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梅月致定(ばいげつ むねさだ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :筑前国志摩郡柑子岳城
列伝 :大内家臣。梅月頼致の子。父に従い、石見国高城から筑前に移る。天文四(1535)年、父の隠居により跡を継ぐ。

箱田弥秀(はこだ ひさひで)


生没年:?〜?
官位 :左馬允
居城 :長門国厚狭郡内郡城
列伝 :大内家家臣。天文17年(1548年)の大内義隆時代の文書に、その名が残っている。

長谷部元信(はせべ もとのぶ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :備後国翁山城
列伝 :備後国人の一人。元々は備後守護・山名家に属していたが、元信の代に毛利元就の家臣となった。天文23(1554)年折敷畑合戦で活躍した。

波多野勝実(はたの かつざね)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :周防国人。通称・彦左衛門尉。大内家臣だったが、厳島後、周防に侵攻した毛利軍に降伏。
蓮華山城攻略や、大内後周防で起こった大内旧臣の一揆の鎮圧等に功があった。

波多野繁郷(はたの しげさと)


生没年:?〜?
官位 :備後守
居城 :不明
列伝 :大内家臣。長門波多野家との関係は不明。幼名薗千代。
大内家滅亡後、毛利家に降り、周防吉敷郡・長門美祢郡内三〇石の所領を安堵された。

波多野滋信(はたの しげのぶ)


生没年:?〜1554
官位 :内蔵助
居城 :長門国阿武郡嘉年城(現・山口県阿武郡阿東町)
列伝 :吉見家家臣。吉見正頼の挙兵の際、嘉年・渡川の両城を守り、獅子奮迅の活躍を見せるも、落城・討ち死にした。

波多野就信(はたの なりのぶ)


生没年:?〜1543
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・源兵衛尉。天文十二(1543)年、大内勢が月山富田城から撤退する際、大江坂七曲の戦において、他の旗本と共に元就を守り尼子軍と応戦したが、討死した。

波多野就雅(はたの なりまさ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・源兵衛尉。折敷畑合戦にて武功があった。
厳島合戦では敵二人を討ち取った。

波多野秀信(はたの ひでのぶ)


生没年:?〜1554
官位 :不明
居城 :長門国阿武郡嘉年城(現・山口県阿武郡阿東町)
列伝 :吉見家家臣。吉見正頼の後年に残した書状に名前がある事により津和野合戦では防衛できるかどうかのカギ所を守っていた武将、結局、嘉年城は落城してしまうがよく防衛した事を正頼はかなり評価している。

波多野真忠(はたの まさただ)


生没年:?〜1574
官位 :右衛門尉・備前守
居城 :不明
列伝 :吉見家臣。通称・藤右衛門尉。吉見隆頼の家老を勤めた。

波多野頼武(はたの よりたけ)


生没年:?〜?
官位 :右馬允・左馬允
居城 :長門国阿武郡城の腰城(現・山口県萩市)
列伝 :吉見家家臣。興景の子。天正年間、吉見正頼の命により城の腰城を守る。後に吉見惣領家が改易された後、毛利家に召抱えられた。

波多野頼次(はたの よりつぐ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内家臣。天文十二年、豊西郡神田別府にて五石を給された

幡生言延(はたぶ ことのぶ)


生没年:?〜?
官位 :右衛門尉
居城 :不明
列伝 :厚狭郡惣社八幡宮大宮司。幡生家が代々勤めていた。大内家に属してたが、滅亡後は毛利家に属した。

八谷通成(はちや みちなり)


生没年:?〜?
官位 :壱岐守
居城 :不明
列伝 :備後山内→毛利家臣。天文十二年、大内軍が出雲から敗走中、同じく撤退中であった毛利元就が山内家の居城・甲山城に立ち寄った際、元就の護衛として吉田郡山城まで付き従い、そのまま毛利家臣となった。
(この時、河北俊興・湯川元常らも同様に毛利家に仕えた。

羽仁有繁(はに ありしげ)


生没年:?〜1555
官位 :越前守
居城 :安芸国佐西郡草津城
列伝 :安芸神領衆の一人。天文二十二(1553)年、新里式部に代わり草津城主になったが、毛利軍の侵攻に逢い降伏、山口に退去した。厳島合戦において討死。

羽仁藤直(はに ふじなお)


生没年:?〜1555
官位 :左近将監
居城 :安芸国佐西郡草津城
列伝 :羽仁有繁の子。厳島合戦で父とともに討死した。

羽根泰次(はね やすつぐ)


生没年:?〜?
官位 :遠江守
居城 :不明
列伝 :石見国人。石見羽根郷(現・大田市)を本拠としていた。
泰次は尼子家に属していたが、毛利軍の石見侵攻の際、本城常光と共に毛利に降る。これにより尼子勢力は石見から一掃された。

林 包次(はやし かねつぐ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :久留米小早川家臣。通称・次郎兵衛尉。名前の『包』は主君・小早川秀包からの拝領と思われる。 天正十一(1583)年、小早川元総(後の秀包)・吉川経言(後の広家)が羽柴秀吉の元へ人質として送られた際、元総の供衆として同行した。

林 重真(はやし しげさね)


生没年:1531〜1582
官位 :不明
居城 :備中国賀陽郡冠山城
列伝 :通称・三郎左衛門。備中国人の一人で、清水宗治に属していた。羽柴勢の攻撃を受け、奮戦の末、戦死。その首は信長の元へと送られたと言う。

林 就長(はやし なりなが)


生没年:?〜?
官位 :肥前守
居城 :備後国世羅郡松岡城
列伝 :毛利家臣。肥後菊池家の出身とも。豊前香春岳城攻撃において、羽柴秀吉より感状を賜った。

林 宗重(はやし むねしげ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :備中国賀陽郡冠山城
列伝 :林重真の子。父と共に冠山城に篭城するも、落城。宗重は禰屋久秀・松田盛明・三村親宣らと共に高松城に退却した。
備中高松城落城後は小早川隆景に仕え、筑前にて討死した。

原田隆種(はらだ たかたね)


生没年:?〜1586
官位 :不明
居城 :筑前国高祖城
列伝 :後に了栄。大内家に従っていたが、義隆死後は大友→毛利→大友→竜造寺→島津と西国諸家の間を歩き渡った。後に、豊臣勢との戦において討ち死にする。

原 武信(はら たけのぶ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内のち毛利家臣。弘治三年一〇月一七日、長門美禰郡嘉万別府五石、周防吉敷郡矢田令一石、御堀村二斗を加増された。

原田種門(はらだ たねかど)


生没年:?〜1557
官位 :不明
居城 :筑前国怡土郡高祖城
列伝 :筑前国人。隆種の子。秋月文種・筑紫惟門らと共に大友に反旗を翻した為、弘治三年、大友軍の攻撃を受け討死した。

原田信種(はらだ のぶたね)


生没年:1560〜1598
官位 :下野守
居城 :筑前国高祖城
列伝 :草野鎮永の子。原田隆種の死後、家督を相続する。豊臣家の九州侵攻の際、島津軍の最前線で戦うものの降伏、肥後に転封された。朝鮮の役において討ち死にする。
(朝鮮軍に降伏し、日本軍と戦った武将・沙也可(さやか)が彼だと言う説もある)

伴 繁清(ばん しげきよ)


生没年:?〜1542
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :安芸武田一門。有田中井出合戦の際には品川信定と共に有田城の攻囲を行うも敗戦により、粟屋・香川・己斐勢と共に退却する。その後天文九年大内家へ降伏する。
が、その後武田家再興を図り挙兵するも天文十一年十一月十四日、毛利軍に鎮圧され、討死した。

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