〜4.戦闘〜


「…………!」

一時間も経った頃だっただろうか、不意に零君の声が止まった。

と同時に、零君が音もなく膝から崩れ落ちる。

「零君……?」

あたしが心配そうに駆け寄ったその時。

「危ない!」

不意に零君が起き上がりあたしを突き飛ばした。

あたしはそのままバランスを崩し、尻餅をつく。

次の瞬間、あたしの頭のあったところを、高速の何かが横切った。

零君が突き飛ばさなかったら、間違いなくあたしの頭はその何かに砕かれてた。

「痛いよ、零君……」

あたしはゆっくりと顔を上げ―――。

「…………嘘?」

目の前に広がる光景に、呆然とした。

それはそうだろう。

目の前では、零君と真夜が対峙していたんだから。

 
……何か、前にもあったような気がするなぁ、このパターン

不敵に笑う真夜を見据えながら、僕はふと思った。

……ま、どうやらあいつは出てきたみたいだし……ここからが正念場みたいだな

あいつとは、今、真夜を操っているもの……悪霊のことだ。

……綾さんの言ってたとおりだったな

僕は、ちょっと前に綾さんに言われたことを思い出した。


(回想)


「零一君。悪霊って、ホントは何だったと思う?」

綾さんの唐突な質問に、僕は少し首をひねった。

「……多分、恨みや怨念を持ったまま死んでった人達でしょうか?」

僕は思いついたままに口に出してみた。

すると、綾さんは首を二、三度、横に振った。

「ううん。それだけじゃないんだ」

「それだけじゃない?」

「うん。実は、悪霊になる条件ってのは意外と少ないんだ」

「条件?」

「うん」

綾さんは小さく頷いた。

「条件………一体どんな?」

「その条件とは、『強い想いを持つ』。それだけなんだ」

「強い……想い?」

「そう。強い想いを持ったまま死んで、幽霊になるとするでしょ? そしたら、その思いのベクトルが時間を経るごとに、どうしても少しづつズレちゃうんだ。それがあるレベルまで行くと………」

「……悪霊になる、ですか?」

すると、綾さんは大きく頷いた。

「その通り。「反魂の術」って言うの知ってる? 仮にその術を使った人間がいたとして、生き返るとするでしょ? でも、その時に悪霊がこっそり住み着いちゃってるってこともあるんだよ」

「へぇ……じゃ、こないだなんかの本で見たけど、ペットが、死ぬ間際の主人と、体を入れ替わるってのがあったんですけど………そう言う場合でも?」

「うん」


(回想終わり)


実は、綾さんのメモに書いてあった「失敗する可能性が高い」ってのは、これが原因なのである。

あの会話を基に当てはめたら、今回のパターンは十二分に条件が当てはまっている。

最初に唱えた呪文は、真夜の奥底にいる悪霊を引きずり出すためのもので、それを今度は術師の手で退治しなければならない。

だが、引きずり出された悪霊は、たいてい強く、返り討ちにあうパターンが多い。

だから、成功率が余りにも低いのである。

……あんまり変わってないように見えるけどな

実際、今の真夜は見た目ではあんまり変わっていない。

変わったところと言えば、瞳の色が更に赤くなり、爪が長く鋭く伸びていることぐらい。

だが、その小さな体から溢れんばかりの禍々しい空気は、明らかに何か得体の知れない悪霊に体を乗っ取られていることを雄弁に語っている。

と、その時。

「………!」

真夜が動いた。

右手に妖気を集め、一気に突っ込んでくる。

「わぁっ!」

僕は慌てて右によけた。

ゴオォッ!

真夜の拳は、空気を斬る音と共に、僕の頬を僅かにかすめた。

皮膚が裂け、真っ赤な血が噴き出す。

「痛っ!」

僕は激痛に思わず顔をしかめた。

「………!」

間髪入れず二発目が来た。今度は左によける。

「ぐ……っ!」

今度はうまくかわしきった。

真夜はそのままバランスを崩し、今じゃ鉄くずとなった機械の一つに突っ込む。

バキィィィィッ!

