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秋穂盛光(あいお もりみつ)


生没年:?〜1569
官位 :因幡守
居城 :周防国吉敷郡鷺山城
列伝 :周防国人。大内家滅亡後、毛利家に従う。後に輝弘が山口に侵攻した際、手勢を率い輝弘に従うも、敢え無く討ち死にした。

相嶋光宣(あいじま みつのぶ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・仁右衛門尉。関ヶ原戦後、広島城明け渡しの際、弟の元光・岩倉五郎左衛門尉と共に城中の荷物の搬出を行った。

相嶋光久(あいじま みつひさ)


生没年:?〜1582
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称孫左衛門。元就・輝元の小物として奉公し、感状を数通受け取った。
天文二十二(1553)年四月、備後江田寄国城攻撃で敵の首を挙げ、感状を賜る。 後に因幡鳥取城を巡る戦で、敵数名を討ち取ったが、組頭河野元政らと共に討死した。

青景隆著(あおかげ たかあきら)


生没年:1514〜1556
官位 :右京進・越後守
居城 :長門国美禰郡青景城?
列伝 :長門国人。大内義隆の元で奉行人を勤めた。陶晴賢謀反の讒言を行った張本人。晴賢の謀反の時、冷泉隆豊らが連署した弾劾状の中に名が載ることになった。後に、毛利家との戦いにおいて討死する。

青景隆時(あおかげ たかとき)


生没年:?〜1551
官位 :越前守
居城 :不明
列伝 :大内家臣。大内義隆が大寧寺に逃げる際、長門永福寺にて討死した。

青木貞久(あおき さだひさ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :三刀屋家臣。元亀元年一月一六日、元春・隆景から三刀屋城籠城の功を賞された。

赤尾賢種(あかお かたたね)


生没年:?〜?
官位 :式部少輔
居城 :豊前国宇佐郡光岡城
列伝 :豊前国人。大内家に属していたが、1556年に大友家に服属。翌年、山田隆朝を討ち取り、式部少輔に任命された。後に、大友義鎮(宗麟)の命により、宇佐郡高尾城の麻生親政を討ち取っている。

赤川就秀(あかがわ なりひで)


生没年:?〜?
官位 :筑前守
居城 :不明
列伝 :旧名:元信。兄、元光が討ち死にしたため、家督を相続した。毛利家が尼子に属した時、人質として出雲に送られる。が、毛利が尼子家と絶縁すると、密命を受け、月山富田城を抜け出した。

赤川元徳(あかがわ もとのり)


生没年:?〜1561
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・又右衛門。永禄五年一〇月一三日、戸次鑑連(後の立花道雪)が門司城を攻撃した際、大里で迎撃。冷泉元豊らと共に討死した。

赤木忠直(あかぎ ただなお)


生没年:?〜?
官位 :丹後守
居城 :備中国川上郡穴田瀧谷城
列伝 :備中国人。赤木忠房の子。三村家に属していたが、三村家が毛利家から離反すると父と共に毛利に降る。
天正一〇(1582)年、三村以下他の備中国人とともに備中高松城に入城、清水宗治とともに籠城戦を敢行し、生還した。
後に備中川上郡で一四四三石を領する。

赤木忠房(あかぎ ただふさ)


生没年:?〜?
官位 :蔵人
居城 :備中国川上郡瀧山城(岡山県高梁市宇治町)
列伝 :備中国人。赤木家は、備中星田郷を本拠とする国人で、三村家に属していた。
忠房は、三村家が毛利家から離反した際、毛利家に従う。三村家滅亡後、毛利家に仕え、羽柴勢による四国侵攻の際、小早川隆景に属し、伊予高尾城を攻略、城主・金子元宅を討ち取った。
(余談だが、河村の先祖は赤木家に仕えてたとか。ホントかどうかは不明です)

赤穴久清(あかな ひさきよ)


生没年:1471〜1553
官位 :駿河守・左京亮
居城 :出雲国飯石郡赤穴瀬戸山城
列伝 :出雲国人。幸清の子。別名・善太郎安連・郡連とも。尼子家に従う。
天文十一(1542)年、大内軍の攻撃を受けた際、嫡子光清を失う。

