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飯田興秀(いいだ おきひで)


生没年:?〜?
官位 :大炊助・石見守
居城 :豊前宇佐郡安心院飯田城
列伝 :大内義隆の元で奉行人を務めた。しかし、陶晴賢の謀反に同調。以後、義長の家臣となった。

飯田景利(いいだ かげとし)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :飯田尊継の子。父と共に小早川家に仕えていたが、隆景死後、毛利家臣となった。

飯田隆言(いいだ たかこと)


生没年:?〜?
官位 :左衛門尉
居城 :不明
列伝 :大内家臣。大内義隆期に奉行を務めた。

飯田尊継(いいだ たかつぐ)


生没年:?〜1590
官位 :讃岐守
居城 :不明
列伝 :公家出身で、安芸に下向して隆景に仕えた。三原城の整備に力を尽くした。子の景利は毛利家臣となる。

飯田隆時(いいだ たかとき)


生没年:?〜?
官位 :筑後守
居城 :不明
列伝 :大内家臣だったが、防長侵攻の際毛利家に降伏。堀立直正・仁保隆慰らと共に義長との和議を進めた。
戦後、本領安堵の上、新たに長門にて三〇石を加増された。

飯田隆朝(いいだ たかとも)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。永禄二(1559)年、門司城攻防戦の際、小倉と豊後を結ぶ兵站線のかく乱の為豊前沼に配されていたが、同年九月一三日、大友軍の攻撃を受け、岩武良秀と共に奮戦したが、衆寡敵せず敗走した。

飯田長秀(いいだ ながひで)


生没年:?〜1578
官位 :石見守
居城 :豊前宇佐郡安心院飯田城
列伝 :鎮敦とも言う。飯田興秀の子。大内義長に仕えていたが、大内家滅亡後は大友家臣となった。

飯田元重(いいだ もとしげ)


生没年:?〜?
官位 :伯耆守
居城 :不明
列伝 :飯田元親の弟。幼名・まいす法師。天文十一(1542)年正月二十四日、隆元より与一左衛門尉の官途を、元亀三(1572)年十二月晦日に輝元より伯耆守を受領する。
兄の死後飯田家を相続し、郡山籠城戦、安芸明石口合戦等で武功を挙げる。

飯田元親(いいだ もとちか)


生没年:?〜1535
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。永正十三年、有田中井出合戦にて功を挙げ、後に他の一四人の宿老と共に元就に毛利宗家相続を要請した。

飯田義武(いいだ よしたけ)


生没年:?〜1592
官位 :越中守
居城 :安芸国佐東郡草津城
列伝 :毛利水軍創成期以来の名指揮官。厳島・山陰・九州などで奮戦。後に織田軍に包囲された本願寺に派遣された。

飯田義忠(いいだ よしただ)


生没年:?〜1587
官位 :石見守
居城 :但馬守
列伝 :飯田興秀の子。田原紹忍(親賢)に属する。天正十(1582)年、竜王城主・安心院麟生・千代松丸親子の謀反に際し、佐田弾正忠と共に竜王城を攻略した。

伊香賀隆正(いかが たかまさ)


生没年:?〜1555
官位 :民部大輔
居城 :不明
列伝 :陶家家臣。房明とも言う。晴賢の近習を勤める。厳島では、最期まで主君に従い、自害した。辞世は『末の露本の雫に知るやいかに つひに遅れぬ世の習ひとは』

伊香賀房直(いかが ふさなお)


生没年:?〜1567
官位 :兵庫助
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。永禄十二年、筑前立花山城攻防戦にて討死した。

伊賀崎紹活(いがさき じょうかつ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :冷泉家臣。冷泉隆豊・元豊に仕え忠義を果たした。
後に周防由宇郷にて一〇石を賜った。

伊賀崎満重(いがさき みつしげ)


生没年:?〜1597
官位 :右衛門尉
居城 :不明
列伝 :冷泉家臣。冷泉元満が朝鮮蔚山にて討死した際、元満の死骸と怪我をした郎党を船に乗せ日本に戻し、その翌日、吉安満定・白松善右衛門と共に討死した。

生口景宗(いくち かげむね)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :安芸国豊田郡茶臼山城
列伝 :生口島を本拠地にした海賊衆。通称孫三郎。毛利軍に属し、厳島合戦において活躍した。

生口景守(いくち かげもり)


生没年:?〜?
官位 :刑部丞
居城 :備後国俵崎城
列伝 :小早川家臣。生口島を本拠とした。通称・孫三郎。
小早川水軍の一員として、豊前蓑島沖海戦・摂津木津川口海戦等で武功を上げた。