鈍い音が工場の中に響く。

舞い上がる埃と砂埃が、真夜の姿を隠した。

……結構ダメージ喰らっただろうな

僕はそう分析した。

だが、次の瞬間。

「!!!!!」

僕は自分の目を疑った。

「……零一さん、痛いです」

氷みたいに冷たい声と共に、真夜が土煙の中から現れ、ゆっくりと歩き寄ってくる。

その姿が、更に僕を震撼させた。

右腕が見事に折れ、左足の指が数本消えている。服もあちこちボロボロ。端から見れば満身創痍である。

………それなのに、その顔は笑っていた

それも、満面の笑みで。

………………

この時、僕の頭の中をある感情がよぎった。

「恐怖」という名の。

だが、それを感じる間もなく、真夜の拳が迫ってきた。

「うわぁっ!」

そしてまた、僕にとって地獄の時間が始まった。


「零君……」

凄絶な戦いが目前で繰り広げられている。

あたしは、静かに二人を見守っていた。

いや、本当は零君を助けたい。

………でも、明らかに今の自分では足手まといになってしまう。

幽霊の時ならともかく、実体化している今では尚更だ。

残念ながら、実体化することは出来ても、その逆は出来ないのである。

………人間の時のあたしには何も出来ない

その事実が、あたしを苦しめる。

「神様、二人をお救い下さい………」

今あたしに出来ることは、どこかにいるはずの神に祈ることだけだった。


「はあっ、はあっ………」

十六発目の攻撃をかわしたところで、僕は大きく肩で息をした。

………何なんだ、あの力は?

僕は自問した。

いくら何でも今の真夜は強すぎる。今まで綾さんの手伝いをしてた時に見た幽霊より明らかに数段上の実力だ。

恐らく、あれのせいなんだろうな……

僕はチラリと夜空を見上げた。

その先には、妖しいまでに光を放つ満月が浮かんでいる。

昔から、月には魔力が秘められているという。

だとしたら………恐るべし、満月。

と、そう思った時だった。

「…………!」

真夜が僕の視界の端、左側から掠めるように突っ込んできた。

………しまった!

ほぼ真横からの真夜の突進に対し、僕の反応が一瞬遅れた。

そして、それは致命的だった。

二人が交錯する。

「ぐぅっ!」

次の瞬間、激痛と共に、僕の腹の辺りから鮮血が吹き出した。

気絶するほどの激痛に、たまらず僕は膝をつく。

………やばい、結構深いぞ……。

僕は腹に目をやり―――。

…………!

絶句した。

腹の肉がかなりえぐり取られ、真っ赤に染まった腹の合間に白いものが微かに見える。

明らかに致命傷である。

………ここで死ぬのか、僕は……

僕の脳裏に、あきらめにも似た感情がわき上がってくる。

「………零一さん、まだ死なないで下さいよ、ふふふ……」

真夜の笑い混じりの声が聞こえる。

僕は声のする方に目をやった。幸い、まだ目は見える。

その目に、真夜が凄絶な笑みを浮かべたまま突っ込んでくるのが見えた。

「零一さん、覚悟!」

真夜が更にスピードを上げ突っ込んでくる。

……助けようとした真夜ちゃんに、僕は殺されるのか

絶望感が僕を満たす。


その時だった。

『零一君!』

瞬間、綾さんの声が頭の中に響いたような気がした。

次の瞬間、僕は覚醒した。

今まで体を覆っていた痛みが霧のように消え去り、わけの分からない高揚感が僕を埋め尽くした。

その感情に押されるまま、起きあがり低く身構えると、真夜が近づくのを待ち―――。

「ぬおりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

バキイィィィィ……………ッ!

交錯するその瞬間、渾身の一撃を真夜にたたき込んだ!