上利好世(あがり よしよ)


生没年:?〜?
官位 :和泉守
居城 :不明
列伝 :後根家臣。山口から逃れた大内義隆が仙崎まで逃げてくると、船を提供した。

阿川隆保(あがわ たかやす)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内家臣。通称太郎。陶晴賢の謀反の際義隆と共に法泉寺に籠った。

秋月種実(あきづき たねざね)


生没年:1548〜1596
官位 :修理大夫・筑前守
居城 :筑前国古処山城
列伝 :秋月文種の嫡男。入道名・宗ァ。
幼少時、大友勢の攻撃により居城・古処山城は落城。父・文種、兄・晴種を亡くす。
この時種実は近親に守られ、毛利元就を頼って山口に逃走する。
その後、毛利家の支援と旧臣の協力を得て、永禄二(1559)年、古処山城に復帰。
復帰後は、側面から援助していた高橋鑑種や、原田・宗像・筑紫らと共に反旗を翻す。
永禄一〇(1567)年、戸次鑑連(後の立花道雪)の攻撃を受けるも、毛利軍九州侵攻の噂を聞き動揺する大友軍を休松の地で撃破。この時、大友軍は四〇〇人以上の死者を出し、道雪の弟五人が討死する程の損害を受けた。
その後毛利軍の九州撤退を受け、高橋・筑紫以下筑豊の国人衆と共に降伏する。もっとも、彼自身は反大友で、大友家にはやむを得ず降伏していたようだ。
(天正六(1578)年、耳川で大友軍が島津軍に大敗し、筑紫での大友の勢威が弱まると竜造寺隆信と手を組み、その後、沖田畷で竜造寺隆信が島津勢に討ち取られると、今度は島津と組むなど、徹底して反大友として動いている)
天正九(1581)年、宗像勢と共に小金原で立花軍と衝突。
その後島津軍の北上に呼応して他の国人と共に大友勢と激突。
豊臣秀吉の九州侵攻の時には、筑前・筑後・豊前に合わせて三十六万石もの所領を持ち、島津家と共に必死で戦うが、衆寡敵せず家宝である「楢柴肩衝」を献上し、降伏。後に日向高鍋三万石に移された。

秋山親吉(あきやま ちかよし)


生没年:?〜?
官位 :信濃守
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。秋山家は高田郡内に所領を持つ小領主だったが、毛利家に従属し、譜代家臣となった。
天文十二(1543)年、出雲月山富田城攻防戦の際、南方親定と共に三〇〇の兵で富田城下に攻め入っていたが、富田川の増水で取り残された結果、尼子軍の攻撃を受け危機に陥るも、元就自らの救援により死地を脱した。

芥川就記(あくたがわ なりのり)


生没年:?〜?
官位 :雅楽允
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。天文二十二年、江田寄国城攻撃・三若要害攻撃で功を挙げた。

朝枝久種(あさえだ ひさたね)


生没年:?〜?
官位 :加賀守
居城 :不明
列伝 :吉川家臣。天正八年九月、市川春俊と共に因幡鳥取城の援将として派遣された。

浅海道高(あさなみ みちたか)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :大内家臣。屋代島警固衆の一員。通称・四郎左衛門尉。小早川水軍が陶家の本拠・富田若山(周南市)を襲った際、道高はこれと戦っている。

蘆原元親(あしはら もとちか)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :安芸国衆。毛利家に属し、厳島合戦に出陣した。

麻生興春(あそう おきはる)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :筑前国人。永正一六年六月、大内義興より『騎射秘抄』を与えられた。
(当時、宗像大宮司の座を巡り、宗像氏佐・弘清と宗像興氏が争っており、興氏方に付いた恩賞だと思われる)

麻生隆守(あそう たかもり)


生没年:?〜1546
官位 :不明
居城 :筑前国遠賀郡岡城
列伝 :麻生家信の嫡子。大内家に属す。
天文十五(1546)年、大友義鑑が帆柱山麻生家の謀反を好機として侵攻。隆守は抗し切れずに敗北、自刃した。

