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草刈重継(くさかり しげつぐ)


生没年:?〜?
官位 :対馬守
居城 :美作国東北条郡矢筈山城→筑前国御笠郡宝満城
列伝 :美作国人。草刈衡継の次男。1579年、織田方に内通した罪で兄・景継が切腹すると、その後を継いだ。
高松城の和議後、退城勧告を無視し、攻め込んできた宇喜多軍を逆に撃破する。後に羽柴家の働きで開城。美作から退去し、新たに備後に所領をもらう。後に小早川家の筑前移封に従い二〇〇〇石を与えられ、宗像家の行跡を継ぐ。
隆景死後は引き続き秀秋に仕えるが、関ヶ原の前後に毛利家臣となる。

草野家清(くさの いえきよ)


生没年:?〜1587
官位 :長門守・左衛門督
居城 :筑後国山本郡発心嶽城
列伝 :草野鑑員の子。鎮永とも言う。大友の支援の下、龍造寺家と戦っていたが、耳川の合戦後、龍造寺・秋月らと手を組み挙兵するも、羽柴秀吉の猛攻の前に降伏した。後に九州閉廷後の仕置に反発して挙兵。小早川秀包に攻められた後、秀吉に誅殺される。子の永広は鍋島家に仕えた。
(注:肥前草野家にも同名の「草野鎮永」がいて、混同する事が多いので注意。河村も混同しておりました(汗)

草野鎮永(くさの しげなが)


生没年:?〜1617
官位 :中務大輔
居城 :肥前国深江岳城→筑前国怡土郡高祖城
列伝 :原田了栄の子。旧名・原田種吉。草野永久の死後、家督を継承する。天正元(1573)年、勢力を伸ばしてきた竜造寺氏に降伏。後に波多氏と争う。後に秀吉の前に降伏。所領を没収された。
(注:筑後草野家にも同名の「草野鎮永」がいて、混同する事が多いので注意。河村も混同しておりました(汗)

櫛部良正(くしべ よしまさ)


生没年:?〜?
官位 :藤蔵人
居城 :不明
列伝 :屋代島海賊衆の一人。代々藤蔵人の名を引き継ぐ。
大内家の警固衆だったが厳島合戦の際毛利家に降り、一〇〇石の知行を得た。

口羽通平(くちば みちひら)


生没年:?〜1592
官位 :刑部大輔
居城 :不明
列伝 :吉川家臣。通称・善九郎・新左衛門尉。朝鮮にて病死した。

口羽通良(くちば みちよし)


生没年:1512〜1582
官位 :刑部大輔・下野守
居城 :石見国琵琶甲山城
列伝 :志道元良の次男。旧姓志道。兄・広良の死により、重臣に抜擢された。毛利四天王の一人として、各地で活躍した。

沓屋景頼(くつや かげより)


生没年:?〜?
官位 :東市佐
居城 :不明
列伝 :屋代島海賊衆の一人。沓屋隆貞の子。永禄四年の門司合戦で高名を挙げた。

沓屋勝範(くつや かつのり)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :屋代島水軍の将。大内家に従っていたが、厳島合戦後、毛利家に臣従した。

国貞景氏(くにさだ かげうじ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :隆景の元で鉄砲隊を指揮し、多大な戦果を挙げた。天正一九年、筑前糟屋・穂波両郡で二〇〇石を打渡される。後に、三原城築城の責任者となる。

国重信正(くにしげ のぶまさ)


生没年:?〜1550
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。旧姓は武田。在地名を取り国重と改姓する。
毛利興元・幸松丸・元就の3代に渡って仕えた。

国司就信(くにし なりのぶ)


生没年:?〜1592
官位 :雅楽允・対馬守
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。大内家滅亡後の防長で防長領国の段銭の管理運営を担う段銭奉行を務める。後に長門日山城普請、天正十一(1583)年に行われた大内義隆三十三周忌の法会の執行なども命じられている。

国司元相(くにし もとすけ)


生没年:1492〜1591
官位 :右京亮・飛騨守
居城 :不明
列伝 :国司有相の嫡男。隆元の守役を務めた。出雲・豊前など各地で戦功をあげた。後に五奉行の一人に任命され、幕府への使者として出向くなど、外交面でも活躍した。

国弘高実(くにひろ たかざね)


生没年:?〜?
官位 :隠岐守
居城 :備中国幸山城
列伝 :毛利家臣。備中兵乱の際、幸山城主・石川久孝が家臣・友野石見に誅されると、隆景の命で幸山城将となった。

