〜第一章 少年〜


ゴトンゴトンゴトン…………

早朝の山陰路を、電車が軽やかに走っている。

『間もなく指月、指月…………』

電車の車輪の音に混じり、車掌のアナウンスが早朝の電車に響き渡る。

窓の外には、雄大な日本海が拡がり、そして爽やかな朝の光と共に、五月の薫風が窓から吹き込んでくる。たいていの人間なら、外の景色を素晴らしいと感じることだろう。

だが、残念なことに乗客は一人しかいない。それに、その一人しかいない乗客も眠っているため、せっかくの景色も台無しである。

「ふぁ………………」

そのたった一人の乗客である少年がようやく目を覚ましたらしく、大きなあくびをした。

とろんとした垂れ目に、どことなく風采の上がらなさそうな顔。さらにはボサボサの髪に、よれよれのシャツとズボン。

髪をきちんとセットして、ちゃんとアイロン掛けた服を着れば、格好良く見えるのだが、今の状態では、ただの「だらしない少年」にしか見えない。

どうやら旅の最中らしく、少年の傍らにはやや小振りのボストンバッグがその存在を誇示している。

その「だらしない少年」の名は、相馬直之そうまなおゆきという。

「………うーん、ここはどこだ?」

少しの間を置いて、直之はおもむろに腕時計を見た。

午前七時十二分。

「ちょうど、朝飯の時間か………」

そう言って直之が顔を上げたと同時に、電車が止まった。

駅名のプレートを見ると、『指月』と書いてある。

「ま、いいか、この駅で降りよ」

直之は何の気もなしにそう言って、電車から降りていった。

「さーて、ここでは何が起こるかな……」

曰くありげな直之の呟きは、列車の音に掻き消され、誰にも聞こえることはなかった。


山口県指月市は日本海に面した小都市である。

昔、ここにかつて中国地方の覇者であった大江氏と言う大名が本拠を構えていたという、山陰地方でも有数の歴史のある街でもある。

昔はかなり栄えていたらしいのだが、山陰地方という地域的なハンデのため、今では観光と指月焼という焼き物を主な産業としている、人口約五万人のどこにでもあるような小都市となっていた。

その町並みはと言うと、扇状に拡がった三角州の上に、整然と海のそばに立っている「指月城」から背後にそびえ立つ山に向けて街は広がっていて、そのど真ん中を直線の道路が走っているという、空から見ると扇を広げた感じの美しい形。

電車はその街の一番外を走っており、その道路の山側の終点である指月駅と他にいくらかの無人駅があるという、田舎によくある配置でもある。

こんな山陰の小都市であるため、大きな事件が起きることもなく、街の人々は皆、平和に暮らしている。

だが、みんなは気付いていない。下手な都会よりも、むしろこんな平凡なところこそ、とんでもない事が起こる可能性が高いということを……。


「………それでさ………」

「……へー、ホント? それ……」

指月城の目の前を通る遊歩道。

時間は午後の三時。穏やかな日差しと、海から柔らかく吹く海風がこの一帯を心地よい感じにしている頃。

そんな中、数人の少女達が、おしゃべりしながら歩いていた。

どこから見ても、平和そのものである。

「そう言えば、最近なんか変な事件が起きてるよね……」

少女の一人の口から放たれた言葉に、別の少女がうんうんと頷いた。

「あれでしょ? この街の通り魔事件」

「そうそう。何か街のあちこちでバラバラの死体が見つかってるらしいよ」

「しかも、分かってるだけで六人でしょ? って事は、もっともっと殺されてる人っているのよね………あぁ、想像するだけでも怖い」

説明的な台詞が海風に乗って流れる。

最初に口を開いた少女はそこで軽く肩をすくめた。

ふと、少女の一人が、後ろの方でぼーっとしながら歩いてる少女の存在に気付いた。

「……葉月はづき。あんたも何か喋りなよ」

葉月と呼ばれた少女は、そこでハッとしたように顔を上げた。

背中の辺りまで伸ばした美しい黒髪が印象的な、美人系の女の子。だが、その顔には憂いの色が色濃く浮かんでいる。

「……あ、ご、ゴメン……」

「……まあいいけどね。葉月、あんた最近なんかおかしいよ」

「そ、そうかなぁ」

「うん。なんか、ぼーっとしすぎだよ」

「はぁ………」

しかし、葉月の表情は晴れなかった。


少女達の話題に登っている、「この街の通り魔事件」が最初に起こったのは、今年の三月の下旬のことだった。

場所は、指月城のそばにある公園の植え込みで、五十以上の部品に分かれた、見るも無惨な女のバラバラ死体が見つかった。

それから二ヶ月経った現在、分かっているだけで六人。行方不明も含めれば十二、三人はその犯人の餌食となっている。

不思議なことに、これらの死体には共通点がある。

それは、必ず五十個近い部品にされており、更に不思議なことに、被害者はいずれも、十代前半から、二十代中盤までの女性で、おまけに、死体の周りからは一滴の血も流れてはいなかった。