阿曾沼隆郷(あそぬま たかさと)


生没年:?〜1551
官位 :不明
居城 :安芸国安芸郡鳥籠山城
列伝 :安芸国人。大内家に人質として預けられた時期、義隆の寵愛を受けた。
その後天文二〇年、大内義隆卒後、毛利元就・久芳賢直らに居城を攻撃される。
この時既に家中は分裂しており、隆郷の弟・広秀を擁立した宿老達に隠居を強制され、その後殺害されたとされる。
これにより阿曾沼氏は毛利家に降り、毛利家より山本・井上らの家臣団を目付として迎える事になる。

阿曾沼広秀(あそぬま ひろひで)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :安芸国安芸郡鳥籠山城
列伝 :阿曾沼弘秀の子。安芸国人。元は毛利氏と並ぶほどの国人であったが、毛利軍の攻撃を受け、家臣団の要請により、兄・隆郷を廃して当主となった。厳島の合戦、周防・長門平定戦で活躍した。

阿曾沼元秀(あそぬま もとひで)


生没年:?〜1597
官位 :豊後守
居城 :安芸国安芸郡鳥籠山城
列伝 :毛利家臣。朝鮮征伐で、周布元盛・市川元直・都野家頼・天野元信・吉見元頼と共に末次元康隊に属した。
後、蔚山城攻防戦の最中、冷泉元満・都野家頼らと共に討死した。

安達信泰(あだち のぶやす)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称十兵衛尉。美作三浦氏撃破後の同国高田城の城将に任命された。
永禄一二(1572)年、三浦残党・宇喜多軍の攻撃を受けたが、援将の香川光景らと共に奮戦、これを撃退。
後に野村士悦・大宝寺宗信らと共に、秋上綱平・久家親子の帰順に力を尽くし、これを帰順させた。

厚 元久(あつ もとひさ)


生没年:1555〜1585
官位 :兵庫允
居城 :不明
列伝 :厚助五郎の子。厚家は厚保地頭(山口県厚狭郡)を勤める家で、杉家・仁保家に属していた。天正13年、自害。
この死は、前年に謀反を起こした杉重良に連座したと言う説もある。

厚母元員(あつも もとかず)


生没年:?〜?
官位 :治部大輔
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。旧姓・毛利。永禄五年、内藤就藤らと共に刈田松山城主となった杉松千代(重良)の与力として入城した。

後根盛勝(あとね もりかつ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉見家臣。後根家は大津郡通(長門市)などを拠点にした海上勢力で大内家家臣だったが、大内家滅亡により吉見正頼に属し、阿武郡川島(現・萩市)に所領を得た。

後根盛道(あとね もりみち)


生没年:?〜?
官位 :壱岐守
居城 :不明
列伝 :大内家臣。大津郡通(長門市)などを本拠とする海上勢力の一人。
陶晴賢の謀反の際、義隆が瀬戸崎(長門市)まで落ち延びてきたが、当時盛道は若狭に出向いており、結果義隆を助ける事が出来なかった。
後に大内家が滅亡すると、吉見正頼に仕えた。

安部家貞(あべ いえさだ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉見家臣。頼興に仕え、天文元年、萩常念寺を建立した。

安部元貞(あべ もとさだ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉見家臣。家貞の子。正頼の信任厚く、萩指月要害の守護を命じられる。
永禄六年、阿武郡川島庄七石九斗三升足を加増される。

天野隆重(あまの たかしげ)


生没年:1512〜1584
官位 :中務少輔・紀伊守
居城 :安芸国賀茂郡志和堀城
列伝 :元々大内家臣として、筑前に所領を得ていた。が、後に毛利家に属す。その後は、元就の信頼厚く、豊前刈田松山城代・出雲月山富田城代を務める。元就の五男・元秋の補佐を任された。

天野隆良(あまの たかよし)


生没年:?〜1551
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :天野隆重の弟。大内義隆の近習となる。陶晴賢の謀反の際、大寧寺まで従い、当地で討ち死にした。
辞世は『不来不去 無死無生 今日雲晴れて 峰頭月明らかなり』

