あたしが全てを見終わったとき、既に日付が変わっていた。
空には満天の星と、キツネの目みたいに細い月が煌々と光を放っている。
「………悪いこと………しちゃったな」
あたしが零一君に行った術……「夢月の術」と言うんだけど、その術にはある欠点があった。
その欠点とは―――。
「……うーん」
丁度その時、零一が目を覚ました。
「………澪ちゃん……」
何かを悔やんでいるのか、零一君の目から一筋の涙が流れた。
「………やっぱり」
そう、「夢月の術」を使うと、その使われた本人のその記憶が頭の奥底から引きずり出され、術者はそれを見ることが出来る。
だが、その代償として、改めてその記憶が本人の胸に深く刻まれる。
それが、よっぽど辛い記憶であればあるほど、心の傷となって、深く、深く……。
「う、うううう…………」
零一君は体を軽く起こすと、両手で顔を押さえて泣いた。
よっぽど辛いのだろう。周りを気にすることなく涙を流す零一君に、あたしは心の中で謝った。
…………ゴメン、零一君
と、その時だった。
―――ゼロ君。
…………?
不意に僕の耳に声が聞こえた。
どこかで聞いたことのある、懐かしい声が。
「………澪………ちゃん?」
僕は泣くのを止め、顔を上げた。
その瞬間、僕の目に信じられない光景が目に入った。
………嘘?
僕以外の全てがその動きを止めている。まるで、絵の中に入り込んでしまったかのように、風も、地も、海も、そしてすぐ傍にいる綾さんでさえ……。
だが、僕自身はそれには気が付かなかった。その理由は―――。
「澪ちゃん!」
そう、僕の目の前に立っていたのは澪ちゃん本人だった。
幽霊はその本人が死んだときの状態を表すと言うが、まさにその通りで、澪ちゃんの姿はかつて僕と出会ったときのままだった。
「久し振りね、ゼロ君。十年ぶりかしら」
「……はい」
澪ちゃんの声に、僕は素直に頷いた。
もっとも、僕本人は不思議なくらい落ち着いている自分に、正直少し驚いていた。
「どうしたんですか? 再びあなたが僕の前に現れるなんて」
「……ゼロ……いや、零一君」
澪ちゃんはそう言うと、僕の手を取った。
その手の冷たさに、僕は、澪ちゃんが幽霊であることを再認識した。
「………あなたに聞きたいことがあったの」
「聞きたいこと?」
「そう………あの時の答。あの時は断られたけど、あれはあなたの本心じゃないって事は分かってた」
その言葉を聞いた瞬間、僕は何だか照れくさくなって、ポリポリと頬を掻いた。
「……なんだ、ばれてたんだ。やっぱり」
いつの間にか、僕の口調も昔に戻っていた。
「ふふ」
澪ちゃんはくすりと笑った。が、すぐに元の表情に戻る。
「あの時はダメだったけど、今ならどうだろうって思ってね…………まさか、零一君に会えるとは思わなかったけどね」
「……どこにいたんですか? 今まで……」
僕の質問に、澪ちゃんはイタズラっぽく笑った。
「……それは秘密」
「はぁ。……でも、ホント偶然って怖いですね」
「……そうね。でもそれより……」
澪ちゃんは僕の首に腕を絡ませ、そして、愁いを帯びた瞳を僕に向けてきた。
それはまさに、十年前、あのほこらのシーンの再現だった。
「………ゼロ君。あたしと一緒にいてくれるよね? ずっとずっと、永遠に……」
澪ちゃんの台詞は、十年前のそれと同じだった。
………そう言えば、あの時もそうだったんだよな……
さっき綾さんによって見せられた過去の思い出を僕は噛みしめるように思い出していた。
あの時は断った。でも、確かにあれは本心じゃない。ほんとは澪ちゃんと一緒にいたかった。幽霊になってでも、ずっと一緒にいたいと思ってた。それは確かだ。
……でも
僕はすぐ傍に横たわっている綾さんに目を向けた。
笑顔を浮かべたまま僕の傍らで横たわっている綾さんを見た瞬間、僕の中で、何かが吹っ切れた。
そして、正対すると、澪ちゃんの手をそっとほどいた。
「ゼロ君?」
呆然とする澪ちゃんに、僕は呟くようにして言葉を吐き出した。
「………ゴメン、澪ちゃん」
その瞬間、澪ちゃんの時間が一瞬止まった。
「どうして……?」
「……今の僕はもう、あの頃とは違うんだ」
そこまで言うと、僕は傍らの綾さんをそっと抱きかかえた。
綾さんの付けている香水の香りが、ふわっと鼻に届いた。
綾さんの温もりを感じながら、僕はゆっくりと口を開いた。
「今の僕には……この人がいる。別に恋愛感情を持ってるわけじゃないんだ……でも、僕はこの人と一緒に仕事して、遊んで、キミみたいな幽霊と関わったりなんかして……」
そこで僕は一旦言葉を切った。自分を落ち着けるため、大きく息を吸って吐くと、再び口を開いた。
「………僕はこの人のおかげで、自分の捜すべきものを教えてもらった。僕にとってとても……大事な人なんだ。だから、僕はこの人と一緒にいたいと思う………本心から」
「………そう」
澪ちゃんは顔をうつむけたまま、静かに頷いた。
説得するのは無理だと気付いたのか、その顔にはあきらめの表情が浮かんでいる。
「………だったら、お願いしたいことがあるの」
「………死ぬこと以外だったらいいけど」
すると、いきなり澪ちゃんは僕の唇を自らの唇でそっと塞いだ。
………!
