目覚ましが細かい音を立てて、耳を刺激する。
そして冬の寒さが、あっという間に僕の頭から眠気を奪っていく。
「ふぁ〜あ、朝か…」
布団の中から、僕はのっそりと頭を出した。
寝ぐせのついたボサボサ頭に、それなりに眉目は整った顔立ちながらも、特にこれといった特徴はない顔。
僕の名は、
本当にどこにでもいるような普通の大学生だ。
「とりあえず、テレビつけよ……」
僕は、目をこすりながらテレビを付けた。
すると、真っ先に画面に出てきたニュースで、美人アナが街中でこんなこと聞いていた。
『あなたの夢は、何ですか?』
聞かれた人々は口々に答えてった。
それは「給料アップ」だったり、「彼氏が欲しい」だったり、「大学合格」だったり……。
形や大きさ、願うことは違っていても、でもみんなそれぞれ夢を語っていく。
「夢って………何だっけ?」
だが僕は、テレビの前で首をひねっていた。
そう。僕の頭の中には、『夢』って言う単語は存在していない。
いや、あることにはあるんだろうけど、実際にはどんなものなのかは、自分でもよく分かっていない。
「夢……か」
僕はそこで溜息を吐いた。
「僕の夢って、あったのかな?」
思い起こしてみると、僕の人生に「夢」というのは影も形もなかった。
小学校、中学校、高校と、何の目的もなく過ごし、そして今の大学に。
大学に入っても、特に興味を示すものもなく、だらだらと過ごす毎日。
そして、これからもみんなと同じ流れに乗った、平凡すぎる一生を過ごすのだろう。
そう考えると、何だか朝から気が重くなってくる。
……『夢』って、一体何なんだろう?
僕は心の中でそう呟くと、少しシミのある天井を見上げた。
でも、天井が答えてくれるわけもない。
「ま、そんなことどうでもいいか」
僕は気持ちを切り替えると、朝の支度をし始めた。
そして夕方。
「あぁ、疲れた」
冬の匂いがする公園の並木道。
日が落ちるのも早く、既に周りは薄暗くなっている。
そんな中、僕は並木道を歩いていた。
「それにしても、寒くなってきたな…」
温暖な瀬戸内地方にあるこの街でも、十一月の終わりには、それ相応に寒くなる。
僕が着ているジャンパーだけじゃ、さすがにこの寒さには勝てない。
「今日もまた、何にもない一日だったなぁ」
僕は軽く腕を伸ばすと、一人呟いた。
と、その時だった。
ヒュゥゥゥッ!
不意に風を斬る音が僕の耳に届いた。
そして。
スタンッ!
次の瞬間、僕の目の前に、一人の少女が現れた。
どうやら、目の前の木から飛び降りたみたいだ。
僕よりちょっと小柄な少女。年で言ったら十五、六くらいだろうか。
顔の方も、どっちかと言うと可愛い系。結構レベルも高い。
白いセーターに、チェックのミニスカート。首にはマフラー。
夜だから、色はハッキリとは分かんないけど、着ている服もそんなに変わっているわけでもない。
どこにでもいるような普通の少女。
……ただ、木の上からいきなり現れたことを除けば。
「………へ?」
いきなり目の前に現れた少女に、ぽかんと口を開けて、少女を眺める僕。
そんな僕に、少女は唐突に問いかけてきた。
「君の『夢』は何?」
「へ?」
僕は最初、少女が何をいっているのか分からなかった。
「だからあたしに、君の『夢』を教えて」
「………………夢、ですか?」
ようやく、僕は喉の奥から言葉を絞り出した。
「そうよ」
少女は大きく首を縦に振った。
「…………」
その時、僕は困惑していた。
いきなり、何言い出すんだ?
僕は心の中でそう思った。
意表を突く登場をしてきた上に、いきなり『あなたの夢は何ですか?』と聞かれた経験はさすがにない。
と言うより、何でいきなりこんな事を聞かれなければならないんだ?
