〜第二章 大阪評議〜



明智光秀の本能寺襲撃は不発に終わった。その頃、信長一行は全速力で大坂についた。この大阪の地には仮普請の城がある。ここには丹羽長秀、信長の三男信孝を大将とする三万ほどの軍がいた。この軍は渡海して四国の長宗我部征伐をするはずだった。そこに信長がきたのだから二人はびっくりである。

織田信孝「父上、どうされたのです?」

信長「実は本能寺で光秀に襲われた。」

丹羽長秀「えっ、光秀とは惟任日向守殿にございますか。」

信長「そうじゃ。そこでじゃお主らと評議を開く。どうしたらよいか」

信孝「その前に父上、この評議に出ては行けない者がおると存じます。」

一同の目線は津田信澄に注がれた。信澄は光秀の娘婿である。またこの信澄は、信長の尾張統一時代に反旗を翻した信長の実弟信勝の子なのである。この信澄は父のことをはばかって姓を織田から津田に改めた。こういう経緯があってのことなのである。

信長「信澄、どうじゃ。」

津田信澄「とんでもござらぬ。舅殿の謀反など知ったことではございません。さらなる忠義をもって叔父上にお仕えいたしますれば」

信長「よう言うた。信澄、このまま評議におれぃ。」

信澄「はは。有り難き幸せに存じます」

信長「さてこれからどうするか。」

長秀「まず権六殿(柴田勝家)や秀吉殿など織田家家臣や堺におられる徳川三河守様に此度のことを知らせねばなりますまい。」

信孝「そしてこれ以上光秀殿の領土が拡大せぬよう合戦を挑みましょう。」

信澄「いや、三万ではしばし不安。秀吉殿や勝家殿の援兵を待てばよろしいかと」

そして、しばらくの間信孝と信澄の口論が続いた

信長「静まれい!」

信長は一喝した。

信長「藤考と筒井はどちらにつくかのう。」

長秀「兵力は三千ずつというところですか」

信長「五郎左(長秀の通称)、その六千の兵が勝敗を分けることもあるのじゃ。」

藤考とは細川藤考、筒井とは筒井順慶のことである。両方とも明智光秀とは、並々ならぬ関係がある。なかでも藤考は嫡子忠興の妻は光秀の娘玉であり、縁戚関係を結んでいる。順慶も光秀の子を養子にもらう約束をしている。


信長「お蘭はおるか。」

蘭丸「は、ここに。」

信長「三河守どのに届けよ。」

蘭丸「かしこまりました。」

信長「ここにおる全ての人間に伝える。我が軍の方針は次の通り。」

まず当然ながら諸将に書状で伝える。そしてその援軍を待って光秀を討伐する。」

一同「ははぁ」

つぎが書状の内容である。(現代語に訳す)



○○○○殿


去る六月二日、わしと信忠は本能寺と妙覚寺において明智光秀の謀反にあった。

が、これは未遂に終わり小姓一人討ち取られなかった。

そしていまは大坂の丹羽長秀と我が子信孝の四国征伐軍にいる。数は三万ほどだ。

が、わしらは四国征伐を中止し光秀攻めを行うことにした。

だが相手は戦上手の光秀や百戦錬磨の斎藤利三らがいる。万が一のため、援軍三千ないし二千五百を送ってくれ。

ただ、もしも光秀を壊滅させたとき、殺さず、生け捕りにしてくれ。これは厳命しておく。交戦中の場合は和睦せよ。

一五八二年六月四日

織田 信長 (花押)



家臣にはこういう感じで送ったが、同盟者の家康にはもう少し柔らかい感じで送った。

あと家康には今すぐ大坂城(仮普請)に来て欲しいという内容も付け加えた。

ちなみにこの書状を受け取った時まだ本能寺の変の知らせは届いていなかった。

田辺城にいる細川藤考・忠興父子と大和郡山城にいる筒井順慶以外は。田辺城と大和郡山城には二つの書状が届いていた。織田信長からの書状と明智光秀からの書状だ。そのころ細川父子は…