いきなりの事に、呆然とする僕。
数瞬の間を置いて、澪ちゃんは唇を離すと、僕の耳元でそっと囁いた。
『……………………』
「……………え?」
唖然とする僕に、澪ちゃんはくすっと笑うと、薄い光を放ちながらスーッと消えていった。
まるで、短い夢を見ていたかのように……
「……れーいちくん?」
綾さんの声で、僕は我に返り、慌てて左右を見回した。
……だが、辺りには僕ら以外誰もいない。
「どうしたの、零一君?」
「………」
綾さんの声にも、僕は呆然としたまま宙を眺めていた。
「ねー。どーしたの?」
「………いや、ちょっとした幻を………見てたみたいで」
僕はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。
「………ん?」
僕は手をそっと開いた。
「……蛍……」
僕の手のひらの上で、蛍が一匹、静かに息を引き取っていた。
「……死んじゃったんだ……蛍」
綾さんは残念そうな表情で呟いた。
僕は天を見上げると、誰にも聞こえような声でそっと呟いた。
「………………さよなら、澪ちゃん……」
僕の目から一筋の涙が流れ落ちた。
帰り道の途中。
「……零一君、あの時何があったの?」
綾さんが僕の目を覗き込むようにして聞いてきた。
「……だから、ちょっとした幻を見てたんですよ」
僕は表情を変えずに同じ答を口に出した。
「だ〜か〜ら〜」
何回も続く同じ答に腹を立てたのか、綾さんは頬をぷーっと膨らませた。
そんな綾さんの姿を見て、僕は思わず笑みを浮かべた。
だが、すぐにその笑いも止まった。
『…………ゼロ君』
…………!
僕は思わず辺りを見回した。だが、周りには誰もいない。
「……気のせ」
『ゼロ君』
……今度はハッキリと聞こえた。
「澪……ちゃん!?」
「え? 澪ちゃんって………どこ?」
僕の声で異変に気付いたらしく、綾さんも慌てて辺りをきょろきょろと見回した。
だが次の瞬間。
「……あたし、やっぱりゼロ君のこと諦められないよ」
綾さんは不意に僕の背に抱きつくと、呆然としている僕の耳元でそっと囁いた。
どう考えても、それは澪ちゃんの口調だ。
おまけに、どことなく綾さんの雰囲気が変わっている。
……考えられるのはただ一つ。
そこまで考えが行き着いた瞬間、僕は頭を抱えてその場にへたり込んでしまった。
「………そう言うことだったのね……さっきのあの言葉って………」
さっき、澪ちゃんが消える間際に僕にそっと残した言葉。
『………ゼロ君が死ぬまで、あたしはずっとそばで見守ってるからね』
……まさか、そのまんまの意味だったとは……。
僕はへたり込んだまま、静かに落涙した。
「……この子の守護霊になっちゃったんだ。これだったら、ずーっとゼロ君のそばにいること出来ちゃうもんねー」
だが、澪ちゃんの言葉は僕に届いちゃいなかった。
………綾さんだけでも大変なのに、澪ちゃんまで…………僕、やっぱこの仕事、辞めよっかな……
脳天気に笑う綾(澪?)のそばで、零一はこの先の自らの身の振り方を真剣に考えるのだった……。