伊佐景久(いさ かげひさ)


生没年:?〜1551
官位 :土佐守
居城 :不明
列伝 :大内家臣。伊佐行光の子。陶晴賢の謀反の際、同族・伊佐隆光とともに大寧寺で討死した。

伊佐隆光(いさ たかみつ)


生没年:?〜1551
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内家臣。通称与三郎。
大内義隆が大寧寺で自刃した時、隆光も共に討死したとされる。

伊佐元綱(いさ もとつな)


生没年:?〜?
官位 :加賀守
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。隆光の子。大内家滅亡後毛利家臣となった。

石蟹元宣(いしが もとのぶ)


生没年:1555〜1571
官位 :山城守
居城 :備中国哲多郡石蟹山城
列伝 :備中国人。庄家と組み三村家に対抗した為に一時的に閉塞していたが、備中兵乱で毛利方に付き旧領を安堵された。
後に美作国人・竹内久盛が毛利に与した際、援軍として赴いた。

石川種吉(いしかわ たねよし)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内→毛利家臣。長門大津郡に所領を持つ。
永禄初期〜天正十五(1587)年まで、大津郡代を勤める。

石津正祐(いしづ まさすけ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内家臣。通称・藤左衛門尉。
大内家滅亡後、毛利家に降り、豊前田河(田川)郡に所領を得た。

伊志春盛(いし はるもり)


生没年:?〜?
官位 :美作守
居城 :不明
列伝 :吉川家臣。天正一八年一〇月、吉川広家の命により、広島城築城の応援に向かった。

出羽祐盛(いずは すけもり)


生没年:?〜?
官位 :民部大輔
居城 :石見国邑智郡二つ山城
列伝 :石見国人。出羽四五〇貫を隣接する国人・高橋氏に横領されていたが、享禄二年、毛利元就によって高橋氏が滅ぼされ、所領を還付されたのを期に毛利家に降った。

出羽元勝(いずは もとかつ)


生没年:?〜?
官位 :出雲守
居城 :不明
列伝 :石見国人。元祐の子。幼名は宮徳丸。一時期、富永掃部頭を称した。出羽家に入嗣していた元倶(元就六男)が死去した為、家督を継承する。
天正二年、足利義昭より毛氈鞍覆・白傘袋の使用を認められた。
同一七年、周防都濃郡内三九三石、玖珂郡内一九〇石余を打渡される。また従五位下・出雲守に任官され、豊臣姓を与えられた。

出羽元祐(いずは もとすけ)


生没年:?〜?
官位 :民部大輔
居城 :石見国邑智郡二つ山城
列伝 :石見国人。祐盛の子。天文一八年、大内義隆より家督相続を安堵される。大内義隆死後は毛利家に属し、天文二十三年の安芸黒瀬での陶与党の殲滅戦や厳島合戦で活躍。
弘治年間、安芸佐東五〇貫、東西条一〇〇貫、永禄三年、石見高見七〇貫、山南五五貫、同7年には石見矢上五〇〇貫を宛がわれた。
後に元就の六男、元倶を養子に迎えるも、元倶は夭折した為、実子の元勝が家督を相続した。

出羽元倶(いずは もととも)


生没年:1555〜1571
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利元就の六男。出羽元祐の養子となるも、夭折。元祐による暗殺説も否定できない。

和泉信行(いずみ のぶゆき)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :備後国恵蘇郡黒岩城
列伝 :和泉信正の子。和泉家は尼子家に属していたため、月山富田城に人質として入っていた。1526年、毛利家への臣従を望む家臣団に、信正が殺害されると、当主となり、後に毛利家に属した。1553年には、尼子との合戦(和泉合戦)に毛利方として奮戦。その恩賞として、備後三次の笠野山城を与えられた。

伊田興理(いだ おきよし)


生没年:?〜?
官位 :美作守
居城 :不明
列伝 :大内家臣。義隆期に奉行人を務めた。

市川経好(いちかわ つねよし)


生没年:1520〜1584
官位 :不明
居城 :周防国吉敷郡高嶺城
列伝 :吉川経世の子。旧姓吉川。吉川興経を追い出し、吉川元春に家督を継がせる。大内家滅亡後、高嶺城代・山口奉行として、防長両国の執政に当たる。後に息子元教が大友に内通しようとしたのを知り、元教を殺害する。