「ぐうっ!」

真夜が呻き声を上げて吹っ飛ぶ。

そのまま地面に突っ込むと、一回転して倒れ込んだ。

再度立ち上がって襲う気配は見えないとこから、恐らく悪霊を倒したか、または相当のダメージを与えたはずだ。

「やった………か?」

だが、僕も無事ではない。

「………ぐぅっ……」

急に消えたはずの痛みが体に戻ってきた。それと同時に、体の力が抜けていく。

僕は小さく呻くと、静かに崩れ落ちた。

「零君!」

澪ちゃんが慌てて駆け寄ってきた。

「零君! しっかりして!」

澪ちゃんは僕を抱きかかえると、傷口に目をやり―――。

「………!」

やはり絶句した。

「零君、今すぐお医者さんに!」

慌てふためく澪ちゃん。

「………大丈夫………だって」

澪ちゃんを心配させないために、僕は無理矢理笑顔を作ってみせた。

だが、澪ちゃんには無意味だった。

「何言ってるの! どう見ても死にかけだよ!」

澪ちゃんが叫ぶように言った。

だが、すでに聴覚も無くなりつつあるのか、僕の耳には届かない。

僕は絞り出すように声を出した。

「……………澪ちゃん……。真夜……ちゃんを……。僕の事は……どうでも…いいから」

僕の微かな声が工場の中、静かに響く。

「……何言ってるの。零君このままじゃ死んじゃうよ!」

澪ちゃんの涙が僕の頬に零れ落ちる。

「……僕は……もう……助から…ない。だから…せめ…て……真夜……ちゃんを…助けて」

僕は息も絶え絶えに言った。

この術を行うと決めたときから、十分に覚悟してきたことだ。

いくら普段頼りないと言っても、こんな状況になってしまえば、自然と腹は固まる。

………優し……すぎる、か。確かに……その通りだよな……

僕は自嘲するように心の中で呟いた。

………その結果が、このざま…か。僕らしい……と…言えば…………僕らしいか

不思議と、後悔は襲ってこなかった。ただあるのは、不思議な安堵感と達成感だけ。

………真夜ちゃんさえ…助かって……くれれば、それでいいか

後は、綾さんが何とかしてくれるだろう。


と、その時。

「……やだ」

僕の予想に反し、澪ちゃんは首を横に振った。

「嫌だよ! そりゃあたしだって、真夜ちゃんを助けたいとは思うよ! でも、そのために零君が死ぬなんて…………絶対にやだ!」

澪ちゃんの叫び声が薄暗い工場内に響き渡る。

「そんなこと……いう……な。頼む……から………」

「だって……だってあたし、零君のことが好きなんだから! そりゃ確かに零君が幽霊になって欲しいとは思うけど……、でも、零君の傷つく姿なんて見たくない!」

僕はなんと返せばいいのか、一瞬と惑う。

「……澪」

「絶対に嫌だ!」

大粒の涙を流しながら激しく首を横に振る澪ちゃん。恐らく、何を言っても無駄だろう。

………どうすれば……いいんだ?

このままじゃ、二人とも助からない。

一難去って、また一難。

僕は震える手で顔を覆った。


  「澪、大丈夫よ」

救いの神は、突然現れた。

「零一君………」

闇の中から声がした。

聞き覚えのある、不思議な暖かさのある声。

「………綾……さん……」

僕は声の主の名を呟いた。

「え? 綾ちゃん? どこに?」

澪ちゃんは辺りを見回した。だが、綾さんの姿は見あたらない。

「零一君、あの子は任せて。あたしが何とかするから」

再び、綾さんの声が聞こえた。

「………分かり……ました」

「綾ちゃん! あたしはどうすればいいの?」

澪ちゃんが闇の中へ叫んだ。

「あんたの力を………後は自分で考えなさい」

そう言うと、綾さんの声は途絶えた。

「自分の力………?」

澪ちゃんは首をひねった。

だが、その答を掴んだらしい。澪ちゃんの表情がいっぺんに明るくなった。

「行くよ! 零君!」

……行くよって……何を………!

と、そこまで思ったところで、僕の思考回路は止まった。

別に死んだわけでも、気絶したわけでもない。

……驚いたんだ

簡単に言ってしまえば、澪ちゃんが、僕の唇を奪ったのである。

………!

僕は、暖かく、柔らかい感触と共に、口の中に何か得体の知れないものが流れ込んでいくのを感じた。

無味無臭の、それでいて、熱いものを。

それは水のように喉へと流れ、そこから体中に別れていった。

不思議なことに、それが体中に行き渡っていくごとに、さっきまで感じていた激痛が嘘みたいに薄れていく。

………気持ちいい

無意識の内に、その言葉が浮かんで来るぐらいに。


  四、五分ぐらい経った頃。

その頃になると、僕の傷の大半は癒えていた。

「ありがとう。澪ちゃ……」

………あれ?

その時、僕はあることに気付き、愕然とした。

……澪ちゃんの体が………

―――薄れている。

さっきまでは普通だったのに、今では向こう側が見えるくらい薄くなっている。

……薄れているって事は…………まさか!

