〜3.……幽霊?〜


「……ん?」

目が覚めたとき、僕は小さなほこらの中のど真ん中で寝ていた。

まだ夜は明けていないらしく、辺りはぼんやりと薄暗い。月明かりが照明代わりに、僅かにほこらの中を照らしている。

僕の身体にかかっていた布以外は、他に何もほこらの中にはない。

「…ここは?」

僕は昨晩の記憶を引っ張り出そうとした。

が、何も思い出せない。

釈然とした思いに駆られながらも、とりあえず僕は体を起こそうとした。

「ぐっ!」

その瞬間、鋭い痛みが僕の身体を貫いた。

痛みの元は、足首の辺りだった。恐らく、森の中を走っている内にケガしたんだろう。

だが、いつの間にか包帯が巻かれている。

誰かが、僕をここまで運んでくれたのか…?

僕がそう思った、まさにその時だった。

「あっ、起きた?」

声と共に、一人の女性が僕の目の前に姿を現した。

どこかで見たことのある着物に身を包んだ、どこかで見たことのある顔。

……あれ? 確か―――。

僕のぼやけてた記憶のピントが、少しずつ合ってきて―――。

「……澪ちゃん!」

僕の口から、その名前が放たれるまでには、そう時間はかからなかった。

「……何でこんな所に? それと、昨日はどうしたの? 急にいなくなったりして……」

すると澪ちゃんは、一瞬、ぎくっとした表情を浮かべた。

「あ、昨日は急に用事を思い出して……」

「ふーん」

「そ、それより、ゼロ君こそ何であんな所に…。あ、ひょっとして、あたしを追いかけてきてくれたの?」

「……うん。悪い?」

僕は少し頷いた。

すると、澪ちゃんは頬を少し赤らめた。

「……ありがとう。ゼロ君」

その瞬間、僕は急に胸の鼓動が高鳴っていくのを感じた。

お互い、顔を真っ赤にして、黙り込んで………微妙な空気が辺りを支配した。

それが、何を意味するのかも分からずに―――。

胸の鼓動が最大に達したとき、無意識の内に、僕は澪ちゃんの身体を抱きしめようとしていた。

突然の僕の行動に、澪ちゃんの目は大きく見開かれた。


異変はその時やって来た。

ズシャァァァァァァッ。

――――!?

気が付くと、僕はヘッドスライディングの要領で床に滑り込んでいた。

………何で?

一瞬、呆然とした僕。だが、次の瞬間には頭の中に、いくつかの仮説がわき起こった。

でも、すぐに僕は首を振って否定した。

痛みのせいでもなければ、澪ちゃんがよけたわけでもない。その他にもいくつかの仮説はあったが、どれも当てはまらなかった。

だとしたら、答えは一つ。

「……澪ちゃん、まさかキミは―――」

――幽霊なの? と続けようとした僕の言葉は、澪ちゃんによって遮られた。

「……ゼロ君、キミの考えてるとおり、あたしは幽霊よ」

澪ちゃんの口から放たれた言葉は、僕の予想通りだった。

……信じたくはなかったけど。


「あたしは、元々この島を根城にしていた海賊の頭の娘だったんだ。あたしも小さい頃から海に出てた。でも、ある時、他の島の奴らがこの島を襲ったんだ。それも親父達のいない間に」

淡々とした口調で澪ちゃんは語り、僕は黙ってそれを聞いた。

「あたしは、残った連中と共にそいつらと戦ったんだ。この島を守るために。でも―――」

そこで澪ちゃんは唇を噛みしめた。よっぽど、その先の部分が口惜しかったんだろう。

僕が先を促すように一つ頷くと、澪ちゃんは一呼吸置いて、再び口を開いた。

「……親父達が帰ってくるまで、あたし達は島を守り抜いた。でも、敵の一人が逃げる間際に鉄砲をぶっ放したんだ。多分、イタチの最後っ屁みたいなもんだったんだろうね。でも……」

そこまで言うと、澪ちゃんは僕に背を向け、いきなり着物を脱ぎ始めた。

あっという間に、澪ちゃんの背中が僕の目の前に現れる。

「ちょ、ちょっと澪ちゃん……………!」

顔を真っ赤にして顔を背けようとしたとき、僕はあるものに気が付いた。

澪ちゃんの透き通るような白い肌。その背中の左の肩胛骨の辺りに、穴が一つポッカリと空いている。

丁度心臓がある辺り。その穴から向こう側が見えた瞬間、僕は全てを悟った。

いくら洞察力のない奴だって、ここまで見せられたら分かるもんだ。

「澪ちゃん、これって……」

「……そう、その弾があたしの胸を貫いたの。………凄く間抜けな死に方だよね。男の子を好きになったこともなければ、女の子っぽいこともなーんにもやってない。そのあげくそんな死に方するなんて……やりきれないよね」

