目が覚めたとき、僕は小さなほこらの中のど真ん中で寝ていた。
まだ夜は明けていないらしく、辺りはぼんやりと薄暗い。月明かりが照明代わりに、僅かにほこらの中を照らしている。
僕の身体にかかっていた布以外は、他に何もほこらの中にはない。
「…ここは?」
僕は昨晩の記憶を引っ張り出そうとした。
が、何も思い出せない。
釈然とした思いに駆られながらも、とりあえず僕は体を起こそうとした。
「ぐっ!」
その瞬間、鋭い痛みが僕の身体を貫いた。
痛みの元は、足首の辺りだった。恐らく、森の中を走っている内にケガしたんだろう。
だが、いつの間にか包帯が巻かれている。
誰かが、僕をここまで運んでくれたのか…?
僕がそう思った、まさにその時だった。
「あっ、起きた?」
声と共に、一人の女性が僕の目の前に姿を現した。
どこかで見たことのある着物に身を包んだ、どこかで見たことのある顔。
……あれ? 確か―――。
僕のぼやけてた記憶のピントが、少しずつ合ってきて―――。
「……澪ちゃん!」
僕の口から、その名前が放たれるまでには、そう時間はかからなかった。
「……何でこんな所に? それと、昨日はどうしたの? 急にいなくなったりして……」
すると澪ちゃんは、一瞬、ぎくっとした表情を浮かべた。
「あ、昨日は急に用事を思い出して……」
「ふーん」
「そ、それより、ゼロ君こそ何であんな所に…。あ、ひょっとして、あたしを追いかけてきてくれたの?」
「……うん。悪い?」
僕は少し頷いた。
すると、澪ちゃんは頬を少し赤らめた。
「……ありがとう。ゼロ君」
その瞬間、僕は急に胸の鼓動が高鳴っていくのを感じた。
お互い、顔を真っ赤にして、黙り込んで………微妙な空気が辺りを支配した。
それが、何を意味するのかも分からずに―――。
胸の鼓動が最大に達したとき、無意識の内に、僕は澪ちゃんの身体を抱きしめようとしていた。
突然の僕の行動に、澪ちゃんの目は大きく見開かれた。
異変はその時やって来た。
ズシャァァァァァァッ。
――――!?
気が付くと、僕はヘッドスライディングの要領で床に滑り込んでいた。
………何で?
一瞬、呆然とした僕。だが、次の瞬間には頭の中に、いくつかの仮説がわき起こった。
でも、すぐに僕は首を振って否定した。
痛みのせいでもなければ、澪ちゃんがよけたわけでもない。その他にもいくつかの仮説はあったが、どれも当てはまらなかった。
だとしたら、答えは一つ。
「……澪ちゃん、まさかキミは―――」
――幽霊なの? と続けようとした僕の言葉は、澪ちゃんによって遮られた。
「……ゼロ君、キミの考えてるとおり、あたしは幽霊よ」
澪ちゃんの口から放たれた言葉は、僕の予想通りだった。
……信じたくはなかったけど。
「あたしは、元々この島を根城にしていた海賊の頭の娘だったんだ。あたしも小さい頃から海に出てた。でも、ある時、他の島の奴らがこの島を襲ったんだ。それも親父達のいない間に」
淡々とした口調で澪ちゃんは語り、僕は黙ってそれを聞いた。
「あたしは、残った連中と共にそいつらと戦ったんだ。この島を守るために。でも―――」
そこで澪ちゃんは唇を噛みしめた。よっぽど、その先の部分が口惜しかったんだろう。
僕が先を促すように一つ頷くと、澪ちゃんは一呼吸置いて、再び口を開いた。
「……親父達が帰ってくるまで、あたし達は島を守り抜いた。でも、敵の一人が逃げる間際に鉄砲をぶっ放したんだ。多分、イタチの最後っ屁みたいなもんだったんだろうね。でも……」
そこまで言うと、澪ちゃんは僕に背を向け、いきなり着物を脱ぎ始めた。
あっという間に、澪ちゃんの背中が僕の目の前に現れる。
「ちょ、ちょっと澪ちゃん……………!」
顔を真っ赤にして顔を背けようとしたとき、僕はあるものに気が付いた。
澪ちゃんの透き通るような白い肌。その背中の左の肩胛骨の辺りに、穴が一つポッカリと空いている。
丁度心臓がある辺り。その穴から向こう側が見えた瞬間、僕は全てを悟った。
いくら洞察力のない奴だって、ここまで見せられたら分かるもんだ。
「澪ちゃん、これって……」
「……そう、その弾があたしの胸を貫いたの。………凄く間抜けな死に方だよね。男の子を好きになったこともなければ、女の子っぽいこともなーんにもやってない。そのあげくそんな死に方するなんて……やりきれないよね」