市川元直(いちかわ もとなお)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・三右衛門尉。朝鮮出兵の際、毛利元康隊に属した。
(他に吉見元頼・周布元盛・都野家頼・天野元信・阿曾沼元秀なども元康隊に属していた)後に朝鮮にて戦傷死する。

市川元教(いちかわ もとのり)


生没年:?〜1578
官位 :不明
居城 :周防国吉敷郡高嶺城
列伝 :市川経好の嫡子。少輔七郎。
天正六(1578)年、大友家に内応しようとしたが露見し、父・経好に誅殺された。

市来元家(いちき もといえ)


生没年:?〜?
官位 :佐渡守
居城 :不明
列伝 :大内家臣。天文二四年、大内義長より安芸久芳保で三五石を安堵される。

一条市介(いちじょう いちすけ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :伯耆国会見郡河岡城・伯耆国日野郡大江城
列伝 :毛利家臣。山田満重に属し、永禄六年伯耆国会見郡河岡城の守将となったが同年7月3日、尼子軍の攻撃を受け城を守りきったが、奮戦の後銃弾を浴び負傷した。
後に日野郡大江城の守将となり、六〇〇の兵と共に守りにつく。
翌年7月22日因幡鹿野合戦にて戦功を挙げ、吉賀惣左衛門頼貞・土屋七郎左衛門らと共に感状を賜った。

伊藤実信(いとう さねのぶ)


生没年:?〜1569
官位 :左近亮
居城 :不明
列伝 :吉見家臣。永禄十二(1569)年、大内輝弘率いる大内再興軍が山口に侵攻した際、吉賀・上領と共に五〇〇の兵を率い救援に向かうも宮野口仁保之杖坂において城井小次郎率いる大内軍に大敗、討死した。

伊藤就安(いとう なりやす)


生没年:1578〜1660
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉見家臣。伊藤頼時の子。朝鮮出兵の際、吉見元頼に従い武功を挙げた。

伊藤元利(いとう もととし)


生没年:?〜?
官位 :但馬守
居城 :不明
列伝 :吉見家臣。伊藤頼時の嫡子。吉見元頼・広長に従い、朝鮮にて武功を挙げる。
慶長三年、毛利家に召しだされ、一二〇石を与えられた。

井上有景(いのうえ ありかげ)


生没年:?〜?
官位 :豊後守
居城 :備中国庭瀬(撫川)城
列伝 :毛利家臣。備中兵乱後備中庭瀬城将となる。
天正一〇年、羽柴勢が備中高松城を攻撃した際、孤立化を恐れた吉川元春・小早川隆景より退城命令を受けるもこれを固辞し、八〇〇余の兵と共に羽柴軍を撃退した。

井上景家(いのうえ かげいえ)


生没年:1568〜1636
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :井上利宅の子。父の死により、八歳で家督を相続する。成人後は隆景の家臣として御旗奉行を務め、四国侵攻戦、朝鮮・碧蹄館の合戦で活躍した。

井上景貞(いのうえ かげさだ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :井上春忠の子。通称・五郎兵衛。小早川隆景に仕え、朝鮮出兵の際には、粟屋景雄と共に先手大将を勤め、碧蹄館の戦いでは敵将・李有fを討ち取った。
隆景死後は毛利家臣に編入されるも、外様視されるのを嫌ってか、慶長六年に、父・春忠と共に出奔した。

井上利宅(いのうえ としいえ)


生没年:?〜1576
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利→小早川家臣。天文一九六年、井上一門が誅殺された際、幼かった事から助命され、成人後元就の許しを得て小早川隆景に仕えた。

井上就兼(いのうえ なりかね)


生没年:?〜1550
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。井上党の一人。天文一九年七月一三日、吉田郡山城中にて桂就延に誅殺された。

井上就貞(いのうえ なりさだ)


生没年:?〜1569
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :通称:善兵衛。大内家滅亡後、藤井淡路守と共に山口奉行に就任。大内輝弘の乱の際、周防梅ノ木峠において、藤井淡路守と共に大内勢と戦うが、敗退した。

井上就澄(いのうえ なりずみ)


生没年:?〜1550
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。井上党の一人。天文一九年、七月一三日、元就の命を受けた福原・桂の手勢三〇〇騎に居館を急襲され、父と共に討ち取られた。

井上春忠(いのうえ はるただ)


生没年:?〜?
官位 :伯耆守
居城 :備中国浅口郡鳶山城(岡山県浅口郡里庄町)
列伝 :井上資明の子。通称・又右衛門尉。隆景の側近として、権勢を振るう。隆景死後は毛利家臣に編入されるも、外様視されるのを嫌ってか、慶長六年に、子の景貞と共に出奔した。