久芳賢重(くば かたしげ)


生没年:?〜?
官位 :右京進・対馬守
居城 :安芸国賀茂郡久芳城
列伝 :安芸国人の一人。旧名兼重。陶晴賢が石見三本松城を攻めた際、同陣するも、手傷を負う。折敷畑の合戦後、子の賢直や毛利与三と共に毛利に降った。

久芳賢直(くば かたなお)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :安芸国賀茂郡久芳城
列伝 :賢重の子。折敷畑合戦後、父と共に毛利家に降る。天正元年、因幡の武田高信の元に派遣された。

熊谷直続(くまがい なおつぐ)


生没年:?〜1542
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :熊谷元直の子。信直の弟。天文二(1533)年、安芸武田光和が熊谷家の本拠地・三入高松城を攻撃した際、水落直政らと共に、横川表(広島市西区)で撃退した。天文十六(1542)年、大内軍の出雲侵攻の際、赤穴瀬戸山城攻撃の最中に戦死。

熊谷就政(くまがい なりまさ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。永禄一二(1569)年、厳島に監禁されていた和智誠春・湯谷久豊兄弟が脱走し、厳島神社の本殿に立てこもった際、児玉元村と共にこれを討ち取っている。

熊谷信直(くまがい のぶなお)


生没年:1507〜1594
官位 :伊豆守
居城 :安芸国三入高松城
列伝 :熊谷元直の子。代々安芸武田家に仕えていたのだが、安芸武田家臣・山中成祐の所領である可部三〇〇貫を横領し、武田光和に嫁いでいた妹の破談を機に、天文二(1533)年に毛利家に属した。天文一六(1547)年、娘が吉川元春の正室になったのを機に、吉川家に属し、吉川元春と共に軍事行動を行う。吉川興経殺害にも携わった。

熊谷広真(くまがい ひろざね)


生没年:1537〜1570
官位 :右近大夫
居城 :出雲国飯石郡須佐高矢倉城
列伝 :毛利家臣。熊谷信直の三男、御近習頭を勤めた後、誅殺された本城常光の後任としてその居城、須佐高矢倉城将となり、須佐五〇〇貫、乙立三五〇貫、古志一〇〇貫を与えられる。
尼子勝久率いる尼子再興軍が出雲に侵攻した際、開城を求める使者が来たが、この使者の首を刎ね、攻め込んできた尼子軍を撃退し、須佐高矢倉城を守りぬいた。

熊谷元直(くまがい もとなお)


生没年:1555〜1605
官位 :豊前守
居城 :安芸国三入高松城
列伝 :熊谷信直の孫。洗礼名メルチョル。毛利家重臣として、四国・九州征討に参加。黒田官兵衛の影響で洗礼(キリシタンになる事)を受けた。後に、萩城建築奉行を務めたが、1605年、工事の遅れを理由に一族もろとも処刑された。

熊野貞氏(くまの さだうじ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内家臣。永正一七年、山口高嶺大神宮の社壇建立の作事奉行を勤める。

蔵田就貞(くらた なりさだ)


生没年:?〜?
官位 :東市介
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。天正一五年九月から翌一六年七月まで羽柴秀吉の九州征討に際しての軍勢渡海に携わる「赤間関渡船奉行」となった。
後に毛利家防長移封後に検地の責任者となった。

蔵田信近(くらた のぶちか)


生没年:?〜1551
官位 :不明
居城 :周防国玖珂郡差川城
列伝 :大内家臣。教信死後家督を継ぐも同年に討死した。

蔵田教信(くらた のりのぶ)


生没年:?〜1551
官位 :治部少輔
居城 :周防国玖珂郡差川城
列伝 :大内家臣。陶晴賢の謀反の際、大内義隆に与し、陶軍と戦い討死した。

蔵田房信(くらた ふさのぶ)


生没年:?〜1523
官位 :不明
居城 :安芸国鏡山城
列伝 :大内家臣。安芸鏡山城代を勤める。
大永三年、尼子経久の攻撃を受ける。この時、伯父の真信が内通した為落城。房信は一門の盛信と共に落城の責を負い自刃した。

蔵田真信(くらた まさのぶ)


生没年:?〜1523
官位 :日向守
居城 :安芸国鏡山城
列伝 :大内家臣。大永三年、尼子経久が安芸鏡山城を攻撃した際、毛利元就の内通工作を受け、城内で内通、落城させる。
が、経久はこれを許さず真信を処刑した。
皮肉なことに、落城の責を負い自刃した蔵田房信・盛信の子孫は後に毛利家臣として存続し、真信の家系はこの時断絶した。