「澪ちゃん……」

不意に澪ちゃんがこっちを向いた。無理に作っている笑顔が、よけいに痛々しかった。

僕はどんな言葉をかければいいのか分からず、俯いて黙り込んだ。

ほこらの中に、気まずい沈黙の時間が流れた。


「…………ゼロ君。あたしね、キミのことが好き」

永遠に続くような沈黙を破るかのように、不意に澪ちゃんがそう言った。

「………あたし、ゼロ君の顔見てたら、何だかホッとして、そんで一緒にお祭り見てるとき、すっごく楽しくて、ドキドキして……。うまく言えないんだけど、たぶんゼロ君のこと……好きになっちゃったみたい」

頬を赤らめ、伏せ目で話す澪ちゃん。そして僕のすぐ前まで近づくと、僕の瞳を覗き込んだ。

「ゼロ君…。あたしのこと、好き?」

「……うん」

僕は蚊の鳴くような小声でそう返した。

次の瞬間、澪ちゃんの様子が一変した。

澪ちゃんの瞳の色が妖しく光り、表情もまた愁いを帯びたものとなった。そして、更に僕に近寄り、僕の首に腕を絡まると、囁くように僕に言った。

「ゼロ君。あたしとずっと一緒にいてくれる? 永遠に……」

澪ちゃんの言葉に、僕は思わず息を呑んだ。

『永遠に』

その言葉が意味するものは、僕がここで死んで、幽霊になることだ。

恐らく澪ちゃんは本気だろう。

…………

再び、ほこらの中に沈黙の時間が流れた。


数十分が過ぎた頃。

……それもいいかも知れない

僕の脳裏に、一瞬そんな思いが走った。

……どうせ、何をやっててもつまんないんだ。だったら、幽霊として生きてみるのも面白いのかも知れない。

思えば、澪ちゃんと出会ってからの僕は、どこか自分でも一番満たされた時間を送っていた気がしてたし、それに………澪ちゃんを独りぼっちにさせたくない。

だったら………

「澪ちゃん。僕は―――」

僕が口を開こうとしたまさにその時、

「ゼロ!」

夜の闇を切り裂いて、男の声がほこらに響いた。

「………純也?」

呆然とする僕の目の前に姿を現したのは純也だった。

「……みんなでお前を捜してたんだ。俺がここに来たのも偶然だよ。それより……」

純也はそこで僕を見た。

そして呆れた口調で一言。

「…何やってたんだ? こんな所で」

どうやら、純也には澪ちゃんの姿は見えないらしい。

「……さあ、気付いたらここにいたんだ」

「ふーん」

純也は一つ頷くと、僕の腕を強く掴み、一気に身体を引き上げた。

「痛っ……!」

瞬間、脳天に響くような激痛に、僕は顔を歪ませ、膝をついた。

「………仕方ないな」

そう言うと純也は、僕を背負った。

「じゃ、行くぞ」

「待ちなさい!」

次の瞬間、澪ちゃんの声と共に、ほこらの外から風が異常なまでに強く吹き込み、中で空気の渦を作った。

「うわ!」

「ぜ、ゼロ!」

瞬間、僕の身体もその空気の渦に巻き込まれた。

ほこらの中をもみくちゃにされながら飛び回る僕。

竜巻に巻き込まれたらこんな具合になるのだろうか。身体のあちこちで切り傷が出来、血が噴き出した。

「ゼロ君!」

次の瞬間、僕はとんでもない光景を見た。

「澪………ちゃん?」

僕の目の前に、澪ちゃんがいた。

それだけだったら別に不思議でも何でもない。

僕が驚いたこと、それは……彼女がその場に浮いていた事だ

「さっきの答……聞かせて。このままその子と一緒に帰るか、それとも…………あたしと一緒に」

「ど、どういう事だ、ゼロ?」

澪ちゃんの声を遮るようにして、純也は僕に問いただしてきた。

純也本人は、風に吹き飛ばされることなく、床の腐った部分に手を引っかけて必死に耐えている。

大したもんだ。僕がそう思った次の瞬間、澪ちゃんの声が再びほこらの中に響いた。

「あんたは邪魔。ちょっと大人しくしてなさい!」

その瞬間、風が更に強くなった。床の板が音を立てて外れ、純也の身体が宙を舞い、天井に叩き付けられ、そして床に落ちた。

「ぐわあっ!」

「純也!」

僕の声が届く間もなく、純也は呻き声を一つあげて気絶した。

「ゼロ君!」

前に向き直った僕の目の前に、今度は澪ちゃんが迫ってきた。

澪ちゃんは僕に抱きつくと、潤んだ目で斜め下から僕の瞳を覗き込んだ。

何かに取り憑かれたかのような澪ちゃんの視線に、僕は思わず息を呑んだ。

「あたしと一緒にいてくれるよね? あたしのこと、好きなんだよね? だったら……」