今では、今度の犠牲者は誰になるかと言うのが、密かに賭けの対象になると言う始末だった。

未だに、犯人は見つかっていない。


「じゃあね、葉月。何があるんだか分かんないけど、元気出しなさいよ」

「うん」

葉月は軽く頷くと、他の少女達と別れた。

「………ふぅ」

少女達の姿が町並みに消えていくのを見送ると、葉月は深く息を吐いた。

その表情は先程よりも暗く、愁いを帯びたものとなった。元々美人な事もあって、その顔は余計に美しく見える。

とぼとぼと歩きながら、溜息を吐き続ける葉月。

………今度の犠牲者って、多分あたしなんだろうなぁ……。三日連続夢に出てきたって事は、ほとんど確実なんだろうし……

誰にも喋った事は無いのだが、実は葉月は、昔から不思議な能力を備えていた。

それは、『予知』。自分の身に何か危険が起きるとき、その能力は発動する。

その形は、夢であったり、いきなり頭の中に現れたりと、様々な形で襲ってくる。

それも、三日続けてと言うことになったら、それは確実に起きる。

でも、それを信じてくれるものは、誰もいない。

葉月は、この時、自分が生まれつき身に付いている能力を恨めしく思った。

「………あたしの人生、短かったな」

葉月はポツリと呟いた。

その表情には、あきらめの色が色濃く浮かんでいる。

「あれ?」

とその時、葉月の視線の先に、一人の少年が目に入った。

とろんとした垂れ目に、どことなく風采の上がらなさそうな顔。よれよれのシャツとズボンを身に纏い、ボサボサの髪が海風でゆらゆらと揺れている。

少年は海沿いの石垣に座り、ぼーっと城を眺めている。その横には、やや小振りのボストンバッグが置かれているところからすると、恐らく季節外れの観光客なのだろう、葉月はそう思った。

………あれ?

とその時、葉月は妙なものに気がついた。

気のせいか、少年の指先で何か、変なものが浮かび上がっている。

なんなんだろ……あれ?