「澪ちゃん……」
不意に澪ちゃんがこっちを向いた。無理に作っている笑顔が、よけいに痛々しかった。
僕はどんな言葉をかければいいのか分からず、俯いて黙り込んだ。
ほこらの中に、気まずい沈黙の時間が流れた。
「…………ゼロ君。あたしね、キミのことが好き」
永遠に続くような沈黙を破るかのように、不意に澪ちゃんがそう言った。
「………あたし、ゼロ君の顔見てたら、何だかホッとして、そんで一緒にお祭り見てるとき、すっごく楽しくて、ドキドキして……。うまく言えないんだけど、たぶんゼロ君のこと……好きになっちゃったみたい」
頬を赤らめ、伏せ目で話す澪ちゃん。そして僕のすぐ前まで近づくと、僕の瞳を覗き込んだ。
「ゼロ君…。あたしのこと、好き?」
「……うん」
僕は蚊の鳴くような小声でそう返した。
次の瞬間、澪ちゃんの様子が一変した。
澪ちゃんの瞳の色が妖しく光り、表情もまた愁いを帯びたものとなった。そして、更に僕に近寄り、僕の首に腕を絡まると、囁くように僕に言った。
「ゼロ君。あたしとずっと一緒にいてくれる? 永遠に……」
澪ちゃんの言葉に、僕は思わず息を呑んだ。
『永遠に』
その言葉が意味するものは、僕がここで死んで、幽霊になることだ。
恐らく澪ちゃんは本気だろう。
…………
再び、ほこらの中に沈黙の時間が流れた。
数十分が過ぎた頃。
……それもいいかも知れない
僕の脳裏に、一瞬そんな思いが走った。
……どうせ、何をやっててもつまんないんだ。だったら、幽霊として生きてみるのも面白いのかも知れない。
思えば、澪ちゃんと出会ってからの僕は、どこか自分でも一番満たされた時間を送っていた気がしてたし、それに………澪ちゃんを独りぼっちにさせたくない。
だったら………
「澪ちゃん。僕は―――」
僕が口を開こうとしたまさにその時、
「ゼロ!」
夜の闇を切り裂いて、男の声がほこらに響いた。
「………純也?」
呆然とする僕の目の前に姿を現したのは純也だった。
「……みんなでお前を捜してたんだ。俺がここに来たのも偶然だよ。それより……」
純也はそこで僕を見た。
そして呆れた口調で一言。
「…何やってたんだ? こんな所で」
どうやら、純也には澪ちゃんの姿は見えないらしい。
「……さあ、気付いたらここにいたんだ」
「ふーん」
純也は一つ頷くと、僕の腕を強く掴み、一気に身体を引き上げた。
「痛っ……!」
瞬間、脳天に響くような激痛に、僕は顔を歪ませ、膝をついた。
「………仕方ないな」
そう言うと純也は、僕を背負った。
「じゃ、行くぞ」
「待ちなさい!」
次の瞬間、澪ちゃんの声と共に、ほこらの外から風が異常なまでに強く吹き込み、中で空気の渦を作った。
「うわ!」
「ぜ、ゼロ!」
瞬間、僕の身体もその空気の渦に巻き込まれた。
ほこらの中をもみくちゃにされながら飛び回る僕。
竜巻に巻き込まれたらこんな具合になるのだろうか。身体のあちこちで切り傷が出来、血が噴き出した。
「ゼロ君!」
次の瞬間、僕はとんでもない光景を見た。
「澪………ちゃん?」
僕の目の前に、澪ちゃんがいた。
それだけだったら別に不思議でも何でもない。
僕が驚いたこと、それは……彼女がその場に浮いていた事だ
「さっきの答……聞かせて。このままその子と一緒に帰るか、それとも…………あたしと一緒に」
「ど、どういう事だ、ゼロ?」
澪ちゃんの声を遮るようにして、純也は僕に問いただしてきた。
純也本人は、風に吹き飛ばされることなく、床の腐った部分に手を引っかけて必死に耐えている。
大したもんだ。僕がそう思った次の瞬間、澪ちゃんの声が再びほこらの中に響いた。
「あんたは邪魔。ちょっと大人しくしてなさい!」
その瞬間、風が更に強くなった。床の板が音を立てて外れ、純也の身体が宙を舞い、天井に叩き付けられ、そして床に落ちた。
「ぐわあっ!」
「純也!」
僕の声が届く間もなく、純也は呻き声を一つあげて気絶した。
「ゼロ君!」
前に向き直った僕の目の前に、今度は澪ちゃんが迫ってきた。
澪ちゃんは僕に抱きつくと、潤んだ目で斜め下から僕の瞳を覗き込んだ。