必死なまでの澪ちゃんの言葉を、僕は無言のまま受け取っていた。

…………

僕は正直、迷っていた。

……澪ちゃんと一緒にいたい。でも、純也はそれを多分許さないだろう。

……それにこのままだと、澪ちゃんは僕ごと純也の命まで奪ってしまう。僕だけならまだしも、何の罪もない純也を死なせるわけにはいかない。

……どうすりゃいいんだ。

僕は頭を抱えて蹲りたい気分だった。

ところが、僕の沈黙を澪ちゃんは違う意味で受け取ってしまったらしい。

「……いいって事よね? 何にも言わないって事は……」

その瞬間、澪ちゃんの目が妖しく光った。

僕は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

「ちょ、ちょっと、澪ちゃん……?」

「あたしとずっと………一緒にいようね」

澪ちゃんの右手にはいつの間にか短刀が握られている。

どうやら、その短刀を僕に突き刺す気らしい。

「ずっと………一緒に!」

澪ちゃんはそう叫ぶと、一気に僕の胸目がけて短刀を突き出した。

僕の目は恐怖で大きく見開かれた。


カツ―――――――ン!

不意に、そんな音がほこらの中に響いた。

時を同じくして、ほこらの中に吹き荒れていた風が瞬時にかき消える。

―――ドガッ!

「いてて…………」

もちろん、風が消えたのだから、宙に浮いている僕も床に落ちた。余りの激痛に、一瞬呼吸が止まる。

「……今のは何だったんだ?」

頭を押さえながら体を起こした僕の目の前に、澪ちゃんが立っていた。

よっぽど虚を突かれたのか、その顔には動揺の色が見られる。

「………何をしたの? ゼロ君」

「……い、いや、僕は何も……」

「………ゼロ……」

瞬間、僕の耳に小さな、だがそれでいてハッキリした声が聞こえた。

………?

声のした方に振り返った僕に、信じられない光景Uが待ちかまえていた。

「……純也!」

僕の目の前に、純也が立っている。

体中にアザと擦り傷を作り、脚を震わせながら立つその姿に、僕は思わず息を呑んだ。

「……ゼロ………死ぬな……」

声をかけようとした僕の腕を、純也はギュッと握った。

「………純也……」

そこまで僕の事を気にかけていたなんて……

僕は、目頭が熱くなっていくのを感じた。

だが次の瞬間。

ブワアァァァァッ!

………!!

再び、純也の身体が天井に叩き付けられ、床に落ちた。

「ぐわ―――っ!」

哀れ、純也は再び気絶した。

「……じゅ、純也……」

目の前でいきなり起こった惨事に、僕はしばし呆然としていた。


「ゼロ君」

数瞬もした頃、澪ちゃんの声で、僕は我に返った。

「澪ちゃん……」

「……ゼロ君、邪魔者は消えたよ。だから……」

そう言うと澪ちゃんは再び僕の手を握ろうとした。

その顔に浮かんだ満面の笑みを見た瞬間、

……………!

僕の中を怒りに満ちた何かが駆け抜けた。

――――バシッ!

その何かに押されるがまま、僕は無意識の内に、澪ちゃんの手を払っていた。

「……ゼロ君?」

予想外の僕の行動に、呆然とする澪ちゃん。

「……見損なったよ、澪ちゃん」

僕はそう呟くと、純也を担ぎ上げた。

痛めた足首が血で滲み、鋭い痛みを放つが、不思議と気にならなかった。

「………ゼロ君……」

呆然としたまま、澪ちゃんは僕に声をかけた。

だが、僕は振り返ろうとはしなかった。

「………澪ちゃん、バイバイ」

そう言い残して、僕はほこらの外へと消えた。

  森をよろめき歩く僕に、澪ちゃんの声が聞こえたような気がした。

でも、僕が覚えていたのはそこまでだった。


「…………あれ? ここは?」

気が付いたとき、僕らは病院のベッドの上だった。

話によると、あの後僕らは神社の境内で倒れていたらしい。

後で聞いた話によると、昔、この島を根城にしていた海賊の娘が、不運な事故で死んだという昔話が確かにあったらしい。

でも、それを確かめるすべは、僕にはなかった。


  その後、僕は島を離れ、本土の学校に通うことになった。

島から離れてすぐに、あの夜起こった出来事の記憶は、瞬く間に僕の頭から消えていった。

まるで、全てが夢であったかのように…………



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