〜第二章 邂逅〜


――全く、僕としたことが

石段を降りつつ、直之は心の中でそう呟いた。

いらないことまで口走ってしまった自分に、正直、動揺していた。

今まで相手してきた奴らは皆、あの術を使っただけで、全員、その場で精神が崩壊するか、慌てて逃げ出すのが関の山だった。

なのに、あの娘は。

かなり精神力が強いのか。それとも………

「これまでの奴らとは、何か違うのか……?」 直之はそう思ったところで、ふと後ろを見た。

……!

一瞬、直之は凍り付いた。

「待ってくださーい!」

先程の少女の声だ。

しかも、必死の形相で、石段を駆け下りてくる。

……まさか、追ってくるとは

直之は、自分の予想を遙かに超えた少女の行動に、思わず震え上がった。

「三十六計、逃げるにしかず………」

そう呟くと、直之も駆け始める。

――やっぱり、何かが違う

走りながら、直之はそう思った。

あの女は、ただ者じゃない。


「待ちなさぁぁぁい!」

葉月のよく通る声が、直之の耳に届いた。

―――待ってたまるか

直之はスピードを上げた。

それを見た葉月もまた、スピードを上げた。

こうして指月の街を舞台に、一組の男女がおいかけっこを始まった。


古い町並みを走り、途中で小さな路地に入り、適当に道を何度か曲がった。

こういうとき、入り組んだ路地の多い昔の町はやりやすい。

……これで、もうまけただろ

そう思って後ろを見た直之の目に、驚愕すべき光景が目に入った。

「待ちなさぁぁぁぁぁぁい!」

鬼の形相で、必死に自分を追っかけてくる少女・葉月の姿に、直之は思わず震え上がった。

――しつこいなぁ………

直之は溜息をひとつ吐くと、再び走り出した。

全く、この街に寄るべきじゃなかった。

今更になって、直之はこの街に降り立った自分を恨んだ。

でも、心の中ではどこか今の状況を楽しんでいる自分が居るのもまた事実だった。


―――はぁはぁはぁ

荒い呼吸と、胸の動悸しか聞こえない。

だらだらと汗が流れ、身体がどんどん重くなっていく。

………辛い……

直之を追い始めて早数十分、既に、限界が見え始めている。

いや、正確に言えば、既に葉月のスピードは、お年寄りの歩くスピードまでに落ち、いつ倒れても不思議ではなくなっている。

正直、自分がなんで走っているのかすら、分からない。

それでも理由を挙げるとすればただ一つ。

見捨てられるのが怖かった。唯一信じてもらえたのに、そんな人に見捨てられて、孤独で無惨な死を迎えるのだけは、それだけは………。

瞬間、葉月の身体から力が抜け、目の前が真っ暗になった。

体力の限界を超えたんだ……、そう悟った次の瞬間、葉月の意識は途絶えた。


――夢を見ていた。

自分じゃなくて、誰かの夢。

凄く昔の夢。

桜の木の下、一組の男女が向き合っていた。

男の人はどこかで見たような――――ああ、直之さんそっくりだ……

女の方は、どこか自分と似たような感じの女性だ。でも、あっちの方が綺麗だ。

女が口を開いた。

『………行ってしまうの?』

すると男の方が、

『……夏葉なつは。僕は、風のように生きることを望んでいるんだ。だから………』

『………あなたは、そんな風に、永遠を生きようと考えてるの?』

男は、そこで軽く微笑んだ。

『永遠を生きるとは限らない。いつかは僕だって死ぬさ。でも、今はまだその時じゃない』

そこまで言うと、男は、夏葉と呼ばれた女に背を向けた。

『待って!』

夏葉の、叫びにも似た声に、男は振り返った。

『……何?』

『あなたは、後悔してないの?』

『……一体、何に?』

『こうなったことに………あなたは、平気なの?』

そこで、男はふっと笑った。

『確かに、最初は後悔したさ。でも』

『でも?』

『これが、僕に定められた運命だから』

そこまで言うと、不意に男は夏葉を抱いた。

突然のことに、目を丸くする夏葉。

『君に逢えたことは、決して忘れない』

そっと女に囁くと、男は夏葉から離れた。

『……いつかまた、どこかで逢おう』

男は、またゆっくりと歩き出した。

『………さよなら』

男はゆっくりと、歩き去っていく。

その姿が見えなくなったと同時に、夏葉は、全てが壊れてしまったかのように、地面に崩れ落ちた。

…………なんか、さっきのあたしと、直之さんのやり取りみたい……

そう思ったところで、夢は終わりを告げた。


「………夢?」

葉月が目覚めたとき、既に辺りは闇に包まれていた。

海風が吹いているから、多分外なんだろう。

葉月の身体には、チェック柄のシャツが、毛布代わりに掛けられていた。

「さっきの夢は一体…………?」