葉月は知らず知らずのうちに少年のそばにフラフラと寄っていく。

そして気が付いたら、葉月は少年に声をかけていた。

「………あの」

「………ん? 何か用?」

少年はにっこりと笑いながら振り返ってきた。

とろんとした垂れ目に、どことなく風采の上がらなさそうな顔。元々なのか、真っ白な髪が目立って見える。

いい人そう……

直感的に葉月はそう思った。

ふと、少年は何かに気付いたのか、イタズラっぽく笑い、ゆっくりと口を開いた。

「キミ、何か悩みを持ってるだろ。それも、自分が死ぬとか」

葉月は「な、何で分かるんですか?」と、思わず大声で叫び、思い切り取り乱してしまった。

そんな葉月を、少年はほほえみを浮かべながら見ていた。


そんな状態が数分続いて。


「………キミって面白いね」

「す、すいません」

何故か謝る葉月。

「……あの」

「ん、何?」

葉月もようやく落ち着きを取り戻したらしく、戸惑いながらもゆっくりとその口を開いた。

「あのですね、なんで、あたしの悩みが分かったんですか? それも、かなりダークなのに……」

葉月の問いに、少年は「ああ、その事ね」と言い、軽く笑った。

「そうだね、いいモノを……」

見せようか、と言いかけたところで、少年の腹が鳴った。

……………

少しの間、気まずい沈黙の時間が流れた。

……そういや、昨日から何も食べてなかったな……

少年は思わず苦笑した。

「………ご飯、食べます?」

そう言うと、葉月は鞄の中から弁当箱を取りだし、少年に渡した。

「……ありがと」

少年は素直にそれを受け取ると、おいしそうに食べ始めた。

パクパクパク………。

「うん、おいしい」

まるで小さな子供のように笑顔で食べる少年に、葉月は何故か少年に微笑ましいものを感じた。 「キミいい嫁さんになれるよ」

「えっ!?」

からかい半分の少年の言葉に、思わず葉月は頬を赤くした。

「……ごちそうさま」

やがて、少年が弁当箱から顔を上げた。

「じゃあ、早速見せてあげようか………あ」

少年はそこで何かに気付いたらしく、葉月だけにしか聞こえないような声で言った。

「……あのさ」

「はい?」

「この辺で、どっか人目に付かないとこってある? あんまり、他の人に見られたくないんだ」

葉月は少し目を閉じて考えた。

数瞬後、思いつく場所があったのか、葉月は少年の手を引っ張った。

「……いいとこがあります」

少年は素直に葉月に従った。


数十分後、二人は小さな神社の境内にいた。

山のふもとにあるこの神社には余り人が来ないらしい。

「他人に見られたくないから」という少年の言葉通り、市街地から離れたこの神社なら少年の希望を十分にくみ取ることが出来るだろう。

「じゃあ、キミ……名前なんだっけ?」

沼崎ぬまさき……葉月です。……あなたは?」

「あ、僕? 僕の名は、相馬直之」

「相馬………さん」

「………直之でいいよ。苗字で呼ばれるの慣れてないし」

―――どうせ、本当の苗字じゃないしね

直之は心の中で呟いた。

「……直之……さん」

「そう。じゃあ、葉月君。僕の目の前に座って」

「……はい」

直之の声に従い、葉月は少年の前に腰を下ろした。

「じゃあ、始めるよ」

直之はそう言うと、目を閉じ手を合わせ、何かぼそぼそと小声で呟き始めた。

……何呟いてるんだろ?

葉月はそう思った。

だが次の瞬間、葉月は自分の目を疑った。

目の前の直之の姿が消え、暗闇が葉月を支配した。

「え………? 何なになに?」

呆然とする葉月の目の前で、まるで映画のように景色が現れ、映し出されていった。


少女が一人、走っていた。

厚い雲に覆われた闇の中、何かに怯えた表情を見せ、必死に逃れようとする少女。

よく見ると、少女は葉月本人だった。

脇目もふらず、闇の中を走る葉月。

走る傍ら、ふとチラリと後ろを見た。

『………!』

刹那、闇の中から鋭い閃光が走る。

その瞬間、葉月は左腕に激痛を感じ、そして地面に崩れ込んだ。

激痛に顔を歪めながら、葉月はゆっくりと顔を上げ―――。

『…………!』

その整った顔が、恐怖の色に染まった。

男が一人、葉月の前に立っていた。

右手には血がしたたり落ちる刃を、そして口には、葉月の左腕をくわえていた。

その時、葉月は自分の左肩から先が消えていることに気付き、思わず声にならない叫びを叫んだ。

―――くくくくく

男が笑った。そして、

―――バイバイ

男はその言葉と共に、葉月目がけて、真紅に染まった刃を振り下ろした。

刹那、葉月の視界が、真っ赤なものに覆われた。


「…………い、いやぁぁぁぁぁっ!」

葉月は絶叫したところで、ようやく正気を取り戻した。

慌てて左腕に手をやり、手があることに安堵する。

……間違いない。あれはあたしが見た夢、そのまんまだった……

葉月は背筋にぞっとする物を感じた。

……なんでこの人が、これを知ってるの?

その時、葉月の思いを見透かすかのように、直之の声が葉月の耳に届いた。

「……分かってもらえたかい?」

直之の落ち着いた声に、葉月は動揺した自分を落ち着けようと、深呼吸し、額に浮いた脂汗をハンカチで拭いた。

そして一呼吸置いて、

「あ、あなたは、一体、なっ、何者なんですか?」

所々詰まりながらも、葉月はやっとの思いで、自らの抱いた疑問を口に出した。

「……それは、秘密さ」

直之は何故か寂しそうに笑うと、手早く荷物を持って、神社を出ようとした。

少しずつ、少しずつ小さくなっていく直之の姿。

その瞬間、葉月の胸に孤独感に似た何かが素早く通り過ぎた。

「待ってください!」

気が付いた時、葉月は思い切り叫んでいた。

その叫びで、直之は足を止め、ゆっくりと振り返った。

「……何か、まだ用があるのかい?」

「あの、お願いしたいことが」

葉月の声に、直之は、「言ってみろ」との合図か、首を軽く縦に振った。

「あたしを助けてください! お願いします!」

すると、直之は首をブルブルと横に振った。

「ど、どうしてなんですか?」

すると、直之の表情がはまじめなものに変わった。

呆然とする葉月を一瞥し、直之はゆっくりと口を開いた。

「僕は………誰にも関わりたくないんだ」

「そ、そんな……」

「それが、僕の運命でもあるから……」

意味深な言葉を吐くと、直之はゆっくりとまた葉月に背を向けた。

「さよなら」

葉月は何も言い返すことが出来ないまま、直之がゆっくりとその姿を消していくのを、呆然と見送ることしかできなかった。

風が静かに吹き、葉月の髪を静かに揺らし続けた。

  

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