何かに取り憑かれたかのような澪ちゃんの視線に、僕は思わず息を呑んだ。
「あたしと一緒にいてくれるよね? あたしのこと、好きなんだよね? だったら……」
必死なまでの澪ちゃんの言葉を、僕は無言のまま受け取っていた。
…………
僕は正直、迷っていた。
……澪ちゃんと一緒にいたい。でも、純也はそれを多分許さないだろう。
……それにこのままだと、澪ちゃんは僕ごと純也の命まで奪ってしまう。僕だけならまだしも、何の罪もない純也を死なせるわけにはいかない。
……どうすりゃいいんだ。
僕は頭を抱えて蹲りたい気分だった。
ところが、僕の沈黙を澪ちゃんは違う意味で受け取ってしまったらしい。
「……いいって事よね? 何にも言わないって事は……」
その瞬間、澪ちゃんの目が妖しく光った。
僕は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「ちょ、ちょっと、澪ちゃん……?」
「あたしとずっと………一緒にいようね」
澪ちゃんの右手にはいつの間にか短刀が握られている。
どうやら、その短刀を僕に突き刺す気らしい。
「ずっと………一緒に!」
澪ちゃんはそう叫ぶと、一気に僕の胸目がけて短刀を突き出した。
僕の目は恐怖で大きく見開かれた。
カツ―――――――ン!
不意に、そんな音がほこらの中に響いた。
時を同じくして、ほこらの中に吹き荒れていた風が瞬時にかき消える。
―――ドガッ!
「いてて…………」
もちろん、風が消えたのだから、宙に浮いている僕も床に落ちた。余りの激痛に、一瞬呼吸が止まる。
「……今のは何だったんだ?」
頭を押さえながら体を起こした僕の目の前に、澪ちゃんが立っていた。
よっぽど虚を突かれたのか、その顔には動揺の色が見られる。
「………何をしたの? ゼロ君」
「……い、いや、僕は何も……」
「………ゼロ……」
瞬間、僕の耳に小さな、だがそれでいてハッキリした声が聞こえた。
………?
声のした方に振り返った僕に、信じられない光景Uが待ちかまえていた。
「……純也!」
僕の目の前に、純也が立っている。
体中にアザと擦り傷を作り、脚を震わせながら立つその姿に、僕は思わず息を呑んだ。
「……ゼロ………死ぬな……」
声をかけようとした僕の腕を、純也はギュッと握った。
「………純也……」
そこまで僕の事を気にかけていたなんて……
僕は、目頭が熱くなっていくのを感じた。
だが次の瞬間。
ブワアァァァァッ!
………!!
再び、純也の身体が天井に叩き付けられ、床に落ちた。
「ぐわ―――っ!」
哀れ、純也は再び気絶した。
「……じゅ、純也……」
目の前でいきなり起こった惨事に、僕はしばし呆然としていた。
「ゼロ君」
数瞬もした頃、澪ちゃんの声で、僕は我に返った。
「澪ちゃん……」
「……ゼロ君、邪魔者は消えたよ。だから……」
そう言うと澪ちゃんは再び僕の手を握ろうとした。
その顔に浮かんだ満面の笑みを見た瞬間、
……………!
僕の中を怒りに満ちた何かが駆け抜けた。
――――バシッ!
その何かに押されるがまま、僕は無意識の内に、澪ちゃんの手を払っていた。
「……ゼロ君?」
予想外の僕の行動に、呆然とする澪ちゃん。
「……見損なったよ、澪ちゃん」
僕はそう呟くと、純也を担ぎ上げた。
痛めた足首が血で滲み、鋭い痛みを放つが、不思議と気にならなかった。
「………ゼロ君……」
呆然としたまま、澪ちゃんは僕に声をかけた。
だが、僕は振り返ろうとはしなかった。
「………澪ちゃん、バイバイ」
そう言い残して、僕はほこらの外へと消えた。
森をよろめき歩く僕に、澪ちゃんの声が聞こえたような気がした。
でも、僕が覚えていたのはそこまでだった。
「…………あれ? ここは?」
気が付いたとき、僕らは病院のベッドの上だった。
話によると、あの後僕らは神社の境内で倒れていたらしい。
後で聞いた話によると、昔、この島を根城にしていた海賊の娘が、不運な事故で死んだという昔話が確かにあったらしい。
でも、それを確かめるすべは、僕にはなかった。
その後、僕は島を離れ、本土の学校に通うことになった。
島から離れてすぐに、あの夜起こった出来事の記憶は、瞬く間に僕の頭から消えていった。
まるで、全てが夢であったかのように…………