、厳島では父と共に討死した。

松岡頼利(まつおか よりとし)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉見家臣。通称・三郎兵衛。吉見惣領家改易後、水津頼勝・落合正信らと共に萩藩に召抱えられた。

松原隆則(まつばら たかのり)


生没年:?〜1551
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内家臣。大内義隆が大寧寺で自刃する際、最後まで付き従い、義隆に殉じた。

列伝に戻る