僕は慌てて澪ちゃんの顔に手を当て、半ば強引に引きはがした。

「零君…?」

澪ちゃんはきょとんとした表情で僕の顔を見ていた。

「澪ちゃん」

僕はゆっくりと体を起こした。

さっきよりは遙かにマシだが、それでも鈍い痛みが襲う。

「ぐっ……!」

「零君、ダメだよ、動いちゃ……」

心配そうな表情を浮かべる澪ちゃん。

「だ、大丈夫。それよりこれ以上やったら、キミの体が……」

「あたしの体が?」

「……気付いてないの?」

そう言うと、僕は澪ちゃんの手を掴もうとし―――。

「―――!」

その手は空しくすり抜けた。

「え………?」

澪ちゃんは呆然と自らの手を見た。

「ど、どういうこと……?」

愕然とする澪ちゃん。

そんな澪ちゃんの反応を見て、僕は全てを悟ってしまった。

「澪ちゃん………これ以上僕に力を分けたら……多分、キミは消えてしまうんだと思う」

「消える?」

「うん」

僕は頷いた。

「……多分、キミが持っている力は、言ってみれば……燃料みたいなものだよ。無くならない限りはいくらでも動くことが出来るし、……キミの場合は元々そのタンク? みたいなのも大きいから、そこまで心配する必要はなかったんだと思う。でも……」

「……それが切れたとき、あたしはこの世から消える?」

僕は小さく頷いた。

「……僕は、綾さんじゃないからハッキリとは言えないけど……多分」

僕は曖昧な言葉で締めくくった。

「で、でも……このままじゃ、零君助からないよ」

二人の間を、重苦しい空気が包む―――――――。


その時だった。

「安心して。あんたは別に消えるわけじゃないよ」

『……え?』

闇の中から、綾さんが姿を現した。

その背中には、真夜がおぶわれている。

「綾さん! 大丈夫なんですか?」

  僕の声に、綾さんは苦笑した。

「結構きついんだけどね」

「真夜ちゃんは?」

「この子はあたしが治したよ」

さらっと言ってのける綾さん。

「治したって………どうやって?」

「それは秘密」

……何か、おかしくないか?

イタズラっぽく笑う綾さんを見て、僕はふと疑問を感じた。

さっきまで、死人寸前だった人間が、あんな短時間でここまで元気になるものだろうか?

それに、どうやって真夜を治したのか?

数え切れないほどの疑念が頭の中に浮かび、そして消えていく。

……まあ、またいつか聞くことにしよう

とりあえず、それは棚に上げとくことにした。

「綾ちゃん……」

「澪、あんたが力を全部使っても、別に死ぬわけじゃないよ。また元の幽霊に戻るだけ。初めてあたし達と出会った時みたいに」

『………』

思っても見なかった綾さんの言葉に、僕らは顔を見合わせた。

「ってことは、そこまで心配する必要なかったってこと……?」

「……そうなるわけだよな、この場合って……」

呆然と顔を見合わせる僕ら。

「まぁ、このまま力使い続けたらさすがにヤバいけどね」

そのまま、しばし呆然とする。

「はは」

「ふふ」

どちらからともなく吹き出した。

『あはははは………』

やがて、僕らは大声を上げて笑い出した。

「なーんだ。心配して損しちゃったね、零君」

「全くだ……うっ!」

その時、僕は腹に鋭い痛みを感じた。


「ど、どうしたの、零君!」

あたしは零君の肩に手をやろうとした。

しかし、その手は空しく零君の体をすり抜ける。

………!

「零一君! 大丈夫?」

困惑するあたしに変わって、綾ちゃんが零君を横に寝かせた。

綾ちゃんは傷口に目をやり、顔をしかめた。

「さっきの傷が塞がりきってなかったのね」

「塞がりきってないって……じゃ、じゃあ!」

「……このままだったら、零一君は死んじゃうってこと」

「そんな!」

あたしは自分の無力さを呪った。


………え、僕死ぬの?

目の前で繰り広げられている会話を聞いて、僕は愕然とした。

何か言おうにも、痛みのせいで口さえ開けない。

まぁ、真夜ちゃんは助かったみたいだし……。このまま死んでもいいかもな………

「良くない!」

まるで、僕の思考を読みとったかのようなタイミングで、澪ちゃんが叫んだ。

「澪、あんたこれ以上力を分けたら、ホントに消えちゃうかも知れないよ! あたしが代わりにやってあげるから!」

慌てたように綾さんが言う。

………今度は綾さんが?

「零君は、絶対に死なせない!」

そう言うと、澪ちゃんは再び僕の唇を奪った。

……や、止めろ!

僕はそう言おうとした。

だが、力が全く入らない。

どんどん、意識が遠のいていく。

……頼む、頼むから……僕のことは……どうでも……いい……から……

と、そこまで思ったところで異変は起こった。

「………!」

今まで目の前にあった澪ちゃんの顔が急に消える。

と、次の瞬間、別の誰かの顔に変わった。

………だ、誰だ………?

そこで、僕の意識は途絶えた。



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