天野元勝(あまの もとかつ)


生没年:?〜?
官位 :兵部少輔
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。小牧・長久手合戦の際に、毛利元総(小早川秀包)の従者として従軍した。 この功により、天正十二年四月九日、輝元より金五両を賜った。

天野元重(あまの もとしげ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・彦左衛門尉。桂元綱・祖式元勝・祖式友兼・井上元辰・八幡原元直と共に蔚山城番に命じられた。

天野元友(あまの もととも)


生没年:?〜?
官位 :雅楽允
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。隆重の四男。隆元の旗本を務める。
永禄年中、尼子勝久が出雲へ侵攻した際、父・隆重と共に月山富田城に籠城。その功により、出雲国内で一〇〇貫の所領を賜った。

天野元政(あまの もとまさ)


生没年:1559〜1609
官位 :掃部頭・讃岐守
居城 :安芸国賀茂郡米山城→周防国佐波郡右田ヶ嶽城
列伝 :毛利元就の七男。天野元定の養子となる。関ヶ原の合戦後は周防右田へ移り、右田毛利家一万三〇〇〇石の初代となる。

有地兼氏(ありち かねうじ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・九左衛門。関ヶ原合戦の際、大津城攻撃に参加するも、深手を負った。

有地隆信(ありち たかのぶ)


生没年:?〜?
官位 :刑部少輔・備後守・美作守
居城 :備後国芦田郡有地城
列伝 :備後国人。有地家は元備後守護・宮家を祖とし、代々宮氏を称していたが、隆信の代から有地姓を名乗り、毛利家に帰属した。
弘治三(1557)の、毛利氏親類衆年寄衆・家人連署記請文案に署名している。

有地元盛(ありち もともり)


生没年:?〜?
官位 :民部少輔
居城 :備後国沼隈郡佐方城
列伝 :備後国人。第一次木津川口海戦では、村上亮康・渡辺元盛と共に、鞆水軍(足利義昭配下)として参戦し、戦後義昭より功を賞された。

粟屋家成(あわや いえなり)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・十郎兵衛。就光の次男。関ヶ原合戦の際、福原元頼と共に家康の元に人質として送られた。

粟屋景雄(あわや かげかつ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :四郎兵衛尉。粟屋元貞の弟。隆景家臣団の正月の座席配りでは、上位から十四番目に座る。
小早川軍の先鋒を務めることが多く、碧蹄館の戦いでは、井上景貞と共に先陣を務め、大功を挙げる。
隆景の死後は毛利家臣に編入されるが、外様視されるのを嫌い、慶長六年、出奔する。

粟屋就方(あわや なりかた)


生没年:?〜1592
官位 :木工允
居城 :不明
列伝 :粟屋元重の子。元就の信頼厚く、永禄六(1563)年ごろから元就の命により備中の三村家親の元に赴き備後衆を率いて備中に出陣するなど、主に備中方面の軍事活動の指揮に当たった。
元就が逝去した際には輝元・隆景の要請を受け、安芸大通院にて焼香を済まし、葬儀を待たずに情勢の逼迫する備中に急ぎ引き返した。

粟屋就元(あわや なりもと)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。天正一四年一一月二〇日、香川春継と共に豊前香春嶽城の三の岳攻撃を行う。

粟屋就幸(あわや なりゆき)


生没年:?〜?
官位 :伯耆守
居城 :不明
列伝 :吉川家臣。粟屋元好の子。吉川元春に仕えた。

粟屋春高(あわや はるたか)


生没年:?〜1581
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・藤右衛門尉。天正九年二月二二日、伯耆岩倉城を攻撃中戦没した。

粟屋春俊(あわや はるとし)


生没年:?〜1555
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・又二郎。厳島合戦の際、弘中隆兼隊の猛攻を受け討死した。

粟屋元堅(あわや もとかた)


生没年:?〜1544
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。備後布野合戦で討死した。

粟屋元国(あわや もとくに)