第一、『夢』という単語自体の意味さえも、僕は理解していないのに。
「『夢』って一体何なんですか?」
僕は逆に少女に聞き返してみた。
「え!」
今度は少女の方が驚いた。
「君、『夢』って言葉、知らないの?」
少女は僕の目を覗き込むように、顔を近づけてきた。
と、少女の大きな瞳と、僕の目が合った。
その瞬間、僕の胸の鼓動は一気にスピードアップした。
「あ、ああ」
僕は真っ赤になりながらも、そう答えた。
「珍しい奴……」
少女は物珍しげに僕を見ながら、ぼそっと呟いた。
そんな少女の態度に、僕はむっとした。
「悪かったな。珍しい奴で」
「あっ、聞こえてた? ゴメンゴメン」
少女は右手を軽く振って謝った。
「……別にいいよ。それより、何でいきなりこんな事聞いてきたの?」
僕は、自分が抱いていた疑問その一を尋ねた。
ちなみに疑問その二は、少女は何者か、と言うことだ。
「……」
すると、少女は黙り込んだ。
「黙ってたら、分かんないんだけど」
少女の沈黙に、思わず声を荒げる僕。
すると、少女の唇が動いた。
「……あたしにも分からない」
「え?」
予想だにしなかった少女の答えに、僕の思考回路はストップしてしまった。
「教えてくれない?」
僕はコーヒーを一口含むと、少女に言った。
ここは公園のすぐそばにある、喫茶店「with」。
僕の行きつけの店だ。
「……っていうと?」
少女はココアを一口飲むと、そう僕に聞き返してきた。
「……とりあえず、君のこと」 僕は改めて少女に聞いた。
すると少女は、ココアをもう一口飲むと、再び口を開いた。
「んーと。とりあえず順を追って話すけど…………。長くなるよ?」
「別にいいよ。どうせ暇なんだ」
「りょーかい」
「とりあえず、自己紹介ね。あたしの名前は
「え!」
その瞬間、僕は驚きの余り思わず叫んでしまった。
……二十歳って事は、二十歳って事は………僕より年上?
どう見ても、彼女は十五・六にしか見えない。
余りの衝撃的なことに、僕の思考回路は再びストップしていた。
女は外見だけじゃ分かんない……。
僕は、心の中で呟いた。
「そういや、君の名前聞いてないんだけど」
彼女の声で、ストップしてた僕の思考回路は復活した。
「あ、僕の名前は藤崎零一。十九の大学一年生」
「え!」
今度は彼女が驚いた。
「年下なんだ。あたし、てっきり年上かと」
「いいから続きを」
僕は彼女の言葉を遮った。
何となくだけど、この女のペースに合わせたら、とんでもない展開になりそうだ、そんな嫌な予感が僕の脳裏によぎったからだ。
「あ、そっか」
僕の言葉に納得したのか、彼女は、二、三度頷いて見せた。
「えっと、脇坂さん?」
「あ、綾でいいよ」
「じゃあ綾さん。どうして、僕に声かけてきたんですか?」
「んーと……」
すると、綾さんは腕組みをして何かを考え始めた。
それを見て僕はこう思った。
ひょっとして………何も考えてなかったのか?
こんな奴に絡まれた(?)ことをちょっとだけ僕は後悔した。
数分後、ようやく綾さんは口を開いた。
「君を見てるとさ、何かが足りてないって言うか、なんて言うか…。空っぽみたいに見えたんだ」
「空っぽ……ですか?」
この女、やっぱへンな奴。
この時、僕はそう結論づけた。
だが、この時の僕は気付いていなかった。
綾さんの言葉の本当の意味を。
多分綾さん本人も、この時にはそれに気付いていなかったと思うけど。
「そう。だから声かけたんだと思う。それだけかな?」
「……そうですか」
僕は、苦笑いを顔に浮かべ、そう返した。
「じゃあ、木の上から現れたのは?」
「んーと、あれは演出。ただ目の前に現れるより、木の上から飛び降りる方がインパクトあると思ったから」
………やっぱり変だ、この女。
僕はそう確信した。
その後はたわいもない世間話に花を咲かせた僕らだった。
「ココアありがとねー!」
子供みたいに手をブンブン振って闇の中に消えていく綾さん。
「はいはい」
僕は軽く手を振ってそれを見守る。
綾さんが完全に闇の奥に姿を消したのを見届けると、僕は一人呟いた。
「変わった子だったな……」
天真爛漫で、ちょっと思考のベクトルがずれてて、でも、それを不思議に感じさせない空気を持っている……。
少なくとも、自分の周りにはいないタイプだ。
綾さんとは出会って数時間だけど、かなり面白く、そして充実した時間を過ごしていたような気がする。
こんな気持ちになるのは、久し振りだった。
「もう会うこと……無いんだろうな」
僕は寂しげに呟いた。
「あ!」
呟いた瞬間、僕はあることに気が付いた。
「ケータイの番号、聞いとけば良かった!」
冷静に考えたら、物凄いイージーミスだった。
「はぁ…。惜しいことした……」
僕はちょっとだけうなだれたまま家路に就いた。
でも、運命って言うものは案外意外で、気まぐれなものなのかも知れない。
そして、縁がある時ってのは、どこまでも偶然が重なるって事も。
数日後、僕はそれを思い知らされることになった。
そして、綾さんと出会ったことが、僕の「何か」を変えるきっかけになることも。