そこまで葉月が呟いたとき、不意に闇の中から声が響いた。

「………起きた?」

直之だった。

「直之………さん?」

直之はゆっくりと首を縦に振った。

「全く無茶なことするね」

「助けて………くれたんですか?」

「そう。さすがに、あんなとこで倒れられちゃ、見捨てることは出来ないから」

呆れたような顔でそう言う直之。

葉月は、その言葉の中に、直之の隠された心の切れ端が見えたような気がした。

本当は、この人は優しい人だ。誰にも関わりたくないと言ってたのには、何らかの事情があるのだろう。いや、絶対にそうだ。

「……君の思ってることは、全部間違えさ」

まるで葉月の心の中を読んでいたと言わんばかりに、直之はそう言った。

「僕がキミを助けようと思ったのは、ただの気まぐれだよ」

「嘘です」

葉月は、キッパリと直之の言葉を否定した。

刹那、直之が真顔になった。

「どうして、そう思うの?」

「理由はありません。でも………」

「でも?」

「……あなたは悪い人じゃありません。それだけは確かです」

直之は、葉月の目を見た。

―――この娘、僕らの能力を受け継いでるな……

直感的に、直之はそう思った。

あいつに似ている……

ふと、直之はそう思った。

―――話を聞いてみるのも悪くはない。これもまた、一興か

「………負けたよ。話を聞かせてくれないか」

観念した様子を装った直之に、葉月はパッと顔を綻ばせた。

―――今宵は、長くなりそうだな……

直之は空を見上げた。

空には、雲で霞んだ満月が浮かび、雲の切れ間から、薄い月明かりが二人を照らしていた。


「あたしには、生まれたときから、不思議な力があるんです」

葉月はしばし考えた後、そう切り出した。

「ほう、どんな?」

「予知能力………って知ってますよね」

―――予知だと!? 

その瞬間、直之の表情が一変した。

―――予知と言うことはやはり、あいつの子孫なのか……?

だとしたら、ここに降り立ったのも、偶然ではなく、必然だったと言うことになる。

―――まさか、あの時の言葉が、現実のものになったというのか?

直之の頭の中で、いくつもの仮定が浮かび、消えていく。

「あ……あの、直之さん?」

困惑した葉月の声で、直之の思考は途絶えた。

「あ、ああゴメン」

「なんか、凄く怖い顔してましたけど」

その瞬間、自分の表情が緊迫したものに変わっていたことに気が付いた。

「気にしないでくれ。それより続きを」

「はい。えっとですね…………」


しばし、葉月の話が続いた。


「………っていうことなんです」

「ほう………」

直之はここまでの話しを、自分なりに整理してみた。

葉月は生まれつき、予知能力を持っていること。葉月が誰かに殺されるという予知夢を、見続けていると言うこと。そして、自分に助けを求めていると言うこと―――。

………そして、この娘は、あいつの生まれ変わりかも知れない。

直之はそう付け加えた。

―――まさか、こんな所で会うとは思えなかったな。

全く、不思議な縁もあるものだ。

「興味深い話を聞かせてもらったよ」

「じゃ、じゃあ、助けてもらえるんですね!」

興奮する葉月。

「それとこれとは話が別さ。誰もキミを助けるとは言ってない」

「え、で、でも……」

直之の反応が意外だったのか、困惑する葉月。

「話を聞いたのは、僕の気まぐれさ。キミの運命を変えるつもりはない」

言い切った。

……………

一瞬、周りの全ての音が消えた。

「僕は、この街のどこかで、しばらく滞在するつもりだ」

直之はゆっくりと葉月に背を向けた。

「………さよなら」

そう言い残して、直之は葉月の前から姿を消した。 遠ざかる直之の耳に、「ふぇぇ〜〜〜ん」という葉月の泣き声が聞こえた。

一瞬罪悪感を感じた。


その夜。

―――夏葉、キミはまだ、生きているのか?

煌々と輝く月を眺めながら、直之は心の中で呟いた。

港の岸壁に腰掛け、横には、小さな酒瓶が置かれている。

「夏葉」

彼女の名前を思い出すのは、本当に久し振りだった。

彼女に最後に逢ったのは、いつのことだろう。

遠い昔、いつのことだか分からなくなる程の。

でも、その全てを覚えている。

キミの姿も、声も、匂いも、そしてその温もりも―――。

直之はそこでコップに注いだ酒を、一気に飲み干した。

「面白くなってきた………な」

酒の酔いと、久方ぶりに訪れた興奮に似た感情に従うまま、直之は酒を呑んだ。

煌々と照り輝く月は、直之を静かに照らしていた。

  

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