生没年:?〜?
官位 :掃部介
居城 :不明
列伝 :毛利家譜代家臣。毛利幸松丸死後起こった家督相続問題がおきた時、元就の相続実現に尽力した。

粟屋元貞(あわや もとさだ)


生没年:1562〜1630
官位 :右近大夫
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。粟屋盛忠の次男。元種の子・元信が備中加茂で討死したため、元種の養子となった。後に従五位下・右近大夫に任官した。

粟屋元辰(あわや もとたつ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。永禄十二年、筑前より撤退する為の船舶の調達を行い、筑前芦屋の町衆や、筑前国人麻生・宗像両家の支援によりこれを成功。毛利軍は見事長門へ撤収した。 (このとき、高橋鎮種(紹雲)率いる大友軍が豊前小倉まで追撃し、毛利軍に多大な損害を出したとする史料もあるが、帰国後の毛利軍の動きなどを考えるとこの説は疑問が残る)

粟屋元種(あわや もとたね)


生没年:?〜?
官位 :内蔵丞
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。粟屋元方の子。旧名・元宣。大内輝弘が山口に侵攻した際、市川経好の妻の元で、信常就行・内藤就藤らと共に高嶺城を守りぬく。
後に、本願寺の支援のため、大多和就重・桂元将と共に、摂津木津に派遣される。

粟屋元利(あわや もととし)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :小早川家臣。天正一〇年より本格化した三原城下の整備に携わり、飯田尊継・末長景道らと共に五日に一回、交代で城下を見回った。

粟屋元信(あわや もとのぶ)


生没年:?〜1579
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。粟屋元種の子。天正七年、備中加茂で討死した。

粟屋元光(あわや もとみつ)


生没年:1542〜1570?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。粟屋元堅の次男。通称又右衛門尉。
雲州布部三本松合戦において討死した。

粟屋元幸(あわや もとゆき)


生没年:?〜1600
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。通称・太郎左衛門。関ヶ原合戦の際、大津城攻撃に参加し、討死した。

粟屋元如(あわや もとよし)


生没年:?〜?
官位 :右近允
居城 :不明
列伝 :粟屋元親の三男。周防玖珂郡司・正覚寺守恩の養子となり跡目を継ぐ。
第一次木津川口海戦では一手を率い力戦した。天正六年・讃岐元吉城在番を勤めた。

粟屋元良(あわや もとよし)


生没年:?〜1544
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。備後布野合戦で討死した。

粟屋盛忠(あわや もりただ)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :毛利家臣。小早川隆景が沼田小早川家を継ぐ際、桂景信・井上春忠・八幡原元直と共に小早川家に派遣され、同家臣となった。
天文二十三年九月には、陶方の能美島掃討を行っている。

安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)


生没年:1537〜1600
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :安芸守護・武田信実の遺児。安芸武田家滅亡後安国寺に入り、毛利隆元と親交を結んだ後、毛利家の外交僧として活躍。(秀吉の天下を予言した)本能寺の後、秀吉の外交僧としての色合いを深め、伊予和気郡で二万三千石(後に六万石)を得、「黒衣の宰相」と称された。関ヶ原では、毛利輝元を担ぎ上げた。だが、戦場では吉川広家に行く手をふさがれ敗北。後に徳川方に捕まり、京都三条河原で斬首された。

安 氏稔(あんの うじとし?)


生没年:1505〜1581
官位 :下総守・兵庫允
居城 :不明
列伝 :吉見家臣。弘治四年三月二八日、正頼より阿武郡地福・生雲で九石六斗を加増された。

阿武政直(あんの まさなお)


生没年:?〜?
官位 :右衛門尉
居城 :不明
列伝 :吉見→小早川家臣。豊前三嶽城攻防戦では吉見正頼に属した。
後に小早川隆景に従い、小田原や朝鮮出兵に従軍した。

安 吉金(あんの よしかね)


生没年:?〜?
官位 :不明
居城 :不明
列伝 :吉見家臣。通称・新左衛門尉。元亀三(1572)年、周防宮野の正安寺にあった高麗版書写般若経を阿武郡篠目の希運院に施入した。

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