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来嶋親久(きじま ちかひさ)


生没年:?〜?
官位 :淡路守
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。尼子経久の庶子だったが、故あって流浪の末に出雲来嶋村に居住し来嶋姓を名乗る。後に毛利元就に仕えた。

喜島宗勝(きじま むねかつ)


生没年:?〜?
官位 :備後守
居城 :石見国美濃郡桂平横山城
列伝 :益田家臣。益田家臣団の重鎮の一人である。吉見家との合戦や、1561年の門司城攻防戦では、大友方国東水軍の将・伊美弾正統昌を討ち取ったとされるなど、比類なき戦功を誇る名将だった。

来嶋之久(きじま ゆきひさ)


生没年:?〜1539
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。親久の子。通称・又兵衛。天文九年九月六日、吉田郡山城攻防戦で討死した。

岸 通忠(きし みちただ)


生没年:?〜?
官位 :掃部介
居城 :豊前国刈田郡刈田松山城
列伝 :毛利家臣。杉元相に属し、刈田松山城を守った。永禄五年九月、通忠以下苅田松山城の将兵は田川郡仲元寺表の大友軍に夜襲を仕掛けた。この時通忠は敵の首を挙げた。

北 就勝(きた なりかつ)


生没年:?〜1557
官位 :式部少輔
居城 :安芸国高田郡北城
列伝 :元就の異母弟。相合四郎とも言う。足が不自由で幼い頃より出家していたが、のちに元就の意向で還俗した。有田中井出合戦でも一手を率いて出陣している。

木谷景忠(きたに かげただ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・孫四郎。永禄元年、豊前蓑島沖海戦に参戦。戦功を挙げた。

吉川高久(きっかわ たかひさ)


生没年:?〜1581
官位 :兵部少輔
居城 :不明
列伝 :市川経好の子。隆久とも言う。
天正九(1581)年、鳥取城の援軍として入城。開城の際自刃した。

吉川経家(きっかわ つねいえ)


生没年:1547〜1581
官位 :式部少輔
居城 :石見国福光城
列伝 :吉川経安の嫡男。1581年重臣に追い出された山名豊国の後を受け、鳥取城主となる。秀吉の兵糧攻めにあい、家臣の助命を条件に自害、開城した。

吉川経実(きっかわ つねざね))


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉川家臣。経家の子。毛利家防長移封後、岩国吉川家四宿老の一人となる。

吉川経久(きっかわ つねひさ)


生没年:?〜?
官位 :河内守
居城 :不明
列伝 :吉川家臣。経世の子。兄・今田経高と共に吉川家家老となる。

吉川経安(きっかわ つねやす)


生没年:1547〜1581
官位 :駿河守
居城 :石見国物不言(ものいわず)城・福光城
列伝 :安芸吉川家分家。吉川元春が石見に侵攻すると、物不言城を築城した。その後、福屋隆兼の謀反を鎮圧。一時石見銀山の管理も任された。

吉川経世(きっかわ つねよ)


生没年:?〜?
官位 :伊豆守
居城 :不明
列伝 :吉川一門。重臣の森脇祐有と共に吉川興経の補佐を行うも、後に興経を排斥し毛利元就の次男・元春を擁立した。 興経死後、安芸市川に移され、姓も市川となった。

吉川広家(きっかわ ひろいえ)


生没年:1561〜1625
官位 :民部少輔・侍従
居城 :出雲国月山富田城→周防国玖珂郡岩国城
列伝 :吉川元春の三男。旧名・経言(つねこと)。1587年、父・元春、長兄・元長の死により、家督を継承する(この時、次兄の元氏は他家に養子に入っていた)。関ヶ原の際には東軍に内応し、毛利家の安堵を願うも、結果として、毛利家は中国百二十万石から防長三十七万石に減封されてしまう。これにより、毛利家は生き残ったものの、家臣団から恨みを買い、結果として、吉川家は明治維新の辺りまで、毛利分家の扱いを受けることはなかった。

吉川元長(きっかわ もとなが)


生没年:1548〜1587
官位 :治部少輔
居城 :安芸国日野山城→出雲国月山富田城
列伝 :吉川元春の嫡男。旧名元資。毛利一族の将として各地で奮戦するも、九州征伐の際病死。父譲りの勇猛さの一面で、教養深く、情緒豊かでもあったらしい。

吉川元春(きっかわ もとはる)


生没年:1530〜1586
官位 :治部少輔・駿河守
居城 :安芸国小倉山城・日野山城→出雲国月山富田城
列伝 :毛利元就の次男。1547年、醜女と言われた熊谷信直の娘を娶る。父・元就の命により吉川家に養子に入り、後に吉川興経親子を誅殺して、吉川家を乗っ取る。厳島合戦後は山陰方面進出の基盤を作り、尼子家滅亡後は毛利両川の一人として、山陰の軍事・統治などの権利を任される。1582年、本能寺の変の直後、羽柴勢を追撃すべしと出張した。ただ、羽柴秀吉とは仲が悪かった。1586年、九州征伐の際、癰(よう)と言う字からしておぞましい化膿性炎症に冒されていた。黒田官兵衛が用意した鮭料理を持病に悪いと知りながら食べ、そのまま急死した。

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