細川忠興「父上、明智様が信長公を討ったそうにございます。どういたします?」

細川藤考「いや、それは光秀の嘘じゃ。信長公からの書状が来ておる」

実は、光秀も書状を送っており、「信長を討った」という嘘の文章を書いて味方につけよう、と考えていたようである。

送り先は、細川父子、筒井順慶、毛利、上杉、長宗我部、雑賀衆(鈴木家)、北条などだ。

特に、毛利、上杉、北条は、この時点でそれぞれ羽柴秀吉、柴田勝家、滝川一益軍と交戦中だった。

少し話がそれたが、もう一度、細川家の評議に戻ろう。

藤考「忠興よ、わしは光秀にはつかん。お前は舅殿につくも勝手にせい。」

忠興「それがしも舅殿にはつきませぬ。まず舅殿は、信長公を討っておらぬ。あと、玉はどこかに幽閉しておきまする。」

藤考「うむ。では、そこのお前、この書状を上様に届けてくれい。」

家臣「はは」

こうして、細川家は方針が決まった。しかし、筒井順慶は決めあぐんでいた。

筒井順慶「ううむ、どうする。」

土岐頼次「順慶殿、わしは信長様に加担すればよろしいかと思うが。」

順慶「しかし明智様の恩も忘れがたい。どうする…」

順慶は頭をフル回転させて考えた。

順慶「頼次殿しばし一人で考えさせてくれぃ。」

頼次「わかり申した」

ちなみに土岐頼次は、順慶の同僚で今は筒井家に居候している。

順慶「よし、決めた。諸将を集めろ。」

家臣「はは」

頼次「結局、どうするのじゃ」

順慶「我が筒井家はどちらにもお味方せず、傍観する。文句のあるやつはわしに言え。」

頼次「順慶殿、」

頼次が真っ先に異を唱えた。

頼次「はっきりいって、明智殿の勝率は低い。大坂の本隊三万に加えて各地から援軍が来るじゃろう。それに比べて明智軍は一万四千じゃぞ。後で味方しなかったと因縁付けて筒井家は取り潰されるかもしれん。」

順慶「それはわかっておる。がここで明智様を見限っては冥土で見せる顔がなくなる。」

頼次「そうか。そこまで言うのであればわしはこの城を出よう。心配御無用。この評議の結果は信長様と光秀殿に伝えておく。そして、信長様と一緒に戦う。兵100をかしてくれい。世話になったなぁ」

こういうと丁寧にお辞儀をし、頼次はほんとに出て行ってしまった。

順慶「………」

筒井家臣達に激しい衝撃がはしった。その頃大坂は…



堀秀政「申し上げます。宇喜多忠家殿を大将とする、羽柴軍三千が到着しました。蘭丸殿と一緒に。」

信長「うむ。大儀である。」

信澄「叔父上、土岐頼次殿が来られました。」

信長「えっ、あの筒井家居候の。通せ」

信澄「はは」

頼次「此度は筒井家使者、それにもう一つの理由で参上しました。」

頼次は、筒井家の評議の結果を余すことなく伝えた。信長は憤慨する様子はなくこういった。

「で、あるか」と。さらにこういった。

信長「では、もう一つの理由とはなんじゃ。」

頼次「はは、この頼次、筒井殿のもとを離れ、筒井殿から借りた兵100を率い及ばずながらご協力させていただだきたく存じまする。」

信長「あいわかった」

頼次「祝着至極に存じつかまつりまする。」

秀政「徳川様、御家臣本多平八郎殿、酒井忠次殿らご到着です。」

信長「おお三河殿。ご臨席賜り申し訳ない。」

徳川家康「とんでもない。しかしとんだ災難でしたなぁ。」

信長「誠よ、はははは。」

しばらく二人が語っていると秀政が言った。

秀政「申し上げます。柴田権六勝家様です。」

信長「えっ、権六?」

すると甲冑のすれる音をたてながら、息をヒーヒーいわせながら勝家がきた。 家康「あれ、権六殿。北陸はどうしたのでござるか?」

勝家「内蔵助(佐々成政)と又左(前田利家)に任せました。」

信長「すごい息の切れようだな。」

勝家「ははぁ、魚津の城を落としてからわしの五千の兵で飛騨、美濃、尾張、伊勢を突っ走ってきましたので…」

信長「権六、お前にしては珍しいのぅ。今夜は雨が降るぞ。でも嬉しかったぞ。」

勝家「もったいなきお言葉。」

その夜、ほんとに雨が降った。大阪城は笑いで包まれていた。



(第二章 大坂評議 完)

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