蔵田盛信(くらた もりのぶ)


生没年:?〜1523
官位 :備前守
居城 :安芸国鏡山城
列伝 :大内家臣。安芸鏡山城に拠る。大永三年、尼子経久の攻撃を受ける。この時、伯父の真信が内通した為落城。一門の房信と共に落城の責を負い自刃した。

来島通総(くるしま みちふさ)


生没年:1561〜1597
官位 :出雲守
居城 :伊予国来島城
列伝 :来島村上家五代目棟梁。旧名:村上通昌。来島通康の四男。河野家に属し、村上水軍の一翼を担うも、秀吉の調略により、織田方へ寝返る。このため、怒り狂った毛利・河野・村上水軍により来島を攻撃され、命からがら京都へ逃げる。後に来島に復帰するも、朝鮮侵攻の時、李瞬臣の水軍の前に、あえなく討ち死にした。

来島通康(くるしま みちやす)


生没年:1519〜1567
官位 :右衛門大夫・出雲守
居城 :伊予国来島城
列伝 :来島村上家四代目棟梁。別名・河野右衛門大夫。河野弾正少弼通直の妹と結婚したことから、河野家とのつながりが深かった。後に、通直から河野宗家・家督相続の打診が来たものの、河野家宿老達の反対により実現しなかった。厳島合戦の時には、村上武吉に水軍を託し、毛利元就に協力した。

栗栖忠連(くるす ただつら)


生没年:?〜?
官位 :木工允
居城 :不明
列伝 :忠治の子。父と同じく各地で武功を挙げる。
羽柴秀吉の九州征討の際には西大野口の戦において敵将柴田某を討ち取り安国寺恵瓊の推挙により黒田官兵衛より感状と褒美を賜った。

栗栖忠治(くるす ただはる)


生没年:?〜?
官位 :伊賀守
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。雲州や九州の戦にて戦功を挙げる。立花城攻防戦では大友方の敵侍大将を討ち取り感状を賜った。

黒川著保(くろかわ あきやす)


生没年:?〜?
官位 :三河守
居城 :不明
列伝 :黒川隆像の一門か。天正元年国司就信らと共に山口奉行を務めている。

黒川氏隆(くろかわ うじたか)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :黒川(宗像)隆像の遺児。幼名国丸。父・隆像が大寧寺で討死した後長門に逃れた。
子の氏一の代に宗像姓に戻し、宗像の家名を存続させた。

黒川隆像(くろかわ たかかた)


生没年:1512〜1551
官位 :刑部少輔
居城 :不明
列伝 :筑前宗像氏の一族。旧名宗像氏男。大内配下として、九州・出雲などで奮戦。その功により、周防吉敷郡黒川郷(今の山口市黒川)を与えられる。天文二〇年、陶晴賢の謀反の際、義隆を最後まで守り、長門国大寧寺において討ち死にした。

黒川隆尚(くろかわ たかひさ)


生没年:?〜1547
官位 :刑部少輔
居城 :不明
列伝 :大内家臣。旧名・宗像正氏。大内義隆に従い山口へ赴き、周防吉敷郡黒川郷を与えられ黒川隆尚と名乗りを改める。 主に水軍を指揮し、天文一〇年、厳島神主家の友田興藤が厳島を占拠した際、隆尚は警固衆を率い厳島を奪回した。 この時、棚守房顕より太刀を賜られる。

桑原隆祐(くわはら たかすけ)


生没年:?〜1555
官位 :掃部助
居城 :不明
列伝 :屋代島水軍の将。陶家に属していたが、厳島合戦の少し前に、厳島を視察に行く毛利元就を襲撃するも、浦・飯田勢に討ち取られた。

桑原竜秋(くわはら たつあき)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :屋代島水軍の一人。厳島合戦の際、毛利方に付き、同族の桑原隆祐を破った。(この時、桑原家は既に一部が毛利と内通していた)。
後に毛利水軍の一角を担い、雲伯海上封鎖戦などで活躍した。

桑原元勝(くわはら もとかつ)


生没年:?〜?
官位 :右衛門大夫
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。屋代島水軍の一人で、椙杜房康の子。木津河口の海戦で織田軍相手に奮戦した。子がいなかったのか、遺領は児玉就英の嫡男・元方に与えられた。


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