井上光政(いのうえ みつまさ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。永正一四(1517)年、有田中井出合戦において、敵総大将・武田元繁の首を取った。

井上元景(いのうえ もとかげ)


生没年:?〜1550
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。井上光景の弟。後に元有。通称・弥四郎、与三右衛門尉。大永三年の毛利元就の家督相続についての使者を務める。
後に天文一九(1550)年、井上元兼らと共に誅殺された。

井上元勝(いのうえ もとかつ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。永禄11年以降、毛利輝元の近習として活躍。
天正七年十月、備中佐井田城城番の恩賞として五十石を加増された。

井上元兼(いのうえ もとかね)


生没年:?〜1550
官位 :河内守
居城 :不明
列伝 :毛利家宿老。井上党の頭目として、家中でも一大勢力を築いていたが、専横の振る舞い多く、天文一九年、毛利元就により一門もろとも誅殺された。
これにより、毛利家の家中制度が一新される事になった。

井上元貞(いのうえ もとさだ)


生没年:?〜1525
官位 :兵庫助
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。元就が家督を継いだ際、重臣達が提出した連判状に記名した一五名の中の一人。 尼子家に人質として出向いたが、毛利家が尼子と手を切り、大内に与した際、吉田郡山城に逃げ戻ろうとしたが、光永秀時らと共に討死した。

井上元辰(いのうえ もとたつ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。朝鮮征討の際、蔚山城築城を行い、完成後は他の諸将と共に城番を命じられた。

井上元吉(いのうえ もとよし)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・新左衛門尉。大永三年、毛利元就の家督相続を要請した宿老一五人の内の一人。

井下朝兼(いのした ともかね)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :福屋家臣→吉川家臣。通称・新兵衛尉。福屋隆兼家臣だったが吉川元春に降伏し、家臣となった。
のちに伊予河野氏への救援部隊の先鋒として赴いた。

今岡通久(いまおか みちひさ)


生没年:?〜?
官位 :民部大輔
居城 :伊予国甘崎城
列伝 :河野家臣。河野幕下一八将の一人で上島旗頭衆の一人。
天文一三年、来島通康より、大三島甘崎城の守将に命じられた(実際には今岡民部丞以下の将が守備に付いた)。

今田経高(いまだ つねたか)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉川一門。経世の子。父や兄の経好・森脇祐有らと共に、吉川興経排斥に加わった。

今田久景(いまだ ひさかげ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :備後山内家臣だったが、第一次月山富田城合戦後、主君・山内直通の密命で敗走中の毛利元就の護衛を行い、そのまま毛利家に召抱えられた。

入江著親(いりえ あきちか)


生没年:?〜1566
官位 :加賀守
居城 :長門国豊浦郡且山城
列伝 :大内家臣。大内家滅亡後、毛利家に降り、且山城に配備された。
永禄七(1566)年、山陰に出兵。三村家親・香川光景と共に伯耆日野郡の一揆を鎮圧。更に北上し、尼子家臣福山肥後守と激突。著親らはこれを撃破した。

入江正高(いりえ まさたか)


生没年:?〜?
官位 :大蔵少輔
居城 :備後国芦品郡森定城・石原山城
列伝 :備後山名家家老。山名家滅亡後、杉原盛重の家老となった。

岩武実秀(いわたけ さねひで)


生没年:?〜?
官位 :右衛門尉
居城 :不明
列伝 :大内家臣だったが、大内家滅亡とともに毛利家に降り、長門厚狭郡に所領を得た。

岩武良秀(いわたけ よしひで)


生没年:?〜?
官位 :対馬守
居城 :不明
列伝 :大内→毛利家臣。長州厚東郡、豊前規矩・仲津郡に所領を有した。
仁保隆慰に属し、門司城番を勤め、大友家との合戦で活躍した。

岩正興致(いわまさ おきむね)


生没年:?〜?
官位 :伊豆守
居城 :不明
列伝 :大内家臣。大内家滅亡後、河屋隆通・大庭賢兼・吉田興種らと共に市川経好の補佐に当たった。

岩室坊勢意(いわむろぼう せいい)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :紀伊国根来寺
列伝 :根来寺宗徒。毛利家に仕え三万石を拝領する。関ヶ原では根来衆一三三五名を率い毛利家に加わる。 戦後、井伊直政から三万石で家康に仕える様誘われるもこれを固辞。防長移封に従い一五〇〇石を給される。

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